「で、どうしてお前はそんなに不安そうなんだ?」
 すっかり明け方の空は明るく、白群に日の出の金銀が混じる。真っ青に輝いて、空へと駆け上がって行った竜だの麒麟だの大魚だのの一段は、今ではすっかり山の向こうに紫雲のように棚引いている。とんでもないものを見てしまったと、思う辺りがやっぱりずいぶん麻痺している。台風も一緒に去ったようだ。雨に洗われた森の木々から、芳しい緑の香が立ち昇る。
「…そう見えますか?」
 竜は光るのをやめたようだ。声様も優しく、ただ一重に鳴った。
「顔に書いてあるぜ。」
 おやじさんが帰っちまって寂しいって歳でもないだろうと続けると、ええ、と麗しいくちびるからため息が漏れる。まあ座れよ、とは勝手知ったる人の湖。湖岸の岩の上に、導かれるまま竜はストンと腰を下ろした。
「で?」
 その隣に腰を下ろしながら、グリンと左目で竜を覗き込む。相変わらずの花貌であるが、政宗はもうすっかり慣れてしまった。だからそのよくよく見ると青味がかった瞳の憂いた様子だとか、ため息を吐く唇の悲しげな様だとかに、気が付いてしまうのだ。
「え?」
「あんたのその憂鬱の原因はなんだって訊いてんだ。」
 当然と答えたお殿様に、竜はやっぱり、子供のように目を丸くして尋ね返す。
「…聞いてくださるのですか。」
 こいつはさっきの、自分の父親と政宗の会話を聞いていなかったんだろうか。
「ダチだろうが。」
「…はい。」
 はあとため息を吐いて答えてやると、あんまり嬉しそうに、わらうのでいけないな。竜がわらうだけで本当に大輪の花が咲くようだからだ。こればっかりは、いまだに慣れない。
「実は、父が来たのはお礼のためだけではないのです。・・・以前の迦楼羅の件がどうもまだ片付いていないようで。」
「ah?一年以上経ってる上に謝罪もされたんだろうが。」
「ええ…一席設けていただいた際には、張本人がまだ丸焦げのまま包帯ぐるぐるで、とても謝罪などできる状態ではありませんでしたので、迦楼羅族の長様と、政宗様に黒焦げにしていただいた迦楼羅の御父上様と御母上様と、兄上様とが、揃って謝罪と再発防止を約束してくださったのですが…。」
「ですが?」
 よもや逆恨みでもされているのだろうか、険しくなる政宗の空気を知ってか知らずか、の顔色はますます悲しげになる。それにしても眉を寄せても絵になるとはこれ如何に。
「竜族と迦楼羅族の間に、友好条約が敷かれていることはご存知でしょうか?」
 行き成り出てきた四文字熟語に、ちょっと顔をしかめる政宗だが、そう言えば、以前岩魚と山女の姉やふたりに聞いた気がする。
「ah〜〜…条約締結千云年ってアレか…?」
「そうです、千八百年になります…。」
 相変わらずのスケール感で、やっぱり突っ込む気も起きない。とりあえずおうそれそれとだけ頷いておく。それがいったい、今回の件にどう関係があるのだろう。
「条約が結ばれて千と八百年も経つということは、つまり、それだけの年月、表だって竜を食べた迦楼羅はいない、ということなのです。」
「ah-ha?」
 それは、そうか。良く考えればそういうことだろう。条約が締結されたばかりの頃は、掟を破って竜を食おうとする一団がいなかったこともないらしいが、何せ二千年近く前の話だ。竜たちにとっても、千と八百というその年月は、決して短いものではないらしい。
「ですから、若い迦楼羅には竜の味というものを知っているものはいませんし、一対一ではこちらの方が三倍は大きい生き物ですから、竜を食べるという発想すら持たない者の方が今は多いのです。」
 その割に迦楼羅一匹にビビってたな、とは言わない政宗である。血のレベルで刷り込まれた、恐怖だとか敵対心だとかは、もちろん竜にもあるのだろう。そもそもは、一応護られる側の姫君であるわけだし。
「…ちなみにお前、いくつだっけな?」
「わたくしですか?私も、条約締結後の生まれですので、三百と…ええと、八十…七?くらいでしょうか?」
 平安の世を覚えているというのだから、それくらいでも何ら不思議ではないが、とてもそうは見えない。外見年齢だけなら、政宗より二つくらい年が下に見える。女って、いや、人外ってこわい。
「今回お前を襲おうとしたやつは…?」
「私より百ほど年上なだけです。」
 つまり若い世代である。もはや竜を食とする習慣がすっかり失われていると言っても等しいのにかかわらず、書物や口伝えにしか知らない竜の味というのを、知りたくなったとのだろうか?なにもわざわざ、日ノ本までやってきて、竜族の長の娘を狙わなくてもいいものを。
 鳥なだけに鳥頭なのだろうか。
 失礼なことを政宗が考えている隣で、ががっくり肩を落とす。
「その…包帯が取れて喋れるようになった、その迦楼羅が言うことには…、」
 なんとも言いにくそうにが口ごもる。

「食べようとしたのではない、と。」

 寝耳に水。



(20130123)