聞き間違えたかな?と小十郎は思った。聞き間違えかな?
 えーとなんだっけなんだかずいぶんな長ゼリフで聞き漏らしがたくさんなのかもしれないけど、この耳が確かなら、「遥か外つ海を超えた大陸の険しい山々を越えたところ、神仙の棲まう泰山の峰々、その雲上に広がる雲海を統べる竜王の国」とかなんとか言われた気がする。竜王の国から来たとは、仮にも龍と日ノ本に名の知れたこの奥州にあって、なかなか皮肉の効いたギャグではないか。笑止。
「……今なんと。」
 しかしながら奥州の大人代表小十郎は、ア?今なんつった?と言いたいのをおくびにも出さず、冷静に尋ね直すと言うこれがギャグならかわいそうなことこの上ない切り返しを選択した。
「遥か外つ海を超えた大陸の険しい山々を越えたところ、神仙の棲まう泰山の峰々、その雲上に広がる雲海を統べる竜王の国より参りました。」
 それに対して姫君は、花も霞む美貌で微笑んでらっしゃる。ああ、こんなに美しいのに、かわいそうなお頭をしておられるんだなぁ、と生ぬるい笑みを浮かべかけた小十郎の耳を、呆れ返ったような主君の声が叩いた。
「お前言っちまっていいのか?」
 それに、あら、と姫君がわらう。
「わたくしはちっとも困りませんもの。」
「hum...違ぇねえ。」
 ツーカーらしい二人の会話に、小十郎も誰もついていけない。それに隠しだてして通じるような方ではございますまいと言うのがの言で、それもそうかと唸る殿様に、この子大丈夫?というお顔の成実、思いっきり胡散臭いという顔つきの小十郎と、最近耳が遠くてなともう一度言ってくれのジャスチャーをする小梁川と同じく小指で耳掃除を始める鬼庭の爺コンビ、クールに控えて静観の構えを見せる翡翠と、あらまあ姫様ったら大胆と星なぞ飛ばす姉や二人、と場は混沌の体を極めている。
「政宗様?」
 ふむ、と小十郎を眺めて政宗は、うむと頷いてひとこと。

「こいつぁ竜だ。」
 はぁ?
「はぁ、」
 語尾が上がらなかっただけ褒めて欲しい。あらやだところころ笑う二人の姐やが、袖で口元を隠す。
「信じてねえなぁ。」
「当たり前な反応でなんだか新鮮でございますわねぇ、姫様!」
「そうでしょうか?」
「そうでございますよぉ!政宗様ときたら、なんでしたっけ、『アー…アー。俺ぁ伊達政宗だ。』でしたっけ?」
「流石政宗様ですわねぇ!」
 きゃっきゃと盛り上がるのは姐や二人で、姫君はおかしそうに、品よく微笑むばかりである。
「政宗様?」
 悪い病気が移ったかなぁとなんとなく頭痛を覚え始めた片目であるが、もちろん龍も姫君もお付きの二人も、さっぱりなにも気にしない。
「なんだ、小十郎。」
 なんだじゃねえよと声をあげないのは、なんとも言えず主君の顔がニヤニヤと悪役じみて楽しそうなせいだ。ここで精神を波立たせては人の悪い主を喜ばせるだけなのは見えているのだ。その辺りは付き合いが長い。
「お戯れも程々にしていただかなくては、」
「戯れ、な。」
 喉の奥で楽しそうに笑う政宗は、どう見ても正気で、それでいて人の悪い常の彼だ。お頭の悪いのが移ったとは思えない。ひとまず安心していいものか、それともやっぱり悪ノリしやがってと青筋立てるべきか。
「この堅物共にゃあ口で言っても通じやしねえよ。見せてやれ、。」
 その言葉に、あらと姫君は目を丸くして、やっぱりどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「はい、…あら、やっぱりできませんわ。政宗様。」
 立ち上がりかけて、それからことりと首を傾げる。
「何故だ?」
「だってここで私が竜の姿になりましたらお城が壊れてしまいますもの。」
 あんぎゃー!と、伊達のお城の中からドでかい竜が出てくる様子が想像されて、ううむ、それは確かに都合が悪い。あれだけでかかったら内側から全壊間違いない。
「OH!しまった、そいつぁそうだ。」
 あっはっはふふふ。
 わらう二人の周りには、長閑なお花畑であるが、伊達の御家来衆の背景はむしろ荒れ果てた荒野か雪原だもので、いったいどうすればよいのやら。このままではこう着状態が続くこと間違いない。どうしましょうねと頬に手を当てたに、政宗がポンと手のひらを打つ。
「半分人型はどうだ?」
 それだーっ!と麗しい姫君が内心叫んだかどうかはともかくとして、ああ、と政宗の言葉にが顔を明るくするのとその変化が起こるのと、一体どちらが早かっただろう。
 ふわりと室内に風が吹いたと思うや否や、の長い黒髪は宙に踊り、その先から青い光を発した。あらわになる細い首筋と、変わらぬ花の顔立ち。しかしその真珠の肌はところどころ、瑠璃硝子のように青く輝き、その耳が魚のような鰭の形に尖って、見る間に両の眼差しは真っ青な光を帯びた。比喩表現ではなく実際に、姫の周りを蛍火に似た光の球が舞い、その人離れした美しさときたら。真っ青な水底に似た光を全身に柔らかく滲ませる様子は、どこか背筋をゾッとさせる。
 どうこからどうみても人ではなかった。

 目を見開いて尻もちついたのと、入れ歯が抜けそうになったのと、ついにお迎えが来たかなとか思ってしまったのと、という家臣の中で、それでも小十郎だけは咄嗟に立ち上がると刀を鞘から抜き払った。「テメエッ…!」 脇を固めていた女中二人が、あれ、と飛び退って顔を袖で覆い、童女ばかりが同じように、脇差しを小さな胸の前に構えて姫君の前に立った。
 まさに一触即発。むしろ既発。
「物の怪か…!政宗様、こちらへ!お下がり下さい!」
「小十郎!」
 轟くいかづちのような怒号と、それを制しようと負けないくらいの大音声で呼ばれた名前と、その間に挟まれて、“半分”竜型、あるいは人型の姿を晒した姫君は、静かに目を開いておられる。

「…もののけ?」

 だからその地を這うような低い声音は、その三人と言葉を失っている家臣たちのうちの誰からも発されたものではなかった。
「物の怪ですって?」
 怯えたように姫君と城の主君の膝元まで飛び退っていた姐やふたりが、屈み合わせの絵画のように、ぴったりと同じポーズで、袖の向こうからゾッとするような無表情を覗かせていた。




(20130711)