おおおおん、という、いつか、どこかの雨の中で聞いた音。 成実はひっくり返って頭を打って夢の世界へ旅立ちになられた。鬼庭と小梁川の爺様は腰が抜けて 二人そろって背中合わせに座りこんでいる。そうしてかの片倉小十郎はというと、 「いや、そもそも竜女とは能で言うところの阿修羅が悟りを開いた姿…ぶつぶつ、」 思いっきり立ち尽くしたまま現実逃避していた。 「おおー小十朗がtripしてるとこなんざぁ久しぶりに見たぜ。」 とりっぷ?と首を傾げるのは、伊達城の真上に浮かぶ巨大な竜、もちろんその正体は言わずと 知れた 姫である。白銀に輝く鱗は青味がかって内側から淡く光を発している。彼女の体が 日を遮り、伊達城全体が雲の下に入ったように翳っているため、下から見上げると後光が差して 見える。その金冠に縁どられた真っ青な目玉を見上げて、政宗はのんきに「現実逃避っつう意味だ。」 異国語の講釈などしている。 『あら。そうなのですか?』 「おー。こりゃあ完全にcapacity overってやつだな…よっ、と!」 空を、正確にはそこに浮かぶ巨大な巨大な視覚に収まりきらないほどの竜を見上げて固まっている 右眼の前へ回ると、政宗はその両手を手刀の形にしてその肩に落とした。ハッと気が付いて首を振る と、小十郎はもう一度夢から覚めたように竜を見、それから目の前の主君を見、「おいコラ今度は どつかれてえのか。」危うく再びの現実逃避から、逃れた。 しかしいったい、なんだぁ、これぇ。 当初自分も似たような状況に陥ったのももはや懐かしく、やっぱ最初は誰でもこうなるよなあ、と 政宗。 「政宗様…これは、一体、」 「だから言っただろうが。"竜"だって。」 主君のその言葉に答えるように眼前に浮かぶ竜は頷き、挙句の果てに先ほどまでこの間に立って いた姫君そのままの声で口を開いた。 『これで信じていただけたでしょうか?』 人の姿で発される音よりも、どこか不思議に、頭の中に直接響くような具合であるが、確かに それは、 姫の声らしかった。幻術、というにはスケールがでかすぎた。なにより圧倒的な 存在感が、これが現実だと小十郎に告げている。夢ならよかったのに、どうやら自分は、徹頭徹尾 目覚めたままでいるらしい。ひっくりかえったままの成実の幸せそうな顔を見下ろして、いっそこう あれたらと恨んでみても仕方がない。肝が据わっているのも図太いのも、すべては主君のためなのだ。 「はァ、もう、わかりました…。」 なんとなく敗北感に打ちひしがれて、小十郎は右手で顔を覆った。 この規格外の主君の初めてのがーるふれんどが、そんじょそこらの規格に収まるような女性では ないだろうことぐらいわかっていたというか、若干それを期待してすらいたが、なにも人間という 枠まで飛び越さなくてもよかったのではないだろうか。がっくりと、一気に十も老けたような雰囲気 を醸し出す右眼に、さすがに罪悪感が湧いたのか、政宗が竜に向かって「もういいだろ、 。」 なんて話しかけているので堪らない。 ではそのように、と花の声が鳴ると、竜がこちらへ近づいてきた。 こんな巨大な竜が突っ込んできては自分たちの身どころか天守ごと吹き飛ぶ。 とっさに身構えるも衝撃はなく。竜は忽然と光の粒となって、目の前にはただ美しい人が、美しい 様子で立っていた。政宗と並ぶとその様子は、やはり青い殿方と姫君で絵になるったらない。おまけ にどちらも、竜ときたもんだ。 なんだかいっそおかしくなってきて、小十郎はハァとため息を吐いた。 もうこうなったら、どうにでもなれ。 目の前の竜の姫君を鋭い眼差しで見下ろして、それから小十郎は、口を開いた。 「テメェが竜だってことは、わかった。認めよう。認めてやる。」 えらく偉そうな物言いに、背中で姐や二人から抗議の声が上がるがそこはサクッと無視する小十郎 である。肝心なのはそこではない。 「政宗様のことを、どう思ってるんだ。」 ド直球な質問に、今度は姐やたちから抗議ではない声が上がるがそれももちろんサクッと割愛で ある。真剣な眼差しで見下ろされ、落とされた質問にきょとんと首を傾げた は、花も月も霞む 美貌で、それはにっこりとほほ笑んだ。 「"ダチ"です。」 おっとりとした言いざまに、似つかわしくない単語であるが、それに主君が満足そうに、頷くのを 見、それから微笑む姫君の顔に、嘘偽りがないのを見止めた小十郎は、「そうか。」と小さく声を 零した。 「はい。」 まっすぐに、楽しげに、姫君が頷く。それにゆっくりと頷くと、小十郎は床に膝を付いた。 「主君の御友人に対して数々の非礼…お許し下さい。」 見事な男っぷりであった。 先ほどまで怒り心頭であったのもケロリと都合よく忘れて、姐やたちが今度は歓声を上げる。 「いいえ、主君の身を案ずればこそ、貴方の疑念も当然のことです。こちらの事前説明も配慮も足り ませなんだこと、深くお詫び申し上げます…それでも貴方が信じて下さったこと、わたくしは嬉しい。 ありがとう、片倉殿。」 ぶわっとお花を咲かせるような最上級の微笑だった。その隣で小十郎の主君が気恥ずかしそうに 頭を掻いている。 「ah…俺も、説明不足だったしな。悪かったな小十郎、 。」 いえと姫君が言う前に「まったくです。」と眉間にしわを復活させて小十郎は立ち上がる。ウゲエ と上がるいつも通りの声に、かぶさるいつも通りのお説教。 「いいですか政宗様、いくら御友人とはいえその出自も来歴もこちらに伝えず城にお招きになられる のは一国の主としての責任感に欠けるのでは「あーあーあーわかった、わかった悪かった、sorry!」 いえこの際ですし言わせていただきますが「give me a break!!!」 |
(20120624) |