どうにも困ったことだった。大層邪魔で、しかし無闇に邪険にできぬ者を拾ってしまった。
「お願いじゃ、忍。我の仇を討ってくりゃれ。我の恨みを晴らしてくりゃれ。」
 黒々と長い御髪は美しく、ゆったりと腰の辺りにまで落ちている。十二単の色の波。わざわざひとつひとつがとても綺麗で豪奢なものだ。絵に描いたような、とはこういうものを言うのだろうか。白い頬は優しい丸みを帯て、着物の先からちょこんと覗く、指は細く美しい。美しい少女、美しい姫君だ。絵巻の中に住むような、震えるほどの美しさ。
(参ったな…。)
 そう、それで正解だ。それは、あやかし。それは亡者で、亡霊で、寂しい怨霊であったのだ。
 近道に、と山奥の古塚を通ったのが災いした。そこに眠っていたこの悪鬼を起こしてしまったのだ。
 姫が泣く。
 我は殺された、輿入れも決まっておったと言うに、口惜しいことに醜い家督争いの愚策にはまり、族に襲われ惨たらしく殺された姫子じゃ。我の仇を討ってくりゃれ。我の恨みを晴らしてくりゃれ。
 その大きな黒目を涙で揺らして、請い縋る娘は美しい。この世のものならざる美しさ。それはもはや現を離れ、虚と化したもの。人に非らず、恨みと悲しみと怨唆ばかりをまき散らす怨霊だ。薄野原の寂しい幽霊だ。枕部に立つ細い風の音だ。現の影、美しい娘の残像。もういない。いないものなのだ。なのにまだ自分はいると思い込んで、なんて愚か。その意思だけで、こんな淋しい世界に残って、なんて哀れ。
 困ったねぇ、と彼は息を吐き、娘は男をかわいらしく見上げたまま、きょとりとしている。
「あのねぇ。力になってやりたいのは山々だけど、俺は今お使いの途中なの。忙しいんだよーわかる?姫さんの仇討ちの手伝いしてる暇ないの。俺のお使いが終わるのを雇い主が首ながぁくして待ってんの。」
 やれやれと大袈裟な身振り手振りをつけて告げると、なおも娘はきょとりとするばかりだった。
「では我が雇うてやる。」
「そういう問題じゃないの。」
「無駄に忠義者かや。」
「俺はこうみえてまじめなの。」
「なあ忍、仇を討ってくりゃれ。成仏を」
 言いかけた姫子の美しい唇を、指を軽く押し当てて塞ぐ。氷の塊だ。ヒヤリと冷たい。
「ごめんな。駄目なんだ、。」
 それに娘が、はっとして顔をあげる。なぜ、なぜ、なぜ…。その問いが彼女の小さな頭の中で何度も何度も繰り返され明滅しているのが、男には見えるようだった。
「駄目なんだ、。俺にはできないよ。」
 彼女は霧の向こうに目を凝らすように、男を見る。見る。忍の男。めずらしく真面目で静かな口調。
「…さすけ、」
 はっと口元に手を当てた娘が、身震いひとつするとパチンと言う音と共に消えた。後には風が吹く。薄が揺れている。男ももうどこにもいない。古く黒い塚だけが残り、あとにはなにも、なにもない。騒ぐのも嘆くのも、微笑むのも風ばかり。風ばかり。

20080905