(けしょうのこ) |
それは、件の娘と、そう呼ばれていた。 件という妖がある。件と書いてくだんと読む。稀に牛を胎とし生ずるその怪異は、親である牛そのものの体に、人の頭を持ち、そうして未来のことを語るという。凶事であるか吉事であるかはその口を開くまで知れず、語る言葉は必らずや真となるという。乳をのまず水だけを呑んで生き(當然産み落とした瞬間に母親がその異常を感じとり怯えて逃げ去ってしまうということもあろうが)、そしてただの一度、予言を齎すと死んでしまう。 そういう妖がいる。 生まれたからといって、その場で殺されることは少ない。恐ろしく醜く、怪しい獣であるが、それが語るという言葉は人の関心をほの暗い魅力を持って惹きつけてやまない。禍事をのべるか、吉兆をのべるか、口を開くまでとんとしれぬが、先のことがわかると言うなら、それが当たろうとも当たらざろうとも、聞きたいと思ってしまうのが人の性らしい。もしそれが語るが、自らの成功、名誉、富、幸福であるならば、聞かずに済ませるのはあまりに惜しい。ぞんざいに扱って恨みを買い、今際の際に不幸を語られてはたまらない。 平安の世に産まれたそれは天災を予言したというし、東国では飢饉を言い当てたという。人の生き死になどではなく、明日の天気だけ告げてあっけなく身罷るものもいれば、今生きている人間は皆二百年の後には死ぬ、などと子供騙しでも言わぬふざけたことを語った例もあるという。かと思えば、かの蝶紋の天まで羽ばたくこと約束したも件というからわからない。 なかなか話さず、待つときばかりが恐ろしく口を開く前に殺してしまっただの、生まれ落ちてすぐ喋りだしそのまま死んだものもあるという。そのどれもが、生まれて十月を数える前に、死ぬ(予言する)か、殺されるかだという。 神託を齎す神仏の遣いと見なすにはあまりに小物にして奇っ怪、悍ましくも怪しく、かといって捨ておけるようなものでもなく、やはり妖や怪異といった言葉が相応しいのだろう。 さて話は近い過去へ移る。 ある農村の外れに、古びて廃れ果てた庵がある。元は然る小国の主の隠れ庵で、手入れも行き届き、落ち着いてひっそりとした風情でそこにあった。小さいながら庭に畑、鶏や牛もおり、さながら小さな小さな隠れ屋敷。この庵におられる間は、庵の持ち主であるお忍びなのにまったく偲びきれずに正体がばれている城主様御自ら畑を耕し民草の真似事をした。変り者の領主であったが、村のものからは好かれていた。子供らが垣根の向こうから、やれ鍬を握る様子がへっぴり腰だの、苗の植え方がなってないだのクスクス言われて、それに楽しげに答える御仁であったという。 その娘子が病篤く、せめてもと静けさを求めその隠れ庵にやって来たのはもう十数年も昔のことである。痩せた白い顔の、美しいながらも死にかけの、いかにも美人薄命然としたその姫君を、村のものたちは大変に可愛がった。殿に似て心根優しく穏やかで民草にも気安く接する変り者の、死にゆく御姫さん、を殊更に可愛がった。 そんなある日。ある日のことだ、庵の牛小屋で怪異が生まれた。件だった。件は待てど暮らせど一言も発しない。老人たちは揃って口を開く前に殺すが最良だと言い、若い者たちは殺して祟ったらどうするのかと戦々恐々としながらもそれが語るという未来に興味を抑えることができなんだ。そうして結論を任された、しかし優しい姫君は、化け物にすら哀れをかけてそのままにした。彼女の病はだんだんよくなるようだったが、庵に篭ることが増え、次第に庵は荒れていった。気味の悪い件がいては、村人の足も遠ざかり、しかしある日、心配して庵の様子を伺いに出た村人はそこで奇妙極まりないものをみた。 姫が縁側に腰掛けて、穏やかな面立ちでまるく膨らんだ腹を撫でているのである。そしてその膝にはまだ死んでいなかったらしい件が、その頭を甘えるように乗せていたのである。それは生まれた時の顔より、成長して、りっぱな男の顔と見えた。 あなや、姫君が妖に誑かされになったと腰を抜かして逃げ帰り、その知らせを受けて村中で庵に踏み込んだときには、件は姫の膝の上ですでにこときれていた。愛おしげにその件の髪を撫ぜながら、姫は子守唄を歌っておられた。秀でた額に優美な鼻筋。件のの顔立ちはこの世のものとは思えぬ美しさで、だからこそその首のしたに繋がる牛の体が奇怪に怪しく、ますます悍ましいものに見えた。しかもこの件、よくよくみれば微笑しているようにも見える。ぞっとした。恐々件の亡骸を村人たちが膝から下ろす時も、彼女は夢見心地にくすくすとわらうばかりであった。 すぐさま城に遣いがやられ、庵はたちまち騒がしくなった。祈祷師に六部、巫女に陰陽師、果ては高野の聖まで、様々な憑き物落としが呼ばれたが甲斐は無く、しまいに匙が呼ばれ、懐妊に相違なしとの沙汰が出て、ますます庵は重苦しい阿鼻叫喚に包まれた。村の誰ぞが忍び込んで姫に無体を働いたのではとも疑われたが、姫は正気を病んでおり、問い質すことも叶わぬ。 しかし人々はまことしやかに姫は件の子を孕んでいるに相違いないと噂した。 そうして十月十日からちょうど三十日遅れて、姫は子を産んだ。 輝くような美貌の、女の子供であった。 |