(ひくいむし) |
重たい凍み雪が降っていた。 早馬によって齎された手紙に安堵する暇もなく、どうにも妙な胸騒ぎがして、離れに駆けつけた男は、勢いよく開いた襖の向こうに広がった光景に言葉を失う。娘の忘れ形見が、畳の上に体を九の字に折り曲げ、咽喉を両手で抑えて事切れたかのように転がっている。生きているとわかるのは見開かれたままの目がピクピクと痙攣しているのが見えるからだ。すぐ傍に、火鉢の炭と灰が、転がっていた。 「!!」 彼の後ろで乳母が悲鳴を上げる。 「姫様!」 慌てて幼い体を抱え起こすと、焦げた匂いが鼻をついた。 ざっと見回すも娘の球の肌に焼けたような跡はなく、しかし戦場で、嗅ぎなれた臭いを違えるわけがない。肉の焼ける臭いだ―――火を呑んだのだと、悟った。 「、、なぜこのようなことを!!」 ぐったりとした小さな体を揺さぶると、う、とわずかに呻きが漏れる。すぐ匙を呼ぶように動転したままの乳母へ厳しい声を飛ばし、裾が乱れるのも構わずかけていく背中を見送るまでもなく孫娘の顔へ視線を戻す。何故だと呻くような言葉しか浮かばぬ。 何故かなどとわかっていても問わずにはいられなかった。 幼くも聡明な孫娘が、己のなしたやもしれぬ凶事を誰よりも正しく理解して、早まったことをしたのだと、とっくに察している祖父は顔を真っ青にする。 火を呑むだなどと、いったいどれだけの激痛であることか。 手をやった娘の額は燃えるように熱く、しかしその指先は震えて冷たい。と何度か名を呼んで顔を撫でると、うっすらとその目蓋が開いて祖父を見とめた。年に似つかわしくない絶望が、その幼い眼差しに滲んでいるのを見てとり、男は悲鳴ともつかない声を上げるよりない。 「!」 はくはくとその口が動き、しかし娘は顔を引きつらせるだけだ。噫何故もっと、あと四半刻でも報せが早ければと呪わずにはいられない。 「実利は死んではおらぬ!死んではおらぬ!」 その顔に急くようにその言葉を吹きかけると、うつろだった孫娘の瞳からぶわっと滝の涙があふれた。それにうむ、うむ、と目頭を熱くしながら彼は何度も頷いた。それより他に、この幼い娘になにもしてやれなんだ。 「大丈夫、大丈夫じゃ。お前は誰も、殺めてなどおらぬ。お前は誰も、傷つけてはおらぬ。偶然…ただの悪い偶然じゃ。」 そう何度も涙ながらに繰り返しては優しく背を撫ぜ抱きしめる祖父の胸に縋って、は潰れた喉でわんわと泣いた。ひきつった鳴き声を上げる度、気絶しそうな痛みが襲ったが、それよりも安堵の方が大きかったのだ。 焼け爛れた咽喉では、もはや意味のある言葉を紡ぐことはできまいがらそれでもは、もう決して喋るまいと幼い心に固く誓った。 慌てて駆け込んできた匙に手当を施され、首に包帯を巻かれた痛々しい姿でそれでも娘はかすかな安堵すら感じていた。 もう誰も傷つけることはないはずだ。 下手をすれば食事を摂れぬ身になっていたどころか、死んでいたと言われても恐ろしくはなかった。一度呑み込まれた赤い小さな炭は、咽喉に仕えて飲み下せぬままに吐き出された。胃の腑を焼いていたらと思うと恐ろしいと祖父も匙も声をそろえるが、彼女には関係のないことだった。 なによりも、誰か他人を傷つけたくなかった。 そう言うと、優しい娘だと祖父は言ってくれる。 しかしそうではない。そうではないのだ。 娘は自分が恐ろしかった。誰かを傷つけてしまう、そのことがとても、とても、恐ろしかったのだ。悪い偶然だと祖父は言うが、とてもそうとは思えなかった。娘にはこれら一連の出来事が、自らの成した所業にしか思えなかった。 言葉ひとつで人を殺めることができる。それはまるで本当に、自らが化け物であることの証明のようだったから。 |