(ふうま)


 重貞の口から、娘が生まれ、そうして火を呑むに至るまでが語られた。凄惨とも悲愴ともつかぬ、想像に難い人生だ。
 しかしそれを聞いた信玄は一声、なればもう害はないではないかと當然のように声をあげた。
 自ら他人を傷つけ、世の理を曲げること厭ってその咽喉を潰したのであれば、もはや確認する術もないが、例え真実その咽喉が紡ぐ言葉をまこととする力を持っていたとしてもそれは過去のこと、その力は自身の手で正しく砕かれたではないか、と。
 なれど娘は、未だ心安らかにおれぬのです、と祖父が答えれば、いたわしいことよと信玄は思わず天を仰ぐ。
 なんと強く、脆く、危うく、しかしひたすらに優しい娘だろうかと思った。己が咽喉を焼いてなお、己の身に流れているやもしれぬ妖の血に怯え、その力に、その齎す禍に脅え、それを己が望みを満たすために使おうなどとは考えもせず思いも寄らず、ただそれを厭い、そうしてとっくにそれを自ら退けたその自ら持つ強さも知らず、ただひたすらに、おそれ。
 なにも知らぬままに育てたかったと重貞は言い、しかしそれこそ無理なことであったろう。
 人の口に戸は立てられぬ。身内ばかりの城の中、誰に言われるまでもなく、物心ついた時にはすでに、娘は自らが異質な子供であることを理解しておりました、と重貞は言うのだ。
 不義の子、父なし子、件の娘などと呼ばれ、城においては祖父の傍の他に身を置く場所などなく、十七まで祖父の袂に隠されるようにして育った。しかしその祖父亡き後はいったいどうなることであろう。
 そればかりが未練でなりませぬ、と気弱なことを漏らす臣下にも、彼は涙が溢れそうになるのを禁じ得ない。
「よかろう!相わかった!」
 力強く頷けば、思い立ったが吉日とばかりに拳を握る。
をわしのもとであずかろう。奥付女中として召しかかえる。」
 その言葉に今日一番の、晴れやかな笑顔を重貞が浮かべた。そうすると往年の、健やかな面影がその見目に帰って来る。薫風の吹き渡るようじゃ、と信玄はその様子をやさしく見下ろした。
「お主が無事平癒し、躑躅ヶ崎館に仕えられるようになった折には、ぬし付に戻してもよい。」
 返してほしくば早く治すことじゃ、といかにも人が悪そうに笑って見せる信玄に、これは異なこと、と重貞が屈託なく笑い返す。
「存分に仕込んでやってくだされ。」
「おう、任されたわ。」
「不束者ではございますが、少なからず、お館様のお役に立ちましょう。あれはもうずいぶんと、私の周りの世話など教え込んできましたから。」
 なるほどもうすでに、一国一城の主の世話をするほどには作法所作等身に着けているわけだ。そこに加えて甲斐の虎の懐、そこで作法や教養をさらに身につけ、奥女中としての職を得てそこで生きるもよし、他の者と触れ合い、世界を広げるもよし。そうしていつか、自分を厭わぬようにあれれば。
 娘の見る世界は変わるかもしれない。
「ううむ、しかし重貞よ、」
「なにか?」
 きょとりとした臣下に信玄が片方眉をあげる。
「お主嫁げぬ嫁がぬなどと言いながら、しっかりと教育しておるではないか。」
 その言葉に重貞は見る間に破顔した。
「なに、曽孫の顔を見るまでは死なぬ所存でおりますれば。」