(なくひと)


 ぶつかった人を見下ろして、幸村ははっと息は飲んだ。。泣いている。
 その光景は、衝撃以外の何物でもなく、いっそそれは、女性の前にあって彼には常にないといってもいい鋭い冷静さをもたらした。
 昼日中の光の下で泣くは、痛々しかった。夜中、一人で泣いていた姿は、どこか幼子のようで、頼りなくはあったけれどもこんなにも痛ましげではなかった。
 の夜を切り取って嵌め込んだような目蓋から、ほろほろと透明な雫が落ちている。悲しみ苦しみに喘ぐように、彼女は一度咽喉をふるわせた。憔悴しきって、それはまるで溺れる様を見るように痛ましい。傷つけられたのだと一目でわかった。
「どうなされた。」
 娘が答えられぬことなど知っているが、それでも問わずにはおれなかった。力なく首を横に振る様子は、今にもその場にくずおれてしまいそうに儚いものに見える。それは彼には、何よりも頼りのないものに写る。夜更けにひとりさめざめと泣く、その静かな、夢のような風情はそこにはない。ただただ怯えて、傷ついている、悲しい混乱が覗くばかりだ。
 眺めるだけで胃の底がぎゅっと熱く震えた。
 何があった。
殿、」
 何故か責めるような口調になって、彼は内心多いに慌てた。を責めるつもりなど毛頭ない。混乱しているのか逃げようとするの細い両手首を掴んで、彼はグイと彼女を引き寄せた。
「どうなされたのだ。」
 今度はことさらに、優しい口調を意識して言葉を発した。するとどうしたことか、思った以上に甘やかすような響きになっていけない。
 自らの言葉の響きに、なんとなく幸村は赤面した。
 しかしは涙をこぼしたまま、いやいやとするようにただひたすらに首を横に振るばかり。見下ろす幸村と目を合わせようともしないその様子に、不安がむくむくと大きくなる。
 この手を離しては、はこのまま一生手の届かぬ遠いところに行ってしまうのではないか。
 ふいにそんな気がして握った手首に力を込める。
 ぎりりと細い骨が悲鳴を上げるような感触が手のひらの中でして、幸村は慌てて手の力を緩めた。折れてしまうと当然のように感じた。
殿、」
 緩く、けれども振りほどかれたり離したりしてしまわないように握り直した手首の細さ白さに改めて感嘆しながら、努めてやさしく覗き込むようにすると、はその視線をすらおそれるようについと目をそらす。すっかり青褪めて血の気の失せた頬がかわいそうでならなくて、幸村は眉を下げた。
「とにかく泣いておられては何もわかりませぬ。」
 どこか休める所へと手を引くとそれでもなおは首を横に振った。
 放っておいてくれ、ということだろう。
 しかしそれでもいささか強引に腕を引くと、抵抗する力もないのかふらふらと幸村に続く。一体何があったのか。我がことのように痛む胸を抱えて、それがどういうことかと思考を巡らせることなど思いもよらず、あまりに軽いの腕を幸村は引いて歩いた。