鳥籠に自由を奪われた君を僕はみたくないから、その羽を傷つけないようそっと空へと放したのに、君はどうして迂回して僕の手に戻ってくる。僕は優しくないから、その時は野ばらの少年のようにその羽を手折ってしまおう。だからお逃げ、僕の手の届かない空へ。
「なに窓見てぼうっとしてるの、ルーピンせんせ」
「いや、なんでもない。」
「ここからかわいい子でも見える?」
「ここからは校庭が見えないのは君も知っているだろう?さぁ紅茶が冷めてしまうよ」
は私が先ほど淹れたお茶に角砂糖をみっつ落とすと、ミルクを加えてスプーンでティーカップに小さな渦を作った。私もそれに倣って自分好みの紅茶に仕立てると掬いあげるような手つきで口元へと運ぶ。呆けていた時間だけ紅茶の熱は引いていて、はそれが不満そうにちらりと私に視線を向けながらティーカップに口をつけた。
「ひがみ。昨日フラれたの、わたし。今多分その人外で箒とでも戯れてると思う。」
「ほう、それで今日はここに?」
「別にそうでもないけど」
「大体がここに来るときはフラれた、って愚痴をこぼしに来ていると私は思っているが?」
「せんせ、わたしそんなにフラれてない」
あからさまに失礼だ、というようには眉をひそめて籐で編まれたカゴの中のクッキーをひとつまみするとそれを見た私は微笑んだ。はいつ頃からか頻繁に私の部屋へ出入りする生徒の一人になった。至って彼女は同い年のハリーたちとは何の面識もなくて、彼女自身はレイブンクローの寮生である。いつ知れず授業で彼女を一目見たとき、その東洋系の顔立ちからなのからなのか、その雰囲気からなのか、私にもいまだによく分からないが、とても強く何かに惹きつけられたのだ。案の定、は風の噂で私の淹れる紅茶がおいしいと聞き、春風のように舞い込んできたのだが。もし学生時代にこのような子がいたらきっと自身の身の程までをも差し置いて君のすべてを追いかけていたかもしれない。
「もしアンジェリーナみたいにかわいかったらわたしもフラれなかったのかな」
「君はそのままで充分だと思うけど」
「下手な慰めの言葉はいいの。彼、アンジェリーナが好きなんだって」
「・・・恋とは図らずともそういうものさ」
「先生も恋したことがあるの?」
あるさ。首を傾げてまたひとつ、クッキーをつまもうと伸ばす細い手を掴んでしまいたい衝動に駆られて。これを恋と呼ぶならばそうなのだろう。胸が苦しくて、君を想うと切なくて、その体に触れたくなるんだ。闇に包まれたら溶けてしまいそうな絹みたいな髪に手を差し込んで抱きしめたくなるんだ。
「先生が好きになった人、わたし見てみたいな」
「そう簡単に君に私が教えると思うかい?」
「あっ先生イジワル。先生はここ一年のわたしの好きだったひと知ってるくせに」
その度にその濡れた瞳を見てきた。初めは本気の恋が多くて、僕ではない誰かに向けられた愛の言葉を交えながら本当に楽しそうに声をはずませて、その恋が終わりを迎えるとはずんでいたはずの声は枯れてそうして僕の下へ帰ってくる。折られた羽をいたわるように、慈しむように、君は僕の籠へと居ついた。僕が何度籠から君を解き放とうとも、君はその無邪気な笑顔で僕の下へ帰ってくる。いつしか、その所作すべてを愛しいと思えるようになった頃、窓辺から外を覗いた僕は木陰で君と誰かが口づけを交えているところを見てしまった。満月だったその日に僕はいつもより早く叫びの屋敷へと赴いた。不思議と、僕の心とは裏腹に雲のない見事な満月の夜のことだ。気づけば朝が来ていて、血は至る所に流れいつもより痛む体を初めて心地良いと思ったのはなぜだろう。心の痛みを体の痛みによってなくそうとしていたかもしれない。マダム・ポムフリーは普段よりも傷が多い僕の体を見て、顔をしかめたけれど僕はそれに苦く笑うしかなかった。寂寥感を拭うためには自分を傷つけることが一番だと昔から知っていたからだ。
「先生、もう少しここにいていい?なんだか授業に出る気分じゃないの」
「、ここは医務室じゃないんだよ?」
「医務室はいや・・・ここがいいの。先生、すこし寝るね」
そう言っては椅子にかけたまま眠りに落ちた。陽だまりにうっとりとするように目を伏せ、長い睫毛が頬に影を落としている。しばらくすれば寝息を立て、生きている証拠に体がかすかに上下する。に吸い込まれていく酸素までがもはや恨みがましい。君を巡るものは原子の集合体であってはならなくて、どうして僕ではいけないのだろうか。頬に触れれば滑るような肌に僕の手が傷つく。
今宵は満月だ。君はこれからもいくつもの恋と、友情と、青春を、僕の知らないことを学び僕の知らない道を歩むんだろう。君はいつも光り輝く陽のもとで笑っていればいい。君が僕の何もかも知っていてくれたなら。嘘だ、なにも知らない君でいてほしい。傷つけることしか知らない僕は君をどうやって愛せばいいのかと満月の夜、自分に問う。傷つくことしか知らない僕はどうやって君から愛されればいいのかと満月の夜、君に問う。
健やかに眠る横顔に、その白い首筋をあまく噛んだ。この歯が月夜の下の刃だったのなら、と思う。君を傷つけることしか知らない僕は君を僕と同じ闇へと誘うことしかできないのだから。首筋に感じた違和感に気づき、くぐもった声を発する前に君の唇を塞いでしまおう。君が僕の籠に戻るたびに君は君を傷つけていたんだ。今宵古びた洋館で、埃まみれの床に君を組み敷いて、君の耳元で優しく囁こう。
おかえり、
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090318 一花