私がこの世界に迷い込んで、2度目の満月の夜。見事な中秋の名月の下で、お館様が、月見酒じゃァアァァアァ!と宴を始めた。
それとは知らず縁側で涼んでいたら音もなく佐助が背後に立ち、嬢も早く来なって皆お待ちかねだよ、と笑った。




「…、…びっくり、した…!」
「ひどいな。普通に歩いて来たのに」
「忍者の動きなんて、分かるわけないでしょ!」
「まァ、嬢に気取られるようじゃ、俺様も知れたもんだよね」
「…!」


少しだけ屈み、佐助が私の腕を取るとひょいと持ち上げられる。こんなにも軽い動作で全体重を引き上げられると、ついつい油断して食べ過ぎてしまうなと見当違いな事を考えていると、忍は小さく笑って、行こう、と。




「おお!ようやく来よったか!」


お館様は大きな杯を手に、私を横に座らせた。内輪だけの宴席とはいえこんなお偉方の隣に、と焦ってはみたものの、誰もそんな事は気にしていない様子で、とりあえずお館様に酌をしてみたりする。
すると、口いっぱいに肴を詰め込んだ真田の旦那(佐助がこう呼ぶものだから私まで時々こう呼んでしまう、)がくいっと酒を呷り飲み込んで、殿!と目をきらきらさせて言う。


「某、未来の話が聞きたいでござる!この間は確かほっとけーきという甘味の話の途中でござった!」
「ほう、ほっとけーきとな。それはまた面妖な名の甘味よのう!」
「蜜をかけて食うのだそうですぞ、お館様アアァァア!」
「ゆきむるゥァァァアアアア!」
「うおおお館さぶァアアアアァァ!」

ドオンッ、と派手な音がしてお館様が幸村をぶっ飛ばした。近くに転がっていた酒瓶がおおいに心配だったけれど、それは佐助がすべて回収していて、2人が宴の輪から飛び出して庭で殴り合いを始めた頃に、彼はそっと私の杯に酒を注いでくれた。


「まァた始まったね。こうなっちゃったら月見どころじゃないなァ」
「毎日よくやる、ね…」
「元気な証拠、ってね」

佐助は目を細めて、熱く殴りあう2人を眺めていた。私はお膳に載せられた肴が美味しくて黙々と口に運ぶ。
ふと庭から、ゴオォォ、と風を焼くような音と光。佐助が少し慌てたように立ち上がって、オイオイ、と出て行く。


「旦那ァ!火は止めてくださいよ、火事になっちまいますって!」
「むう!」
「ふっ、慢心するな幸村ァァァア!」
「うおおおお館様ァアアア!」
「ああもう!」


佐助も交えての修行は少々熱を増したようだった。どうしようか、と、ひとり杯を空けるとアルコールが一気に身体中を駆けて、くらり、と。
急激に火照った頬を冷やさなければ、とふらつく足元を叱咤して、柱に掴まりながら風通しの良い場所へと歩く。
背後から、何かが壊れる音と、お館様の怒号と、幸村の気合いと、佐助の困ったような声が聞こえてくる。その様子に思わず笑ってしまった。私は酔っ払っているのかもしれない。


喧騒は相変わらず聞こえてくるけれど、そう近くでもない。鈴虫か蟋蟀か、ちりりん、と鳴く。少しの冷たさを帯びた風が頬を撫でて心地良い。
縁側に腰をおろし、足を伸ばす。炎とは違う明るさに夜空を見上げれば、見事なほどにまん丸な月が出ていた。
街灯やネオンの光のない夜に、この月明かりは本当に心強い。
あの影の形はうさぎに見えないこともないな、と呟く。すると影が少し動いたような気がして嬉しくなった。


「いやらしいな、1人でにやにやしちゃって」
「…、びっくりした…!」
「忍者らしいでしょ?」
「…え、あれ、だって、え、火事は?」
「あっちは分身に任せて来ましたよ」
「…!」
「ひどいよなァ、ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃうなんて」

佐助は眉を顰めて隣にどかりと座った。手には甕と杯が2つ。
はい、と赤い塗りの杯を渡される。両手で受け取ると、まァどうぞ、と注がれてしまう。もう酔ってるのに、と言えば、今夜は無礼講、と笑った。
お酌を返して、2人で密やかに乾杯をする。遠くではお館様の気合いの漲った声が響いていた。


「今夜はまた、綺麗にまんまるなお月サンだね」
「うん、」
「何を笑ってたんでしょうかね、嬢は」
「えー、うん、まあ、色々と…」
「どうせ、あの影がうさぎに見えるとか、そんな所だろ」
「…、…!」
「酔っ払いの考えそうな事だねェ」
「…佐助だってすぐに酔っ払うに決まってる!」
「オイオイ、忍をなめてもらっちゃ困る」
「ふうん」
「偵察中に酒で潰れるなんて、笑えないでしょ。…どうぞ」
「…、もう飲みすぎてるんだけど」
「平気平気、嬢が潰れたら俺様が部屋までちゃあんと運びますって」

にやっと綺麗な双眸を細めて、あとで駄賃は頂くけどね、と。

「…、お金せびろうっての…!悪いけど1銭もないよ」
「…あ、…うん、そう、うん(道のりは険しいなァ)」
「あー駄目何かもう暑いし…涼みに来たのに…って、あれ、お館様…?」
「ああどうやら決着ついたようだね(ああ残念)」
「おう!こんな所でコソコソとォォオ!儂も混ぜぬかァァァ!」
「大将、どうぞこちらへ」
「うむ!…ほう、見事な満月じゃ!なあ、よ!」
「は、はい…!」
「うおおおお館さむぁあああああ!ご覧下さい見事な月に御座いますぞォォォ!」
「うむ、見ておるぞ幸村ァァァ!」
「うおお館様ァァァ!」
「ささ、旦那、月見団子がありますよ。どうぞ」
「おおおお!」


皿に綺麗に盛り付けられた団子に手をつけ、頬を綻ばせる幸村に、佐助は苦笑しながら、旦那喉に詰まらせないで下さいよ、と諌め、お館様はお館様で、件のほっとけーきが気になるらしく、詳しく話してみよ、と笑う。
私が四苦八苦してホットケーキの何たるかを伝えていると、佐助も興味深そうに聞いていて、彼のそんな様子を見た幸村が、佐助よほっとけーきを作れ、等と言うものだから余計にこんがらがってしまい、結局はまた例の修行が始まった。(「うおおおお幸村ァァァァァアア!」「うおおお館さぶぁあああああ!」)


「あーあ。こりゃあその、ほっとけーきとやらの作り方を教わらないと」

旦那はそういうの執念深く覚えてるから、と小さく笑って、杯を傾けた。


「蜜をかけるんだろ?」
「うん。形はまんまるで、ちょうどあの月みたいに」
「へえ。何だか美味そうだねェ。…、勿論、嬢も手伝ってくれるんだよね?」
「え!」
「俺様1人じゃ作れないんだから」
「…ざ、材料が…」
「あるものでどうにかするさ」


じゃあ早速明日にでも、と言いながら杯を持たされる。本当に潰れるよ、と睨み付ければ、構わないって、と彼は笑う。
こうなったら飲み比べだ、と言わんばかりに杯を呷ると、いい飲みっぷり、とまた1杯。
ぼんやりと熱に浮かされたような視界には、ぽっかりとホットケーキが浮かんでいた。



ホットケーキと兎