夜の帳はすでに降り、フクロウが遠くで声を響かせながら、月との面会を喜んだ。
 ハリーがルーピンのもとを訪れるのは木曜日の夜8時。がルーピンの部屋を訪ねるのは金曜8時の晩だった。





蒼い月に木霊する





「それで、他にはどんなことがあったんだい?」

 ルーピンは表情に優しさを宿らせた。目がやわらかく細められ、は彼の視線に触発されてしまったように、思わず出されていたホットチョコレートのカップを両の手に収めた。
 一週間の日常を終え、休日を待つ。残り数時間のあとわずかな平日。
 ルーピンの部屋は寮の談話室ほどの賑やかさはなかったが、とてもあたたかく、ここで過ごす時間はの一週間のいつよりも尊いものだといえた。

「あとは――…」

 授業中にあった笑い話や、ちょっとした事件。そして困った出来事などを、思いつくまま並べていく。ルーピンの「うん」、「あぁ」という相槌は、をおしゃべりにさせる効果があった。


 ざわり、と。窓の外で木々が唸った。は気を取られそちらを向く。
 …――満月が近い。
 夜にしてはやけに明るい空が、月の満ち欠けを告げていた。フクロウが応えるように鳴き声をこだまさせる。
 と同じように外を見上げていたルーピンは、いつもより落ち窪んだ目をしていた。


「……わたしの話より、先生の話を聞きたい」


 おや、とルーピンは眉を上げた。「私の話など何も面白くはないよ」
 「それでも聞きたいです」――の我が侭に、ルーピンはいや…と首を振った。

「私は、君の話を聞いている方が楽しいよ」
「…じゃあ、今日はもう話しません」
「どうしてだい? あぁ、もうスネイプ先生にはいじめられたりしていないかい?」
「また……! そうやって、わたしの話にもっていく…」

 先生…。毒の息でも吐くかのように、はひそめた声で呼んだ。

「なんだい?」
「今夜は――、月が、蒼いですね」


「あぁ………いやな夜だ」


 いつもの穏やかな目ではなく、ルーピンの目はぎょろりとしていた。獣の、狼のそれを連ならせる。
 は禁句を発したのだと我に返って口を押さえた。唇がガサガサしている。その乾きが室内の乾燥から来るものか、緊張から来るものか。――前者ではないのだろうと、は喉を鳴らした。


「ご、めん、な…さい…」


 ごめんなさい。は繰り返した。

 ルーピンはあまり自身のことを話さない。
 人浪であることをに打ち明けてくれたのも、がスネイプから『人浪について』のレポートを特別課題に出されたからだ。羊皮紙二巻き分も人浪について調べれば、書き上げる前に、『闇の魔術に対する防衛術』の新任教師、リーマス・J・ルーピンの正体が浮き彫りになっていくようだった。
 仕上がったレポートを、スネイプではなくルーピンに差し出したとき、彼は今と同じような表情を浮かべていた。


「――いいよ。君が謝ることじゃない」


 が想像していたよりはるかに落ち着いた声で、ルーピンはの肩に手を置いた。

「それより、スネイプ先生にはもう無茶な課題を言い渡されたりしていないかな。別の寮の生徒にいじめられたりしていないかい?」

 はふるふると首を横に振る。
 肩に置かれた手がとてもあたたかい。はあんなにも温度のない言葉をぶつけてしまったというのに。

「ああ、別の寮生に限られたことではないね。ピーブズの悪戯にかかったりはしていない? 何かあったらすぐ言うんだよ?」

 それとも、もっとが活躍した話も聞かなくてはね。
 ルーピンは穏やかに目を細める。の話を聞くときの、いつもの相槌となんら変わらぬ様子で。


「ごめんなさい…」
「そんなに謝られてしまうと、僕の方が申し訳なくなってしまうよ」


 少しおどけた様子で肩をすくめたルーピンに、は無意識に強張らせていた身体を緩めた。

「でも、先生…もうすぐ満月なのに…」
「それは私の身体を気づかってくれているのかな。――だとすると嬉しいよ。身体の不調なんて、どこかへ行ってしまうほどにね」

「そんなっ、休んでいなくていいんですか? 先生、本当に顔色が良くない…!」
。明日と…明後日の休日は、一緒に過ごせそうにないんだ。それに、次の授業もきっとでられない」
「じゃあ、じゃあ……」
「だからこれは私の我が侭でいいから、今日くらいはいつもと同じように、君と過ごさせてくれないかい?」


 ここで語尾を上げるのは、彼の人柄が成せる業だとは断る言葉を呑み込んだ。断れるはずがない。
 ルーピンはそれをわかっていて疑問符をつけてきたのだから、――彼はよりもずっと大人で、会いたい、共にいたいと願うのはばかりだというのに――「ごめんなさい」はもう一度謝った。

「謝らないでと言ったばかりだろう?」
「だって、わたし先生にさっき酷いことを言った。それに、今も先生を困らせてる」
「君は事実を口にしただけで、何も酷いことは言っていない。そして私は困ってなんていないよ。」

 肩に置いていなかった方の手をの頭の上にのせて、ルーピンは眉根を寄せて困ったように笑っている。なのに困っていないと言う彼に、は胸の奥をぎゅう、と潰される思いがした。

「謝らせてもくれないの…?」
「じゃあ、私にも謝らせてくれるかな」
「先生に謝られるようなこと、何も」
「こんなにも優しい君を、謝らせてしまってごめん」

 それから、今夜は私と一緒にいてほしい。
 ルーピンはの身体にのせていた手に力を加え、を腕の中に抱き締めた。





来週の今日、また君の話を聞かせておくれ。


07/10/17