Good night, sleep tight,
Wake up bright
In the morning light
To do what's right
With all your might.

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 近頃のわたしといったら睡眠障害もいいところだった。犬、猫、ユニコーン、ついでに悪戯好きなピーブズですら静かにしている時間になっても、まったくといっていいほど眠れないのだ。温かなベッドの中でまどろむこともなく、ただ無闇に何度も何度も寝返りを打つことしかできない。ゴロリと窓のほうへ寝返りを打ったら朝陽とご対面、なんてこともある。そうして積み重ねにより、わたしの目の下の隈は日に日に濃くなり、ついにはマダム・ポンフリーの薬にまで頼る始末。夢を見ずに深い眠りにつくことのできるその薬は重宝したけれど、いつまでも薬に頼ってなんかはいられない。薬物中毒になることはないだろうが、あまり頼りすぎて依存になってしまうことは避けたかった。もしもそれが無くなってしまったら、と考えることが恐ろしくなったら終わりだ。


 だから、毎回誰もいない部屋でひとりさみしく睡眠導入剤として選んだ推理小説を読むのだけど、やはりというべきか、一向に眠くはならないのだった。わたしは大層参り、それが1ヶ月ほど続いた今、いい解決策もみつからないので改善することも大分諦めてしまっていた。最初の頃はたかが睡眠障害と思っていたのだけど、されど睡眠障害。学校生活をする上での睡眠障害はバカにできなかった。侮りがたし睡眠障害。舐めきっていたわ。今度からは眠ることのできる幸せを噛み締めなくてはいけない。それも、今の障害が回復してからの話なのだけど。



 目の前でパチパチ爆ぜる暖炉は小気味いい音をわたしに与えてはくれるけど、睡魔を与えてくれることはなかった。このままではあまりいいとは言えないわたしの成績が、余計に下がってしまうだろう。眠れなかった翌日のわたしは通常より授業をきくという能力が衰えてしまうという、厄介な障害がでていた。けれどこういう暇な時間に勉強をすればいいなんて考えは怠惰なわたしにはなかったので、とりあえず読んでいた推理小説の犯人とその動機がわかってしまったところで本を閉じた。

 談話室は誰もいない。暖色のキルティングが、わたしに寝なさいといっている。時計をみてみたら、既に長針と短針の二針がてっぺんをとうに過ぎていた時分だった。ああ、寝なくちゃ‥。
 この場合の寝るは、ベッドに行こうという意味で、眠るという意味ではない。一度不眠になってしまうと、ぐっすり眠ることがとても難しくなる。一日を区切る時間がないのがここまで怖いことだなんて。抑揚のない世界でただ目を開けているのは思ったよりも恐ろ しいことだった。


 どうせ今日も眠れないに決まっているけど、体は休めておくにこしたことはない。
 のろのろとした足取りで寝室へと向かう。わたしの睡眠障害を知っている友人たちは気遣ってくれているのか、他の部屋へとお泊りしにいってくれている。だから、扉を開けた先には誰もいない(はずだった)。なのに、チェストのランプが点いていたので、あれ、と思った。わたしはランプを点けっぱなしにしたまま部屋を留守にしていたかしら?ううん、そんなことはないはず。たぶん友達でも来て、消すのを忘れて帰っていたのだろう。
 ランプの細い灯りを目指してベッドへと近づくと、すぐ傍に濃い影があることに気がついた。はっきりした影は人のかたちをしている。ルームメイトにしては背が高い。

「だれ」

 声を掛けながら、わたしは目を細めた。いるはずのない部屋に誰かがいるなんて、ホラー映画もいいとこだ。生憎、ホラー・ミステリー・sci-fi、全てが許容範囲であるわたしは怪訝には思ったけど、怖い、とは思わなかった。ゴーストにしては影が濃い気がする。だとすると、人間?それならばあれは一体誰なんだろう?

 暗闇を背負った人影が、こちらをみているのが気配でわかった。もしや泥棒か?と思って、わたしは身構える。同時にしまった、と自分の失敗にも気付く。杖はベッド脇のチェストの上だ。杖を携帯していない魔女なんて、笑止千万、何の役に立つだろう?ご先祖さまに笑われてしまうわ。
 焦ったところで、人影が消えることはないし。‥それにしても本当に泥棒だったらどうしよう?泥棒でなかったとしても不審者には違いないので大声をあげてみようかと、遅い判断にそろそろと口を開きかけたときだった。光の当たらない常闇から声がした。それは先ほどにわたしが投げかけた問いに対しての返答だった。

「ごめん、僕だよ」
「‥あー、リーマス?」

 まさか泥棒が名乗るわけがないと思って、警戒を解く。わたしの耳がおかしくなければ今の声は、リーマス・ルーピン、そのひとだ。実際声の主はリーマスだと名乗ったので間違いないだろう。
 
 リーマス・ルーピン。グリフィンドールの監督生であるくせに学校一の有名人、悪戯仕掛け人たちのひとりで、見た目だけは人畜無害。その割、時々意味もなく意地悪をするのでひとは見かけで判断してはいけないと悪戯をされる度に思う。そして忘れてはいけない、リーマスはわたしの恋人でもある。だからといって付き合い始めてからまだ長くないので、こういうことは初めてだった。

 わたしの頭は瞬時に彼についての情報を引っ張り出しつつ、同時にどうしてここにいるのかを不思議に思った。こんな時間、しかもわたしの部屋に、どうしてグリフィンドールのリーマスがハッフルパフにいるのだろうか?おかしいな、寝ぼけてるのかしら。
 そもそもどうやって女子寮に‥、とも思ったけど彼が悪戯仕掛け人のひとりであることを考えれば、それはそう難しいことではないのかもしれない。ともかく、リーマスはこの空間からひどく浮いていた。

「君が眠れないと知って、来たんだ」

 リーマスが言う。あれ、話してないはずなのにどうしてわたしが眠れないことを知っているんだろう、と首を傾げかけて、すぐさま友達や先生方が恋人である彼に話したに違いないと思った。最近、殊更睡眠障害が過剰になってきていることを、彼らはとても心配していたのだ。

「藪から棒に、なに、どうしたの?来てくれたのは嬉しいけどさ、こんな時間に女子寮に来るなんて、もしかして寝ぼけてるの」
「この通り頭はすっきり冴えてるよ。邪魔なら帰るけど?」
「‥ううん、邪魔じゃないよ。けどさ、」

 ごにょごにょとお茶を濁していると、リーマスはそれをどう理解したのか「じゃあ、そういうことだから、いいよね」とだけ言ってわたしの言葉など聞かずに靴を脱ぐと、ベッドに潜り込んでしまった。わたしの、たったひとつのベッドに、だ。
 な、何をしているんだろう、このひとは‥。突飛すぎる行動にただただ呆然である。そして硬直しているわたしに向かってリーマスはベッドを指差しながら、寝れば、とこれまた不親切すぎるほど端的に言うのだった。

「待ってよ。そういうことって、どういうこと?」
「眠れないがかわいそうだから僕が添い寝でもしてあげる」
「‥‥‥いやいや!遠慮します」
が望めば御伽噺でも語らってあげるけど?」
「‥‥あのね、」
「寝なよ」
「‥寝れないよ」
「どうして」
「どうしてって、‥わかるでしょう?」

 この部屋は、深夜ということを抜きにしてもとても静かで空気が澄んでいる気がする。その中でリーマスはわたしのベッドで眠ることなく目をぱっちり開けながら、じっとこちらを見つめてくる。それがちょっと異質に思えてならない。寮も性別も異なる、付き合っているといってもそれほど密接な繋がりがあるわけでもない、恋人というより友達に近い存在だったリーマスがいまや目の前にいて、眠れないわたしに向かって、むずがる子供に言い聞かせるようにおだやかに話をする。そして驚くべきは自分の眠るベッドで一緒に寝ろと言う。‥やっぱり、異質だわ。

「別にそんな心配しないでも、ただ眠るだけだよ。シリウスじゃないんだから」

 なんだか友人に対してひどいことをリーマスが呟く。その上女としてのプライドを刺激された気がするのは、気のせいだろうか(わたし、そんなに魅力ないのかな…)。むっとしたが、ここでこれ以上押し問答したところで、きっと埒が明かない。彼はこう見えて、意外と強情なのだ。一度こうと言ったら通すまで諦めない性格をしていることは掌握している。

 わたしは素直にベッドへ体を滑りこませて、横にいる彼の端整な顔を極力みないように視線を逸らした。リーマスは暫く焦点をわたしへと合わせていたけれど、焦れたように立てていた腕をこちらに伸ばし、髪の毛をつんと引っ張った。「痛っ」と不満を漏らせば「なんで逸らすの」と、どうやらご不満らしく咎められる。わたしは胸中で案外わがままな彼に嘆息を吐きながら、お望みどおり体を反転させた。目を開けているのは気まずいので、さっさと目を瞑る。願わくは顔が赤くなっていなければいい。もっと欲を言うならこのまま睡魔が訪れてくれればいいけれど。


「どうしたの」
「なんでもないよ。呼んだだけ」
「ふうん‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」

「‥なに」
「ううん、なんでも」

 しばしの沈黙。からかっているのか、このひとは。

「‥‥あのさあリーマス、本当はあなたが眠れないだけなんでしょう」

 なにか読めた気がする。わたしがため息と共にそう言うと、目を瞑っているのでみえないのだけど、気配でリーマスが意地悪く微笑んだのがわかった。

「よくわかったね」
「わかるよ、リーマスのことだもん」
、」
「これで返事して“また呼んだだけ”って答えたら怒るからね」
「違うって」
「じゃあなに、どうしたの。今日ちょっとヘンだよ」
「うん、なんか変なんだ。だから僕がどこか変でも笑って許してね」

 含むような物言いになんだろうと思っていると、もぞりとリーマスが動くのがわかった。腕が腰のあたりに回されて、及び腰になったけど、なんのことはない。ただ抱きしめられただけだった。これについては何度か経験があって耐性があるので平気だ。というか、食べてるのか疑ってしまうほどリーマスは細いので、恥ずかしさよりも心配のが先立ってしまう。



 リーマスは小さく息を吸い、呼気と共にわたしの名前を呼んだ。つむじの辺りで呟かれた自分の名前にこそばゆさを感じながら、なに、と返すと、暫くの間の内、とつとつとしたリーマスの話し声が振ってくる。何か押し込めていたものをゆっくりゆっくり吐き出すような、そんな声音だった。

「怖いんだ」
「‥こわい?」
「うん」
「何が」
「色々と」
「‥色々と?」
「うん、ほんとにたまにだけど、不安に駆られるんだ。何でかな、わからないけど、無性に怖くなる。だから今日はちょっと変なんだよ、僕」

 話し終えて、今度は身動きひとつしなかった。沈黙が訪れる。この場合、わたしが何か言うべきなんだろうか。彼の話は抽象的過ぎてよく理解できなかったけど、とりあえず、リーマスが何かに悩んでいることはわかった。偽善ではなく、助けてあげたいと思う。恋人だから?わからない。ただ、不安があるのなら取り除いてあげたいと思った。

 わたしに眠れない恐怖が付き纏っているのと同じように、彼にも恐ろしさがついているだろうか。何かを恐れているのなら、護ってあげたいと思う。これが庇護欲なのかな。少し考えて、違うと感じた。これはそんな言葉で表せられる様な感情じゃない気がする。

「ごめん。変なことを言ったね」

 リーマスがそう言い終わる前に、わたしの唇は既に言葉を紡いでいた。反射だった。 

「いいよ、もっと弱みをみせればいいと思う。わたし、頼りないだろうけど、頼ればいいよ。受け止めてあげるよ?あ、そうだ。抱き枕みたいに、もっとぎゅっとしてみて。そうすると、心が落ち着かない?わたし、夜遅くに怖い映画みちゃった日の夜は決まって抱き枕を抱きながら眠るの。そうすると、怖さが自然と感じなくなるんだよね。‥どう、効果の程は」
「‥てっきり、子供みたいって、笑い飛ばされるかと思ったんだけどさ。が僕を励ましてくれるなんて、思わなかったよ」
「わたしって、健気だよね。もっと褒めればいい」

 手を毛布から出して、リーマスの髪をくしゃりと撫でてやる。彼は嫌がったけど、その様が何だか面白く感じたので、もっと撫でてやった。ほんのすこしの格闘の後、リーマスは抵抗をやめる。頭を撫でられるのが不服らしいけど、いつも余裕そうな笑みをみせて掴みどころのないリーマスが、このわたしに弱みを見せてくれた事が嬉しくて、何より愛しさがやまなかったので、気が済むまで愛でることにする。

「あとね、リーマスもっと食べなよ。がりがり」
「‥寝る」

 子ども扱いされたのが勘に触ってしまったのか、がりがりだと言われたのが彼の矜持に傷をつけたのかわからないけれど、ぷいとそっぽを向かれてしまった。かわいいやつめ。ランプの光を消しながらもへそを曲げてしまった彼のその後姿に、わたしはつい微笑みを零してしまうのだった。

「おやすみ」

 今日はわたしもリーマスも、上手に眠れる気がする。 




2008/06/18( シチミへ! )