日が暮れるのがずいぶん早くなった。まだ夕方の早い時間だというのに、太陽は冷たい風に押されてどんどん傾いていく。空の端っこのほうで、薄く広がった雲が照らされていた。同じように空気も、髪の毛も、繋いだ手も茜色に染められていく。 「ここらにたいぎゃ美人さんがおるとよ」 ぽつりぽつりと話していたら、急に千歳がそんなことを言った。手の力を少し緩めたと思ったら、もぞもぞと握りなおして、やわらかく力を込める。行き先も聞かないままこうして歩くのは、嫌いではなかった。それにたとえ訊ねたところで、千歳自身も行き先を知っているとは思えなかった。足の向かう先は風任せなのだ。手を軽く揺らして、「美人さん?」と相槌を打った。こうして歩きながら千歳の言葉を聞くことがいちばん安心する、と思いながら。 「目がくりくりで、可愛い声で、甘え上手な美人さんばい。毛並みもよか」 「つまり、猫なのね?」 「そうたい」 小さな川に渡った橋を歩くと、後ろから風がびょお、と吹いた。足音がよく響く。かすかにシチューの匂いが鼻をかすめた。 「こないだスーパーの帰りに見かけたばってん、他にやるもんなかったけんミルクあげて」 「道端で?どうやって?」 「そりゃこう、手を器にして、そっからぺろぺろと」 昔からこのひとは、小さな生き物にたいして惜しみない愛情をそそぐひとだった。感心して、それと同時にちょっとだけ呆れもして、ずっと高いところにある横顔を見上げる。いつにもましてやわらかい表情で、口元をとろけさせているので、ぎゅっと手を強く握った。 「愛されてるわねえ、その子」 「んー、ばってん、もっと愛されとる子がおるよ」 「ふうん」 「知りたい?」 「別にー」 笑ってしまうのを堪えたけれど、おもわず言葉が跳ねてしまう。にやにやと顔を緩ませていると、千歳は橋の先を右に曲がって、ちょっとの間黙っていたものの。 「、誰か聞いてくれんね?」 「聞かなくてもわかるもの」 「はあー、格好つかんたい」 大きな身体でうな垂れてみせるので、今度は堪えきれずに声に出して笑った。夕方の道に、わたしの笑い声だけが響く。数メートル歩く間、ふてくされていた千歳が、繋いだ手をひっぱった。笑い声が止む。 「……スーパーに寄って帰ろかね」 「ん、何食べる?」 「のシチューが食いたかー」 なんでもなかったように千歳が歩き出して、立ち止まっていたわたしも手を引かれて足を踏み出す。街灯が点き始めて、空には薄い月がのぼっていた。 |