夜明け前
                  


夜明けを見るために大切の人々の血の雨を被らねばならないというのなら、私は夜明けなどいらない。もうたくさん。私は塞がれた夜の中じっと耳を塞ぐ。目を塞ぐ。
聞かないように。見ないように。
なにをって?
例えば大切な人々の悲鳴だとか嘆きだとか。例えば思わず縋りたくなるような希望だとか未来だとか。そういったものにもう疲れきっていたので。
それでも私は死にたいだとかいなくなりたいだとか、そんな風には考えもよらなかった。今までだって、死にたいだなんて願ったことはただの一度もなかったのだ。
ただ生きたかった。大切な人たちと笑って笑って笑って、自分たちの勝手に定義した幸せな未来だけ信じていた。そのためなら幾つ命を払っても構わないとすら思ってた。ただそこにあるすべてにしがみついていたかったんだ。酷く子供で我儘だから。傲慢に息を吸って、そして吐いていた。それが当たり前で疑問に思うことなんてなかった。思う必要もなかったのに。
微かな希望に委ね歩み祈りもがきあがき求め走り置き去りにし失い奪い笑い泣き叫び愛し恨み憎み願い叫び駆けぬけ消し去り砕き圧し折り殺し殺され傷つき傷つけ切り裂き壊し壊し失って。繰り返し繰り返したそれに酷く疲れたのだ。
だからどうぞもう放っておいて。
そう言って私は誰からも離れた。これ以上失うのも疲れるのもたくさん。ひどく怠惰。

なのになぜだろう。どうして私は屋根の上なんかにいるのだろうか。
誘拐だ。拉致だ、助けて!叫ぶと坂本が隣で、まあ慌てなや、なに情けなかことゆうとるがじゃ、と言ってニヤリと笑った。
右手に握られたピストルが鈍く輝く。

「夜明けはまだ先じゃがひとまず夜明け前まで連れてっちゃるでよォ!!」
わはは、と笑って、引き金を引く。ためらいなんて微塵もない。
パンと乾いた音をたてて白銀色した銃弾が閉じた闇を撃ち抜いた。硬い夜の壁を貫いた銃弾の小さな穴からその向こう側の朝の光が漏れ出して、さながら夜明けを告げる明け星のようだ。
東の空が、白み始める。
夜明けの鐘のように坂本の声は高らかに鳴った。
さあ!と坂本が笑う。笑う。笑う!
さあ!
さあ!今一度!
願おう!叫ぼう!声を上げて!
ここで夜明けを叫ぶのだ!


20070415