拝啓
給湯室の君へ




は思いっきり気の抜けた顔で、ぶはあーと息を吐いた。別に普段からそんなに緊張しているわけではないが、こう、職場にいながら、なおかつ誰にも見られない狭くて温かい空間というのは、不必要なほどに気を抜きたくなるものなのだ。
ヤカンがことこと揺れるのを眺めながら、はなんともなしに給湯室の外を、見た。

「…わお。」

給湯室の外の廊下には、いくつか座れるように長椅子が置いてある。廊下の隅っこでそれでいて少し暗いので人目はあまりない。よくここでグデンとしたハボックがコーヒーを啜っているのを見る。おっさんである。
しかし、今そこにいるのはかのロイ・マスタング大佐であった。
大佐はなにやらキョロキョロ辺りを伺いながら 、長椅子と長椅子の隙間に座り込もうとしている。その目は鋭く細められ、珍しく本来の男前らしさが現れている。が、いかんせん廊下にビタンと這い蹲り踵を立てない正しい歩腹前進で、一生懸命体を細くして椅子の下に 滑り込もうとしている様は、やはり大佐以外の何者でもない。
前回は乙女であったが今日はやや若干微妙にそれとなくそう言われてみればワイルド風味である。ミッションインポッシボーかはたまたスパイゲームか。


「ぐ!」
ガツンと鈍い音がして長椅子がガタンと少し跳ねた。頭をぶつけたようだ。
の位置からはもう大佐の足しか見えなかったが足がジタバタしている。すごく痛そうにもんどり打っている。
はひゅうまをみまもる姉さんの勢いで給湯室の入り口に半分体を隠して覗いていた。
ああリザ!なんでこんなおいしいおもしろい場面にあなたはいないの!ぷるぷるしながら心のなかで親友に呼びかける。

痛みは収まったのかズルズルと大佐は椅子の下へ潜り込んでいった。しかし、そこにもうロイ・マスタング的誤算(テストに出ます。)が発生している。
長さ、足りてない。
足を全部入れると頭がはみだす。頭を入れると足がはみだす。
大佐は何度か足をだしたり頭を出したりを繰り返しいらいらしながら何度も何度なんとか全身を納めようと奮闘し、ついには気がついて体を丸めようとしたがそうすると椅子を持ち上げてしまうので、また何度も椅子の下で痛そうな音を立てては悶絶し、それでも大佐は負けずに試行錯誤を繰り返した。
ときおりくぐもった悲鳴が漏れる。
(不憫な子…!!!)
は影でブルブルと震えだした。
なんて、なんてかわいそうな人なんだロイ・マスタング!

もうやめて!もういいの、お願い!森へ帰って!と飛び出したくなるのを必死に堪える。
ヤカンがガタガタ言い始めたのも気にしない。

ようやく大佐は、腹筋を相当酷使して足と頭を僅かに持ち上げる、という体制を編み出したようだ。足をぴんと伸ばして30度ほど上げ、上半身も同じようにする。己の腹筋への挑戦状でないなら虐待、死刑宣告だ。すでに彼は 、「くっ…。」と苦しげに歯を食いしばり耐えている。
耐えている。ブルブルしている。足がもうすっごいブルブルしている。腹筋確実に痙攣している。


何があなたをそこまで動かすのですか!はもうブルブル通り越して肩を震わせハンカチはなかったので手近にあった布巾を握りしめた。
大佐、あんたすげぇよ、男の中の男だよ。なんだってそんなことに一生懸命になれるんだああ腹筋が千切れる耐えてる!
はなんだかよくわからないが猛烈に感動していた。
馬鹿だ。あの人はなんて愛すべき馬鹿なんだ。
放送禁 止に陥る手前の顔で、大佐は腹筋を酷使し続けている。足が!上半身が!ブルブルしている。
ヤカンが甲高くピーと鳴き始めた。耐えられなくなったのはの方で、わっと給湯室から飛びだした。


「もう止めてあげて!」

うわあああんと泣きながら大佐のいる椅子の前に座り込む。
大佐が腹筋の限界に挑みながらを今にも死にそうな目で見る。
?ふ…ついに幻覚が…私ももう長くはないようだ。」

いけない彼にはお花畑が見えているようだ。チヨチヨ飛んでる小鳥さんが目に浮かぶ。
は床に這い蹲って椅子の下で腹筋を(略)大佐に泣きついた。

「もういいよ!十分!十分だよあんたアよくやった!えらいよ立派だよ!だからもうやめてあげてえぇぇぇ!!!」
「たとえ君の頼みであったとしても、ここでやめるわけにはいかないのだ…!」
「なんだってまたこんなことに…!」
「これは私の意地と誇りを欠けたジハードなのだよ!」
「ジハードっつーかもうこれはあんたのジエンドに向かいつつあるよ!パート2にしてすでにクライマックスだよ!」
「…たとえここで終わってしまったとしても構わん!私はいつだってクライマ」
だじょーん!チュインチュイン!
銃声が腹筋をプルプルさせながらも吐かれようとした名台詞を遮った。もちろんのこと、真昼間から物騒にも発砲なんて真似をしてくれたのは、我等がリザ・ホークアイ中尉であります!敬礼!
思わず敬礼したににっこり(もちろん本人仕様なので、彼女を知らない人にはほんのわずかに口端を持ち上げたくらいにしか見えなかっただろうけれど。)微笑んだ。
「ありがとう、。おかげで大佐を発見できたわ。」
「いや、なんかもう死んでいらっしゃ「(ガガッ、ピー)こちらホークアイ。コードA。本部!5階給湯室前にて目標発見。捕獲次第帰還します。どうぞ?」
『こちら本部!よくやった中尉!ただちに目標捕獲後帰還してください。』
リザの手の中で赤いかわいらしい無線機がガーガー騒いでいる。どうも彼女たちの職場はえらいことになっているようだ。無線に応答しているらしいファルマンの声の背景に、悲鳴だとか怒号だとかが聞こえている。
「…修羅場なんだね?」
「さあ、大佐帰りますよ。」
「…あっ、スルーなんだね?」
「じゃあ、。どうもありがとう。」
とてもスンバラスィー笑顔で、大佐の首根っこを引っつかみ引きずりながら彼女は去ってゆく。その背中のなんてたくましいこと!(…かっこよすぎやんけ…!)胸の中で親友リザへの憧れをさらに膨らませつつ、火にかけっぱなしのヤカンを思い出しては慌てて給湯室へ駆け込んだのであった。
(そうだよ少佐が待ってらっしゃるのに!!)
「待っててくださいアームストロング少佐!今美味しい紅茶お入れしまーーーす!!!」
セントラルは今日も平和です。