彼はどこか、どこか透明な人間だった。青く透き通って、うつくしい、さながら。(幽霊のように。)

「君は、不思議だ。」
「え?」
不思議そうに首を傾げた、髪がさらさらと鳴って顔に影を落とす。やっぱり光に、透けてしまいそうだった。
「君は、やっぱり、なんか、違う。」

「…なにが?」
なんだか少し、尋ねる声は強張って聞こえた。私は知らないふりをする。

「なんかね、透き通ってそのままいなくなりそう。すごくきれいなのに、見ることができない。みたいな、(ゆうれい、みたい。)」
「…それはきっと。」
不思議な色をした目がほほえむ。私の知らない光を映して。マゼンタの虹彩。


「僕が一度死んでしまったからだよ。」

密やかに囁かれた言葉に世界は一瞬しんと静まり返った。
私は彼の真っ白なシャツの襟を見てる。夏の光が透けて、皆と同じ制服のはずなのに、さながら神官の服のように不可侵で神聖だ。それなのにやわらかい金色をした睫の下の瞳は、穏やかなくせにどこかさめていて、いつでもなにかを悔やんでいる。
ためらいがちに彼が私を見る。今の発言を私がどう捉えたのか、気にしているのだろうか。
普段悠々として、大人びた彼にしては、幼い仕草だった。

ぼくがいちどしんでしまったから。

その言葉は静寂に溶けて、今は蝉の声の合間にプカプカと浮き沈みしている。窓の外の入道雲が、空の神殿のよう。
私はそおっとそのシャツの袖を掴む。半袖からむき出しの、細い腕。でも彼の方が私より太く、引き締まっている。その腕の力が、存外強いことを私は知っていた。
「生きてるよね。」
それに彼が優しく目を見張る。
「うん。」
吐息のような返事はひどく優しかった。
「…ここにいる。」

ああでもここは天国だとか地獄だとか知らないけれど死後の世界で、私も、彼も、死んでいるのじゃなかろうか。
ふたりの幽霊。
彼はいつだって消えてしまいそうだった。その髪はお日様に溶けだしてしまいそうなのだ。ひどくきれいで、不安になる。

「僕は一度死んで、」
ポツリと彼が言う。私の知らないどこかを懐かしんで目を少し眇めるようにして。
「…許されないことをしたよ。僕自身の望みのために。大切な子を酷い行いの理由にしてしまった。…それで死んだんだよ。」
なぜか彼は穏やかな微笑を浮かべており、ああ泣きそうなのは私の方だった。彼の懺悔を聞いてしまった。

「ミツル、」
なにか言おうにも喉にひっかかっていけない。いとおしそうに目を細めて、彼の手のひらが私の頭を撫でた。指先だけで触れる遠慮がちな撫で方だった。
彼がほほえむ。
私は少し泣いてしまって、その間中彼は頭を撫でてくれていた。
「僕は生き返った。一度死んで。…続きを与えてくれた人がいる。許されたような気がしてた。」
でも違う、間違えてたんだ。
彼はほほえむ。優しい優しいミツル。
私は泣いている。涙が止まらないのだ。


「僕は許されてなんかいない。救われただけなんだ。
 あいつに。」
目玉がツキツキと痛んだ。頭を撫でる手が、ゆっくり下へ下がる。大きな手のひらが、私の目を塞いだ。その動作は彼の片手だけで、十分事足りてしまう。
優しい手のひらのこわごわとした感触、少し冷たい温度。彼の手は動かない。私と世界を遮断する。

「ミツ、「ワタルが君を好きなんだ。」
蝉の声がする。常になく彼は早口になった。

「僕の親友だ。…あいつは、本当にいいやつだよ。馬鹿で、お人好しで、優しくて、強くて、明るくて太陽みたいで、おかしくて、人のことばっかりでさ。あいつはもっと、もっと自分のこと、考えたらいいんだ。呆れるくらいお人好しの… 本当にいいやつなんだ。」

涙がちょうど、ひとつぶ落ちた。
「ミツル、私は」

「ワタルはね。」

有無を言わせないはっきりした響きの言葉だった。どんな顔してるのか、私には見えない。
その手のひらに伝わっているだろうか。ねぇ私はまだ涙が止まらない。

「ワタルは、君が、好きなんだ。、本当に、好きなんだよ…。」
私の目は塞がれたままだ。それでも彼がゆるゆると机に突っ伏したのがわかった。額が机にぶつかる少し鈍い音がした。
「好きなんだ…。」
「わたし「好きなんだよ。本当の本当に。…君のことが。」

手のひらは動かない。幽霊は笑わない。ねぇ君は今どんな顔しているのか。


どうして幽霊は笑はない
20070715/