将軍は二度、手のひらから水を溢しました。 その水を溢させた手の震えは、かつて騎士が行ったただ一度の、しかしかつてない不義が―――許したはずの過ちです―――それが今更になって、そう、その騎士の生死の境目になって初めて、彼の心臓を震わせ、その喉を震わせ、その手のひらをぶるぶると戦慄かせました。 どうしたことだ。 将軍は自らにそう問いかけました。 どうしたことだ、お前はそんなにも、そんなにもあの時のことを恨みに思っていたというのか?忠義を尽くし正義を貫き、常に勇敢で心広く、私の助けとなったこの男。孫息子の親友であり、自分自身孫のようにかわいがってきた男。若く、美しく、屈託がなく、そうだ、誰もが思わず愛さずにはいられないような男だ―――彼女もまたその例外なく、彼を愛した。 その手が止まります。 かつて金の髪が並ぶものなく美しいと湛えられた私も、もはや髪には銀の霜、壮年期に差し掛かり、大樹のように固くなった。 明るく、公平で、人を笑って許す。 それが自らの美徳であると、彼は自分自身でも理解していたつもりでした。噫けれども、彼の手をかつての恨みが止めるのです。瀕死の重傷を負い、彼の助けを哀れに待つばかりの男。笑い出したいような、嘆き泣きだしたいような、ふたつの気持ちが将軍の手を余計に震わせました。この水を真っ赤な血を流すその傷口に垂らせば、彼は助かるのです。しかしこの水場から倒れ伏した騎士までの距離のなんと近くて遠いことか。将軍は獅子と信じていたみずからの胸の内に、蜷局を巻く大蛇をもはや見つけました。哄笑を上げたいような―――胸を切り開いて叫び出したいような―――。 「祖父様!早く!早くしてください!彼が死んでしまう!」 孫息子の悲痛な叫びも、一瞬外の世界のことであるかのように遠ざかります。 立ち尽くした将軍の目と、倒れたままの騎士の目が一度カチリと合いました。懇願するようだったその赤い瞳が、絶望と懺悔とを映して光を失うのを、彼はどこか痛みに悲鳴を上げて叫び出したいような、やはり嬉々として声をあげたいようなまぜこぜの気分で見つめました。普段明るく曇ることのなかった騎士の瞳から、光が消え失せようとしていました。 その口が小さく震え戦慄いて、なにごとか紡ごうとしました。 ――――あるじよ、 音のないその言葉に、将軍はハッとして、手に持った水を溢さぬよう、しかし駈け出します。 「ディルムッド!」 その水が騎士の頬に落ちました。けれどももはや時はすでに遅く、騎士の目は何も映しません。将軍はその傍らに糸の切れた人形のように膝をつきました。その向かいでは騎士の親友が、その死に慟哭の悲鳴をあげています。 空は晴れていました。 |