噫なんということでしょう。 妖精はもうずっと、涙にくれていました。彼女たちの慈しんで育てた、美しいディルムッド。その彼がまさか、忠節を捧げた主に見殺しにされるだなんてそんな恐ろしいこと―――起こるはずがありませんでした。そう、起こるはずがなかったのです。彼は優しく、忠義に篤く、主を尊敬し、敬愛し、慕っていました。けれどもそれは起こりました。彼自身の裏切りにより、彼はその身の破滅を招いたのです。それもすべてはたった一人の、魔女の狂った恋慕のせいでした。彼のあまりの美しさに魔女は魅了され、そうしてその魔法で脅して、彼の優しさに付け込んだのです。 噫けれども、それに答えたのもすべてはディルムッドでした。 妖精が泣いているのはそのことではありません。彼女は悔いていました。 最後の贈り物。彼女の大切な、かわいいディルムッドが、恋した娘と必ず結ばれるように。 そう思って贈った、女性を虜にする魔法です。 まさかその魔法が、彼の思いも寄らない女に働き、そうしてそれが破滅を招くなど、どうして予想できたでしょう。妖精は知らなかったのです。人間の女の恋慕が、その激情が、時に大河の流れよりも激しく恐ろしい濁流であるということを。妖精の知っている愛は、どれもうつくしく儚い、優しいものばかりでした。 噫けれども、この胸を切り開いて掻き毟りたい、この激しい後悔の慟哭の念はいったいどうしたことでしょう。 子供の死に、妖精たちはみな涙にくれましたが、彼女の様子は他と常軌を逸していました。 誰が話しかけても慰めても、妖精の涙が枯れることはありません。 あなたがしあわせになるように。 精一杯の願いを込めた贈り物でした。 かわいいかわいいわたくしのぼうや。 初めてその小さな赤子を腕に抱いた時のあの温かい思いを、彼女は決して忘れてことなどありませんでした。日に日に成長し、美しく、優しく、そして気高く育ってゆく子供を、彼女はいつもほれぼれと見守っていました。その背が抜かされてから、時々年下に対するような扱いをされても、それすらかわいいものでしかありませんでした。 森の外できっと、彼は他の誰も手にしたことのないような栄光と幸福を得るのだと信じていたのに。 妖精の涙は水に川になり湖になり、やがて海にまで注ぎます。 しあわせになるとしんじていたのに。 だからこそ手放したというのに、どうして、どうしてこのような結末をあの心優しい子供が迎えなくてはならなかったのでしょう。それもすべて、自らの贈り物のためであるに違いないのです。そんなつもりはなかった、ただ、幸せになってほしかっただけなのに。 妖精の美しい瞳から、うつくしい涙は流れ続けています。もう百年も、千年も、そうしているのです。老いを知らない妖精は、いつまでもいつまでも悲嘆の涙に暮れ続けるかのようでした。王や仲間たちは、もっと森の奥深く、人間たちの目の届かない、神話の彼方へ去ってなお、彼女は懐かしい森の湖の畔に立ち尽くし、涙を流していたのです。 それはある日のことでした。夕焼けが赤く、まるであの子供の瞳のようでした。赤光が湖面に反射して、きらきらきらと鮮やかなルビーを撒き散らしています。 妖精はまだ泣いていました。 森の奥から懐かしい足取りで、妖精がひとり、現れました。 「、。仕方のない子、まだ泣いているのね。」 幼い子供をあやすようなその響きに、妖精は顔をあげました。はらはらと美しい顔に涙がこぼれます。それを優しい指先で拭いながら、彼女の仲間はそうっと微笑みました。 「…まだ後悔しているのね。」 その言葉には頷きます。はらはらはらはらと毀れ続ける雫は、花びらのようでした。 「あの子は死してなお栄誉ある英霊の座に据えられたわ。知っていて?」 もちろん泣いてばかりの彼女が知るはずはありませんでした。噫けれど、死んだ後に栄光を得たところで、なんの幸福があるでしょう。もちろんそのような気持ちなど御見通しだというように、妖精は笑みを深めます。 「と、いうことはね、あの子の魂は流転しないのよ。あの子のままで、その座に留まり続けるの…この意味がわかって?」 小さな妖精は首を振りました。この妖精が、一番最後に生まれた妖精でした。その後あの赤子がやってきて、それ以来妖精は減りこそしませんでしたが増えもしませんでしたのです。ですからいつまで経っても一番年少のこの妖精は、いつも姉たちの心配の種でありかわいい末っ子でありました。 「私たちには、その座に辿り着くことはできないわ。けれどね、あの子はあの子のまま、私たちのディルムッドのまま、そこに未来永劫いるの。けれどね、時折誰かの求めに応じて、地上に現れることがあるわ。」 妖精の青い瞳が見開かれました。ぱたり、と大粒の涙が膝に落ちます。西日を映してその目は美しいアメジストの色をしていました。姉妖精がうっとりするように優しく、微笑みます。 「…探しにお行きなさい、私たちの生は長い。王の加護がある限りとこしえに若く美しいまま。さあ立って、いつまでも涙に暮れていないで、あの子を探して、見つけて!」 「…そうしてどうするの?」 あまりに長い間泣き続けたために、甘く掠れてしまった声が震えながら尋ねました。何も恐れるものはないのだよ、と妖精はなお、うつくしく微笑み続けます。 だいじょうぶ、きっとできるわ。 「今度こそあの子をしあわせにしてやればいいのよ。」 |