胸に滞っていた黒い塊をすべて吐き出したら、彼は虚無になってしまいました。溜めこんでいたはずのおぞましいものはいつの間にか、彼自身と化していたのです。 彼は空っぽです。 からっ ぽ、 なぁんにも、 ない。 しんぎも、ちゅうせつも、 あるじも、きしも、 なにも、 なぁんにも。 「森へ、」 ふいに誰かが耳元で優しく囁きました。 ―――もり? みどりのひかりが、うしなわれたかれの脳裏をよぎりました。 森。 そこになにがあったでしょう。 森。 そこになにがあったのか―――からっぽの彼には思い出すことができませんでした。森。ただその単語は懐かしく、どこか慕わしく、彼がかつて覚えたことのないような感覚をその胸に抱かせました。 森。 久しく忘れていたことのようでした。 そうだ、かつて自らはそこで妖精に育てられたのだと、夢物語のようなことを彼は思い出します。愛も憎しみも知らず、ただただあたたかい腕にくるまれ、まもられて、そう、彼は幸せでした。ただ幸福でした。そこにはすべてがありました。優しい風と、柔らかい大地、美しい緑と、透き通った水。 それから―――? 永遠の乙女たちがそこに暮らしていました。 噫それも、醜い獣が暗闇の中に見る夢でしょうか? 「森、森へ。ディ×××ド、森へ―――。」 すべてを聞き取ることはできませんでした。 空虚なうつろの身の彼は、ふらふらと、そのまぁるい楕円形の黄金色に輝く座を離れて飛行し始めました。森?それがどこにあったのか、どんな場所だったのかすら、彼には思い出せません。ただ囁いた優しい声だけ、彼は覚えていました。 美しい声でした。 この世の幸福すべてを詰め込んだような、優しさだけで構成されているような、しかしどこか悲しげな声でした。彼はその声の主を夢想しました。なぜか金色の日光が彼の目に蘇りました。美しい金の髪―――唐突に齎された直感は、しかし確信に変わります。美しい金の髪の娘が―――彼にどこからともなく囁きかけるのです。森へ、と。悲痛に声を振り絞って、しかしどこまでも優しく、いたわるように。 それは誰だったでしょう。 なにか、だれか、とてもとても大切だったような―――? ふいになにも感じぬはずの虚ろな身を、風が撫でて通りました。やわらかな風、森に吹く緑の風です。ふう、と意識が遠ざかります。彼は思い出しました。美しい金の髪の妖精がいました。その妖精は妖精たちのなかでは一番の年少で、少しからかわれてはすぐ泣きだしそうな顔をしました。彼も時折からかいが過ぎては泣かしてしまいそうになって、逆に大いに慌てさせられました。ほっそりとした体を揺らして、その妖精は陽の光と踊りました。光と戯れながら、裸足の白い足が緑の草を踏む様子は、まるでいつまでも見ていたいような気持を起こさせました。ほかのどの妖精より、その妖精の真っ青な瞳が美しいと彼は思っていました。彼が森を出ることを決めた日、その青い瞳いっぱいに涙をためて、けれども懸命に微笑んでいました。贈り物が決まらない、とさみしそうに。優しい妖精。キスをねだったのは本当は―――。 ―――美しい妖精、私の、俺だけの。 彼の赤い瞳から涙が落ちました。 噫けれど、彼は醜い怪物でした。この世のすべてを怨んで呪った、おぞましいばかりの影の塊でした。 そんな怪物が、光の化身のようなあの妖精を恋しているなど、なんと滑稽なことでしょう―――。 うすれゆく意識の中で、彼は安らかな気持ちで目を瞑ります。 噫、今度こそ、もし今度が、この次があるのなら―――。 眠るような吐息で、彼はゆっくりと意識を手放しました。 今度こそ、とかつて焼け爛れるような思いでその胸をかきむしったような気がしますが、すべては遠い出来事のように思い出せません。ただたった一人の美しい妖精の微笑、目蓋に浮かんだその面影に、彼は微笑みかけます。 もし次があるのなら。 言葉は誰にも聞かれることなく真っ白な世界に転がりました。 次こそあなたを連れて森をでるよ。 風がさやさやと吹きます。 軽い乙女たちの足音が、遠くから近づいてきました。目の前に毀れる日光が、金の髪のようです。彼はそれに懸命に小さな手を伸ばしました。どうぞ抱きしめてとくちづけるように。 声がします。 「まあ!御覧なさい。どうしたっていうのかしら、こんな森の奥に、ほら、人間の男の子―――」 噫、もしも続きが、 |