死ぬのか、と訊ねられ、彼女はそうかもしれない、とまるで他人事のように答えた。
「死ぬのか、。」
 彼らしくない言い様だ。おかしいな、あんたはそんなに苛々言葉を発したっけ。わからないな、なんだかすべてがぼんやりしてて、うまく掴めないんだ。は少し笑い、それがアーカードの眉間に皺をつくる。ああそうだ、彼はいつも、古い詩でも暗誦するみたいな節回しで話した。深く低い声は、はるか時の彼方から響くように、いつもの耳に届いた。
 死ぬのかしら、私。は思考を一回転させ、自分のほうへ向ける。
 夜の空は暗く、辺りの空気も同じ色、している。そのせいで彼女の目にはほとんど何も見えておらず、ただアーカードの目が、少し遠くにふたつ、見える。サングラス、どこへやったの。訊ねようと開いた口から、ひゅう、と風だけ鳴った。声の出し方を、忘れてしまったようだった。それにますます、アーカードは苛立ちをつのらせたようで、その目がぐんと近くなる。吸血鬼の吐息が、すぐ鼻先に触れた。
「お前は死ぬ。」
 その目の奥の感情は、こんがらがって、複雑で、それでいてストレートだ。には読み取ることはできないが、ただ、その真摯な様子は見て取れる。うれしい、じわりと滲んだ言葉に笑ってしまう。うれしいよ、アーカード。あなたが私のために一生懸命になってくれるなら。その場違いな微笑に彼が声を潜めた。
「死ぬんだ。」
 ――ああそうだね。
 瞳だけで頷いて見せた彼女に、アーカードが囁きながら、叫ぶ。小さな小さな声で、けれどもそれは確かに、腹の底からの怒声にも聞こえた。怒ってるんだね、アーカード。私が弱くてちっぽけな、人間でしかも死にかけてるものだから。やっぱりは笑って、アーカードはその微笑が理解できずに歯を剥く。いいや、本当はわかっているのだ。人間の中に、時々こうして微笑いながら死んでゆこうという馬鹿がいる。満足?幸福?馬鹿馬鹿しい。最後まで足掻いてもがいてみっともなくしがみついて縋りついて爪を立てて、そうして死んでゆけ、人間。けれど彼の口からその長い言葉が出てくることはなく、ただポツリのその人間の女の名前を呼んだ。、と。
 お前はそんな人間ではないだろう、みっともなく足掻いて、もがいて、縋りつけ、爪を立てろ、歯を食いしばれ、死にたくないと叫べ!言葉がすぐ喉元まで来ているのに出ない。言葉の作り方を忘れてしまったようだ。。と重ねて呼ぶとなぜだかふたりを覆う暗闇がやわらぐ気がした。ああなぜ今は真夜中なのだ。アーカードは初めて思った。なぜだ、なぜこの娘の上に光が差さない。が笑う。アーカード、と言葉のない唇を動かして。
「選べ。選べ、時間がない。」
 hurryと急かす自らの声に追いたてられるように、早口に告げた彼には目をまるくして、それから曖昧に首を傾げる。どちらとも取れる微笑、曖昧なサイン。ああ、それではわからない。彼女の瞳はただ優しく、自分の置かれている状況がわかっていないのかもしれない。そう考えていいやと彼は首を振る。誰よりわかっているに違いないのだ、自分のことは他の誰をおいても自分以上にわかりはしない。彼女はいま血液となって器の外側へこぼれてゆく命と、そこに溶け出して薄くなってゆく魂とを、感じているにちがいないのだから。
 ひゅう、と喉が鳴る。
「言え。一言で事足りる。」
 死にたくないと、言えばいい。それだけですべてが事足りる。
 女の細い指が、吸血鬼の頬に触れた。血の匂い。女の微笑。どうしてこんなにこの手が冷たいのだ、その手はいつでも、触れれば炎のように体温のない彼には感じられたものなのに。女の喉が鳴る。永遠のように思われる静寂。吸血鬼が祈っている。なににだ?彼らに神はない。神はないのに。一生分の長さをした瞬き。その口がひらく。彼は縋るように、その頬に寄せられた手のひらに手のひらを押し当てる。生きたいと、言え。もしそうでないなら、さっさと死んでしまえ、もう二度と私の前に顔を見せるなよ、ああ。早く。早く早く早く早く――。その唇がわななき、告げる。その言葉をただ待った。
「すきよ、」
 あいしている。囁いた後で女の唇が象った彼の名前に、もう音はなかった。
 早く、早くと耳の奥で自らの声が吸血鬼を急かし――そうして彼はもはや残されていないにも等しい僅かな時の中、もう言葉をなくし自らをほとんど喪失した娘を抱いて、二つの選択肢の上で果てしなく途方に暮れるのだ。ああ、どうすればいい。決めてくれ、私ではだめだお前が決めてくれ選んでくれ私には。
 答えがなければ動けなかった。それでもおまえをあいしている。
Hold me now
20090228