「待て!」
エドワードが叫ぶ。でも声は決して届かないの。だってこの森は空間がねじ曲がっている。遠いも近いも同じこと。この森ではすべてみな遙かに距離を隔てる。例え触れていたってね、同じこと。触れていないのと。
エドワードからは遙か遠い。そうひょっとしたら木々の隙間にぽっかり見える黄色い満月よりも。
「行くな!行くなよ!行っちゃだめだ!」
煙を吸い込んでしまってエドワードは喉の引きつるような痛みに咳こんだ。声が出ない。痛みとそれからいろんなものが混じって涙が出た。
しかしは気にもしない。まるで清澄な高原でも歩くような調子で、森を歩いてく。
黒い影が踊る森。
赤い森。
それは血ではない。それは花ではない。それは秋の標でもない。紅蓮の森。それは煉獄の裁きの炎だ。それは天国の浄化の炎だ。すべて焼き払い再生へと誘う墓標だ。そこから始まる終焉へ導く道標だ。
炎に呑まれ森は燃える森は燃える。終結する。
の白いワンピースはエドワードから永遠に遠ざかる。
エドは叫ぶ。繋ぎ止めようとする。掠れてひきつった声は歪みに呑まれて届かない。チラチラと笑うような具合に後ろ姿が炎に呑まれる。
森の中森の中すべて終わる、終わる、終結する。
焼き尽くす炎ですべて円滑な輪に返ってゆく。森から生まれたものはすべて、恍惚として炎に吸い寄せられてゆくのだ。終焉の夢に見せられて。或いは生まれた時から、森の魔力に縛られているのだ。
森の終わりは彼らの最期だ。
森は燃える美しく赤く恐ろしく美しい。炎に酸素は喰い潰されて、酷く苦しい酷く苦しい。生物はみな一様に踊り狂う影となり。部外者は吐き出される、焼け残った大地に。
は森へ帰ってゆく。エドワード、取り残される君の、の千切れた悲鳴なんて知りもしないで。
森が燃える。



This beautiful forest.



真っ赤な花びらに埋もれるようにして、が少し笑う。なんだかそれは病的な光景だった。あんまり出来過ぎで、美しすぎた。首からボロリと、笑い続けて落ちた花首の、山。が埋もれたまま目を瞑っている。その目は開かない。
燃えている、燃えているのだ。
すべてすべてすべての記憶が魂が。摩滅する消滅する磨耗する。
に炎はちっとも熱くなかった。もちろん冷たくもない。それはお帰りと頬を撫でる森の風と、緑の手のひらとなんら変わりなかったのだ。
お帰り、燃える手のひらが差し出されて、を撫でる。慈しむようにね。
お帰り、と頬を撫でる。さあお帰り、新しい命へ。

森が燃える森が燃える。
は浮かれたように歩き出す。目は開かない。雲を歩くような足取りで、歩いてゆく。手探りでも、ちゃんとどこにエドワードを躓かせる木の根が、目隠しならばぶつかるだろう木の位置が、にはわかった。知っているのだ。自分の一部のことだもの。どこになにがあるか、目を瞑っていたって迷わないけれど、は生まれたときからこの森に迷っていた。
燃え落ちる木々の間、黒い煙。森で生まれた全ての生き物は同じように、踊る足取り、炎の中を歩く。しっかりとした確かな確信を持った足取りで、迷うことなくまよいみちを。
目蓋の裏を炎が舐める。は森の奥へ奥へ進んでゆく。
途中声が聞こえた。
行くな!だめだ!帰って来い!!」
泣き出しそうな声だ。目を開かずに、は少し首を傾げて笑う。
(…変なの。)
の帰るところが、この森以外にあるわけなかった。生まれたときから閉ざされたこの迷路の森の中、ずっとここで生まれた生物たちは囚われ続けている。
うつくしいもり、わがこきょう。
動物たちが歌う、無声音のアレルヤ。は小さく声に出して口ずさむ。
うつくしいもり、いとおしいわがこきょう。
終焉の時その先の未来まで傍らで共に在る。
この森をなんと名づけようか。緑の森赤い森迷う森炎の森燃える森終わる森巡る森。すべては正解で不正解。この森は森でしかない。近くて遠く、遥かで傍ら、どこにもなくてどこにでもある。この森はどこにでもある。そして森の住人も、どこにでもいるのだ。紛れている。違うのはいつか森へ帰りまた"かえってくる"ということだけだ。
森の生物は森と共に死に続け燃え続けそして生き続ける。
も同じだ。彼女はこの森で生まれた。
そうその時点では森の一部だ。森失くしては生きていけない。は森の一部だ。失くして森は機能しない。どれかひとつ、たとえば小さな蠅一匹欠けても森は成立しない。だからすべて。全てをつれてゆく。炎に焦がれて生まれ変わるのだ。まったく新しい別のもの、まったく同じな続きものになって生き続ける。
これは儀式だ。炎に焼き尽くされて森は蘇る。その内包する全ての生物もまた。いったいいつから繰り返してきたのか。誰も知らない。だあれも。誰も。
ふっと炎の唸りが遠く聞こえて、は目を開ける。
爪先まで、赤い炎の芽吹くその体。
は微笑む。ゆったりと潮の満ちるように。は振り返る。異分子に向かって。金の髪。森で生まれたのではない子供に。彼の少し焦げた睫毛がなぜだかいとおしく思う。割ってしまったガラスコップの尖った縁が、いとおしいのとおんなじ具合に。指先でやさしくなぞりたくなる。そんな類の。
舐め尽す炎に、すべて失い再び手に入れる過程の最中。それすら知らずただ幾度となく知らず知らず繰り返した焼失の瞬間に。
エドワード、君はまだわからない。は"この森"という大きな意識集合体の末端に過ぎないのだ。だからこそこうして幾度となく現れる。森の呼吸に合わせて。
「君は連れてゆけない。」
それは誰の言葉?森の?蠅の?牡鹿の?それともの?
森は燃える燃える燃える。
一本杉がメキメキと倒れた。大きな影がの真上に崩落する。
終結する。その瞬間にも拘らず、はやはり少し笑った。
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20070622/