真っ青な水たまり渡ってあの子がくる。あの子がくるよ。
ほらごらんまるで海の底から見上げた空みたいな青だよ。濡れて砕いたガラスを敷き詰めたみたいな青だよ。
水たまり渡ってあの子がくる、くる、くる…。

変な夢を見た。
律はまだ働かない頭で目を擦りながら起き上がった。
真っ青な水たまりが、いくつも表にできていた。その青さときたら、まるで絵に描いたようだった。小さな小さな水たまりのくせに、まるで底がないんじゃないかと思われた。
覗きこんでみると、やっぱり底がない。水たまりの底に、白い街が見える。青い光に包まれたどこか懐かしい街並み。白い骨だけの魚が、天井から水たまりの形に差し込む光の柱の間を、ちらちら星のように光りながら泳いでゆく。瓦の上を、骨だけの鯨が、身をくねらせて泳いでゆく。
(…きれいだ、)
はっとするような、胸のあわひに染み込むような青だった。縁日の水風船、ビー玉、ビードロ、そんな青なので、いけない。やさしくって、いけないのだ。ゆらゆら揺れる青い水中の世界に、律はふうっと自分すらも遠ざかるほど見とれている。
どれくらい魅入っていたのだろう。パシャリ、と小さく水たまりを踏む音がした。
律は顔をあげる。
あの子だ。
楽しそうに微笑み浮かべて、水たまり、嬉しそうに見つめて瞼を伏せて、あの子がやってくる。
いちいちひとつずつ丁寧に水たまり踏んで、踊るような足取り。
水の跳ねる音が段々近づいてくる。律はパジャマのままであの子が近づいてくるのを待ってた。あの子が跳ぶと、肩までの髪がさらさら跳ねた。あの子は真っ青なレインコート着ている。ポケットに手を突っ込んで、足は裸足で。細くて白いその足が水たまりを蹴る。
もうすぐ、もうすぐやってくる。
(さようならの時間だよ。)
おっきな水たまりの上に着地して、あの子が顔をあげて笑った――その目の真っ青。

 り
 っ
 ち
 ゃ
 ん
 、
  」
(ああ。)
懐かしい呼び方。小さい頃はあの子は自分をそう呼んだ―――。
ドボン。と音を立ててあの子が沈んだ。底のない水たまりの底へ、落ちてゆく。
!!」
律は手を伸ばした。真っ青な水しぶき。ビー玉みたいに丸くなって、宙空に転がる。
(――――落ちる、)
ざんぶと律もあの子を追いかけた手のひらから水たまりに落っこちた。沈む。
勢いはすぐ殺されて、泡と一緒に一瞬水中で止まる。
(あお、)
それしか浮かばないほど、真っ青な世界だ。ぶくぶくと律は、ゆっくり沈んでゆく。水は冷たく清らかだ。律と一緒になって飛び込んできた泡が、いくつも彼の周りで踊り彼を離れて昇っていった。
(…どこへ?)
背の高い街の建物の間を、沈んでゆく。骨だけの魚が、行き過ぎる。視界は天井の、自分たちの落ちてきた水たまりから落ちる光を眺めてる。
あの子はどこに行ってしまったろう。思うが早いが、律の手をあの子がとった。真っ青なレインコートは、ワンピースみたいで、少し余る裾から除く白い手首や、にょきりと生えた二本の細い足に、少しどきりとする。
青い目をしたままが笑った。
繋いだ手はあたたかだ。
(沈む、)
天井から振る光が段々淡く拡散してゆく。青はもっと深く重なって限りなく透明な黒へ近づいてゆく。
律のパジャマの白と空色のストライプも、闇色の青に溶けて見えなくなってしまう。
の目玉の優しい青だけ、見える。
水の中でも聞こえるように、うんと律の耳に口を近づけてあの子が言った。
「おはよう、」
声は水の中でこもって遠く聞こえる。
「おやすみ、」
ぼこぼこと、泡と一緒に言葉が水をふるわせる。
「そしてさようなら」
透明な、黒だ。真っ青の、一番深いところ。青い目が微笑む。
目が覚めた。

「…変な夢、」
ぼそりと呟く。変な夢。
おはよう、おやすみ、そしてさようなら。
変な夢だ。
「へんな、「おはよう。」
はっと律は顔を上げる。
部屋の外にがいた。淡くて青い着物の柄は流れる水に浮かぶ真っ白な花模様。赤い帯。羽の模様。まっすぐ立って律を見下ろしてる。
「おはよう律。」
「…おはよう、。」


(水底のブルー)
20080902