「退屈だ。」

 真っ暗闇に、男と女が浮かんでいる。
 男はにこにこと、不気味なほど楽しそうに口端を釣り上げて、暗闇の右上あたりを見つめて虚空に足を組んで座り、その長い脚の上に肘をついて、顎を手の上に乗っけていた。赤い髪の毛がふわふわと、鬼火のように見える。首まで隠す黒いタートルネックに細身の黒いジーンズ。肌は顔と手くらいしか見えない。
 女は男の浮かんでいるところより少し下の方で、胡座をかいてその脚の上に肘をつき、顎を両手に乗せている。髪はまっすぐに長く、毛皮に似た緑や青の混じった深い茶色をしている。男の黒ずくめと似た要領で、彼女もまた全身黒をしていた。長く白い首を男と似た服が隠していて、下は黒に茶の大きな格子模様のロングスカートを穿いている。顎を乗っけた手のひらの指先の爪は、髪の毛と同じような不思議な光沢のある焦茶をして静かに、濡れたようにつやつやとしていた。
 暗闇の中はぬるま湯のように少し湿っており、なにもない。虚空に腰掛けふたりは肘をついている。

「たぁいくつ。」

最初の台詞に続けて女がもう一度言った。ついでに欠伸もかみ殺す。なんという惰性だ。弛みきっているのだ。「確かに、」と男が相槌打った。指でトントンと膝を叩きながら、上の空だ。こちらも緩みきっていた。

「暇だ。伶はもう死んじまったし…つまらないな、人間はすぐ死ぬ。」

 その台詞に、おや、と女は視線を動かした。しかし動いて立ち上がるような気にはならないらしい。

「でもほらなんて言ったか…孫を見つけたんだろう?遊んでくれるらしいじゃないか。」

 それに男は、ああ律!いや率だったか…?いややっぱり律だ!律!律のことだろう伶の孫の。そうそう律、律ね、と少しうれしそうな顔をする。

「あいつはいい子だ…ただ伶レベルになるには能力もちょっとばかり足りないが経験値も足りない。
雑魚だが煩い子守もついているし…、」


 それからなにか言いかけて、男はムッと顔をしかめて突然黙った。別にあの女が怖いわけじゃない苦手なんだ、と意味のわからないことをブツブツと呟いているあたり、大方いやなことを思い出したのだろう。女は気にも留めず、ううん、と伸びをした。暗闇は動かず、生暖かいまま。停滞している。なんという惰性だ。

「遊ぼうよ、暇だ。」

 女が言って、男のほうは、そうだなあと気のない返事をする。

「でもなあ何をする?」

 たとえば…、と言って男の上げた"遊び"を女はすべて却下した。曰く、もうやった、つまらない、し飽きた、ありきたり、平凡、ぱっとしない、ということらしい。それに男は少しあきれたような目を向ける。

「じゃあお前が考えろ。この前だって、そういえばこの前の前だって、俺が考えたんだぞ?」

 それに女も、同じような視線を返す。

「お前な、がーるふれんど一人満足させられる遊びも思いつかなくてどうするんだ。もてないぞ。」
「…なあ、お前やたら人間くさくなってないか。」
「何を言うか。経験値、なんて言い出すお前に言われたくないよ。」

 ふたりは同時にあーあ、と言ってそれぞれ両手を頭の後ろで組んだり、頬杖つきなおしたりした。退屈なのだ。せっかく男が久しぶりに先ほどから話題に上っている"伶"なる人間との"罰ゲーム"から復活したというのに、一気にここしばらく遊びまくったためか、退屈していた。

「律のとこ行くか…どうせ放っておいてもあいつはおもしろいことに足を引っ張り込まれてる。」
「そこにちょっかい出してさらに足引っ張るってわけか。」

 おもしろい、と女が相槌打って男がニヤリと笑う。

「そうと決まればでかけよう、…赤間さん?それとも鬼灯のほうがいいか?」

 女がやっと立ち上がって同じようにニヤリと笑った。

「おやそれなら俺はなんと呼べばいいかな?さん?それとも?」

 それに女が笑い声を上げ、男も至極愉快そうに笑い出す。
 さあどうぞ、と芝居がかった仕草で差し出された腕に腕女が絡めると、また彼らは愉快そうに笑った。
 名前などどうでもいい、価値のないものだ。本当の名前?そんなものは最初からない。彼らはただそこにある。ただ時折、そんな彼らを見出す人間がいる。それはなんと、惰性の淵から彼らを引きずり出す、愉快なことだろう。だからこそ彼らは愛着を持つ。その人間たちが自分たちを見分けるために勝手につける名に。
 まあ数十年もすればその名も忘れてしまうのだけど。
 だからと言って忘れることにすら意味はない。彼らに進歩はなく退化もないのだ。彼らは変わらない。たとえ一時どんな名を与えられていても、それは意味のないこと。彼らは存在しない存在なのだもの。いるけどいない、いないけどいる。役には立たぬ無用の長物、逢魔ヶ刻にのそのそ這い出し、無暗勝手に食事をしては、興にふけって去ってゆく。その程度のもの。彼らは物の怪。いるのにいない、いないのにいる。
あの世とこの世のあわいに棲む、怪しく美しい化生のものたち。
 彼らは変わらずそこにあり、人はその前を、ただ流れるばかりだ。
 ただ怪しというやつのほとんどは、その流れの中に手を入れて遊んでみたく、なるものでもある。

「噫、律が危険な目にあってるといいなあ!」
「本当に。そういえば私は初めて会うぞ。やはり第一印象は良くしておかないとな。」
「手土産でも持って行ったらどうだ?」

 そんな会話をしながら、男と女の形をとりあえずはしているそのふたつの"もの"は真っ暗闇の中を歩いてゆく。迷うことなどない、ここから物の怪道はすぐ。人の身でなければ迷うことなどありえない。道は目的地へ直通だ。ああ愉快愉快。
暇潰しは自分で考えるより、ひとつ知っていればいい。そこへ行けば確実に、暇の潰せる存在を、知っていさえすればそれだけで。
 やあ人の子、今行くよ。
 物の怪が笑う。笑う、笑う。退屈している、退屈しているのだ。人の子、今行くよ。さあ一緒に遊んでおくれ。せいぜい長生きして我々を楽しませておくれよ。
 ふたつの"それ"が笑う。ゆらゆらとその背中が揺らめく。
今から行くから待ってな、生きてる子供たち。
遊ぼうよ、さあ今行くよ。
すぐ行くよ。

080903