「掃除屋さん、掃除屋さん。」
小さな花のような声が聞こえてきて、アルフレドは走る足を止める。
ミラノは石畳と煉瓦の街だ。女の子が2階の窓から身を乗り出して手を振っていた。ほんの少し口端だけで微笑んで、アルフレドは窓の下に駆け寄る。
窓からはその子の声みたいな小さな白い花がこぼれていて、ほろほろと甘く香るようだった。
「おじょうさん、何か御用ですか?」
ゆったりと、いつか本で読んだ貴公子のように、アルフレドは右手を胸に当てながら頭を下げた。くすくす、っておかしそうに、微笑む声が降ってくる。
「まあ頭を上げてください!」
楽しそうに発された言葉に、アルフレドはニヤと笑って顔を上げる。
「。」
名前を読んだらは肩を竦めてくすぐったそうに笑った。猫みたいだなあって思いながら、アルフレドは煤だらけの頬を拭う。拭ったところで煤が伸びてますます灰が滲みついただけだったのだけれど、鏡もないのに自分の顔は見えないもの。仕方がない。
「なんだい?煙突が詰まった?」
そう尋ねたらはむくれたように唇を尖らせた。下から見上げていると、の白い頬っぺたと額の表面と、ゆるゆる巻いた後れ毛が光に透けてやわらかそうな金に見えた。薄い茶色の髪の毛がふわふわ風に舞う。花が笑うように揺れた。
「私ぜったいそんなこと頼んだりしないわ。」
膨れたまんまが言う。
「じゃあ煙突が詰まったらどうするんだい?」
アルフレドはニヤリと笑ったまま少し意地悪な質問をした。
「詰まったら二度と釜戸も暖炉も使わないの。」
「お腹が空くし凍え死んでしまうよ。」
「平気よ。パンは買ってこればいいし、スープなんていらないもの。ワインを飲むのよ。パンにジャムをたっぷりつけてね。それから果物。これでお腹は空かないでしょう?寒かったら毛布に包まればいいのよ。」
頬を赤くして本当に怒っているみたいだ。が言う。
「私、アルフレドに死んで欲しくなんかない。」
本当に怒ってが言うものだから、アルフレドは胸の真ん中に、いつも滞っている彼の悲しみと彼の秘密の苦悩とを押しやって、じんわり滲んできたうれしいきもちに頬を緩める。
「僕は死なないよ。」
仲間の前では決して言わない言葉だった。自分の前でも言ったことはない。
でもうれしかったのだ。死なないで、って言外に言う、かわいい。小さな女の子。
「死んだりなんてしないよ。」
アルフレドがにっこりと笑う。
もやっとにっこり笑った。
「おいこらどこ行きやがった坊主!!」
親方の声がする。
「…行かなくちゃ。」
「あの人嫌いよ。あなたをぶつんだもの。」
またしかめっ面をしたに、苦笑気味に微笑みかけて、アルフレドはまたね、と言った。これ以上遅れれば、ぶたれるだけでは済まなくて、飯抜き、と言われてしまう。
「じゃあね!」
走り出した背中に声がかかった。
「アルフレド!」
振り向いた彼にぽおんとほおられた小さな白い花束。反射的に両手で受け止めて、アルフレドはびっくりした。花は短い糸で縛ってあって、ピンがついている。ブローチだ。
吃驚した目でみあげると、はにこにこ笑っていた。
「プレゼント!」
ふふふ、とはにかむと窓はパタンと閉じてしまった。
手の中の小さなブローチを見てアルフレドはみるみる頬を緩める。ああ笑いが止まらない。
「ありがとう!」
窓に向かって叫んで駆け出したら、花のにおいがした。
(おやかたに みつからないように しなくっちゃ。)
花が潰れたりしないように、落としてしまわないように、底抜けの上着の内ポケットにピンを止めた。ああなんだかほっこりとあたたかい。
アルフレドはみるみる駆けて坂の下に見えなくなってゆく。
胸に咲いた白い花
(あああとでロミオにみせてやろう!)
(でも ぼくの ぼくだけの、)(ふふふ!)
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