ジーワジーワと蝉が鳴き続ける境内で、私と美鶴くんは、すこし膝を抱えるようにしながら社の屋根の下で腰を下ろしていた。あまりの暑さと衝撃で、なんだか倒れてしまいそうな気がして、座らないか、と私が提案したんだった。
それに美鶴くんは、こくりと頷いて、知らないものを見るように、まじまじと私を見上げた。
私もまた、得体の知れないものを見るように恐々彼を見る。
いったい君は、(なに?)
ストレートな言葉はさすがに言いづらく、なんとなく沈黙が続いていた。

「あなたは、」

私の知るときより低くなった声で彼が口を開く。

さん、なの?4組の、さん?」

それに私が頷くと、彼は信じられない、と声には出さずに顔にでかでかと書いて顔を歪めた。
信じられないのはこちらも同じだ。
「君は本当に美鶴くん?芦川美鶴くんだよね、でも、君は、」
ギラリと日差しがちょうど目に刺さった。私はすこし眉をしかめる。
「…いくつなの?」
彼の顔を見ることはできなかった。囁くような調子になってしまって、そのあとしんと静かになる。
蝉だけ変わらず、鳴き続けている。

「…11。あなたは?」
彼もまたまっすぐ境内を見たまま答える。11歳。私の知る美鶴くんよりも、やはり2、3年歳を重ねているらしかった。それにしても、それはおかしなこと。私は彼のつむじのあたりを見下ろしながら、すこし言葉に迷う。

「私は、    20才、だよ。」
はたち、と呆然と彼が呟く。
「…今は何年なの?」
「え?2×××年、だよ。」
それをもう一度口の中で呟いて、美鶴くんは顎に手をやる。

「ねえ、…美鶴くん。」
私の声に美鶴くんがぎゅっと唇を結ぶ。その小さなこぶしは力のこめすぎで白くなっていた。けれどかける言葉が見当たらなくて、私はそれを見ない振りをした。冗談だとか悪戯だとか、そんな風には思わなかった。彼になにひとつメリットがないからだ。それに妙な確信があった。彼は芦川美鶴だ。間違いない。

「美鶴くん、君は。」
ふと彼が目を上げた。マゼンタ色をした虹彩が私を見上げる。その深い深い色に、一瞬暑さが吸い取られて夏を忘れそうになる。しかし口を開くと夏はすぐ戻ってきて、また汗が前髪の生え際あたりににじんだ。


「君は、ゆうれいなの?」
密やかに尋ねた言葉に、彼はポカンと口を開く。
逆に私も「へっ?」と言って同じような顔をした。
だって、そんな、そうでもなければ今の状態は説明がつかないじゃないか。
それにますます美鶴くんは、信じられないという顔をした。

さんて、大学生にもなって幽霊を信じてるの?」

馬鹿みたいって冷たく透き通った笑みを美鶴くんは浮かべる。
そんな表情を浮かべる芦川美鶴を私は知らなかった。
私は改めて、まじまじと隣の彼を見る。幽霊でないならなんだと言うのだろう。

私の知ってる美鶴君とは違う。サッカーが好きでいつもクラスの真ん中で白い歯を見せてニコニコ笑う美鶴君じ ゃない。妹思いで優しくて悲しい、彼は少年だった。夏の陽炎に透けて揺らいでしまいそう。美しい彼はどこか脆く危うくすべて諦めて満ち足りていて、あま りに儚かった。真昼の月のよう。
彼から滲む迷子のような雰囲気を私はひしひしと感じ取っていた。
この美鶴くんは、私の知る彼とは違う。そのきれいな横顔に憂いと後悔が影のように伸びていた。
(君になにがあったの。)
私ははっと息を呑む。
(噫。)



『みつるくん転向しちゃったのー?』
『そうだね。』
『なんでー?』
『…あの子の家はね、




(噫…ああ。)
私はすこし泣き出したいような気持ちになって、それでもそれを無理やりに呑みこんですこし笑う。
「幽霊じゃないの?」
そう言って顔を覗き込むようにすると、美鶴くんは、ぱっと顔を赤くしてすこし身を引いた。(…かわいい。)なんだかやっぱり泣き出してしまいそうで、私はなお笑う。
「違う。」
目線を下げながら、美鶴くんが呟く。なんだかもうどうしようもないから仕方がない、というような投げやりな感じがした。そんな彼もやはり知らなくて、私はじっと美鶴くんを見やる。


「…俺は過去から来たんだ。」
淡々としたその声の調子と彼の落ち着き、それからその賢そうな横顔がなければ、はあ?と言ってしまうだろう。しかし彼の言葉の響きもふ表情も真剣そのもので、冗談や狂気の入る隙間なんて1ミリだってなかった。
ふと顔を上げた彼が私の目をひたと見る。

「ここは俺からすれば未来だ。」
俺、その一人称を使う彼をやはり知らない。
幽霊よりは現実的だと思わないか?そういう美鶴くんに、私の方もどうしようもなくって、曖昧な笑みを浮かべるしかできない。風に吹かれて勝手にスケッチブックのページがめくれる。白い薄い紙がはらはらと風に解ける。


「でも、やっぱり俺は死んでるのかもしれない。」
小さく小さく、呟かれた言葉は、まるで懺悔のようだった。
彼の金の髪から、季節外れの桜の花弁がひとひら、夢のように滑り落ちる。



02.季節外れ