気がつくとあの神社にいた。さんと出会った神社じゃない、昔、三谷と話した神社だ。変わってない。
走り続けた喉に冷たい空気が痛い。
どうして、なんで!なんで!どうして!!
言葉になりきらなかった。石段を登りきったところで吐きそうなかんじがして、たまらなくなって膝をついた。
薄暗い中砂がぼんやり黄色く見える。そのままうずくまって頬をつけたら、当たり前だ、ザラリと乾いた感触がした。

「…はは、」
ああ当たり前だ。
「はははははは、はははは!」
砂がザリとなる。馬鹿みたい馬鹿みたい馬鹿みたいだ!ぜんぶぜんぶぜんぶ!
笑う声は掠れもしなかった。少し早い声変わり、小さなじまんだったのに。
『ミツルだろう!?』
あの低い声、ぐるぐるとこだましている。


「…っ、開けよ!」
思わず叫んだ。なぜここにいる?なぜこんな目にあわなきゃならない?
理不尽だ。なあそうだろう?こんなの不公平だ誰かに思い切り頷いてほしくて詰め寄りたい、そんな気分。

「開けよ!なんでだよもうたくさんだ!帰してくれよ!!」
どん、どん、とそのまま拳を握って地面を叩く。開け、開けよ。涙の代わりに喉が鳴って胃液とも唾ともつかない水が口から落ちた。扉は開かない。俺は帰れない。子供のまま、子供のままで!

『芦川!…待てよミツル!』

あんな声知らない。大人の声。低い響き。ちらと振り返ったときさんをひっぱり起こしてた。強い腕。高い背。そこに降り積もった9年分の歳月。
9年後の未来なんて誰が想像するだろう、俺には今だけで精一杯だった。噫、でもそうだ、9年後、その世界にいながら俺の今は、――今は?
(俺の今はどこにあるんだ?)
過去?未来?現在?どれがどれだ?俺の今はどこにある?現在は未来だ未来は未来だ俺は過去だ過去は現在だ現在はどこだ現在はいつだ今ってなんなんだ今俺はどこにいるんだ?
たかが9年なんて誰が言うんだろう、小学5年生と二十歳の大人。一瞬でそれだけ時を隔てた。馬鹿げてる馬鹿げてる馬鹿げてる!

「開けよ…。」
こぶしの真横にポツ、と雨が落ちた。
唸っても泣いても縋っても扉は開かない。どこにもない。喉の奥の方で少し鉄のような味がした。ずるずるとそのまま腹ばいになって息を吸う。少し砂を吸い込んだ喉はざらりと鳴った。地面とおんなじ。
横になったまま、ポツリポツリとひとりごとみたいに、雨だれが砂に染みてゆく。
(――――あめ。)
もうなにも考えられないようだった。サアアと断続的になり始める雨音に意識も遮断されてゆく。雨粒は小さく細く羽みたいに軽かった。
――雨だ。

(…さん。)
ぽつんと雨が染みをつくるみたいに、名前が浮かんだ。最初その音が何を示すのかわからなくて、ぼんやりと繰り返す。
(さん。)
じんわりと泣きたい気持ちは滲んだ。そうやって俺はやっと思い出す。そうだその音の表す人を俺は知っている。やわらかい雨だった。雨粒は細やかで軽くて、気づかないうちに濡れている。髪から滴った雨が目玉につうと注いだ。涙と混じっておおきな雫になって目と目の間を滑っていった。
(雨。雨だ、さん、雨だよ、雨が降っているよ。こんなに細くって柔らかい雨粒でほら海に来たみたいな音が聞こえるよ。雨が降ってる。ねえほら洗濯物を畳まなくちゃ。雨、雨、さん。雨。)

視界がゆらゆら、プールの底みたいに揺れる。
俺は助けてほしかった。
誰かに助けてほしかった。
扉を示してほしかった、手を引いて連れて帰ってほしかった。家へ帰してほしかったんだ。

さんさん俺は泣きたいんですこんなに泣いてるくせに違うんですまだ俺は泣けないのです腹の底から内臓を骨を肉を血を全部口から吐き出すように、そんな具合に泣きたいんですこの心臓を絞って泣きたいのですそこに溜まった悲しいを全部涙と大声にして流してしまいたいのですぜんぶぜんぶ雨に流してしまいたいんです。

さん。」
俺の声は雨音にも消えてしまうだろう。誰にも届かなかった、ずっとずっと今までずっと。
「――――――ん!美鶴くん!」
雨の遠くで声が聞こえる。

(…さん。)
どうしてここにいるのかなんて最初から分かってた。俺は、(あなたにこたえをもとめてる、ずっと。ずっと、)







18.やわらかい水


20070927/