ずっと答えを、俺は、知りたかった。
悲しまない心、苦しまない強さ、乗り越える力、全てを、全てを覆して元通りに戻すことのできる力。俺はそれを求めた。だってそうなんだ。おかしいに決まってた。なにかが狂ってた。だって、そうだろう?アヤに一体何の非があった?あの小さな妹に、いったい何の非があって、一体どうして、あの子が死ななきゃならなかったんだ?大人の都合なんて知ったことではないのだ。人を殺さなきゃならない都合なんてあるもんか。間違ってる。
間違ってる。
その言葉はいつだって俺にも向かってる。
人をころさなくちゃならないつごうなんて、あってはいけないのだ。
おれは、いったい、なんにんの、なんびゃくにんの、あやをころしたんだろう?
ワタル、お前は。きっと勝った。そして、取り戻したんだろう?ひとりも殺さずに、しあわせなもとの暮らしを。
(…ああ。)
胃の底が熱い。燃えるようだ。ムカムカする。気持ち悪い。
こんなこと考えたくもなかったのに。
俺が間違ってたんだなあいったいどこで間違えてのかな、そう言って、目を閉じて。俺の名前を呼んでバカみたいに泣いてるワタルの顔。それを見ながらアヤを感じて、そうだ、すべてわかったような気がしたんだ。酷く満たされた気分だったのに、そうやって目を閉じて、瞼の裏の暗闇。意識がふんわりと闇に包まれる。指先が熱い。死んだ、あの心地よい眠りのまま。そのはずだったんだ。目を開いたらアヤがお帰りって言って、それでそのまま光に溶けて。そうして俺は死んだ。
そのはずだったのに、目を開いたら夏で。知らない神社で。俺は生きている。あの人が立っていた。
あの人。
俺の過去、俺の越えられないもの。
放課後の校庭、長い影。
『!』
彼女は振り返る、少し憂いを帯びた微笑で。
『あ、美鶴くん。』
どうしたの?忘れ物?おっとりとは首を傾げる。その小さな手のひらには手作りのカーネーションだ。
『うん、色鉛筆、忘れてさ。は?』
どうしたの?ってその言葉に、彼女は少し笑っただけだった。
じっと影法師が指すほうを見やって、が少し、目を眇めた。
『…ね、美鶴くん。』
『なに?』
『これ、あげる。』
はそおっとその手のひらのカーネーションを差し出した。絵のうまいは手先も器用で、その造花は売り物みたいにキチンとできていた。美鶴は差し出されたそれをびっくりして眺めて、それからランドセルに刺さっている自分の造花を思い出す。乱暴に指したのでちょっとよれて草臥れてしまっている。の手のひらの真っ赤なカーネーションはしゃんとしていて、きれいだった。一本より、二本のほうが、母さんだって喜ぶだろう。
『ほんとに?…でも、いいの?』
『うん。いいよ。』
いいよ、ってひどく満たされたような穏やかな調子で、はそう微笑んだ。
『ふーん…ありがと!』
『どういたしまして!』
肩をすくめて、ふふってが笑った。俺はのカーネーションを手に持って、なんとなく手持ち無沙汰な感じがして少し首を傾げた。
『はお母さんにあげないの?』
はさっきと変わらない顔で振り返る。その目は夕陽がいっぱいに映りこんであったかいおれんじ色がキラキラしていた。
『うん、いいの。』
『ふーん?』
『美鶴くんは、ちゃんとあげてね。』
うれしそうに、が微笑んだ。赤いランドセルが、カタリと弾んだ。
(考えないようにしてたのに。)
雨はそんな壁を洗い流してしまった。
見たくないもの、見えないように聞こえないように、していたものが見えてくる。
あの時彼女は、どんな思いで、俺に、造花を渡しただろう?どうして微笑んだり、できただろう?
「――ん!!美鶴くん!!どこー!?返事して!ねえ帰ろうよ!」
さんの声がする。
俺を探している。
(…なんで?)
そう思うと、もっともっとむかつきは酷くなった。
なんで?なんで俺なんかを探すんだ、なんで俺なんか匿うんだ、なんで俺の面倒をみて俺に微笑みかけて俺の名前を呼んで俺を心配して俺を友達と言って。なんでだ?どうしてだ?
ムカムカする。とても嫌あな気分だ。今俺はとても残忍だ。自分でそう感じる。俺はいまあの人が大嫌いだ。顔も見たくない、ころしてしまいたいくらい。
俺を見るな俺に触るな俺に構うな。
なんでだ?なんでなんでなんでなんで!!
『これ、あげる。』
俺はあなたのように強くなれない。答えを探してた。なんで、あの時、ああやって、が微笑むことができたのか。俺はずっと、ずっと知りたかった。
朝のニュース、大破した車。がけからの転落。先生が30分も遅れてきた教室のざわめき。助け出された家族。生き残ったのは子供。たったひとりで。夏休みはもう始まるのに。結局夏休みを挟んで、すっかりみんなの記憶からあ褪せてしまったあの生々しい朝。
。生き残った女の子。
彼女は大抵、どんな人間にだって彼女の負い目を忘れさせた。そうしてやっと、俺が造花をもらって、校門で逆方向の彼女と別れて、はやく帰ろうって走り始めて、手の中のカーネーションをすこし嬉しくってふふって笑って見やってそして。そこでやっと思い出す。あいつの親はもういないんだってこと。渡す相手のいないカーネーション。振り返ってもの姿はもう見えなかった。それで俺は、そのまま母さんに二本のカーネーションを渡したし、次の日学校でに会ってもなんにも言わなかった。そういう人間だった。昔から。
そうして9年後も。彼女は変わらない。
聞きたい言葉はいつも喉の入り口辺りに蟠って消えた。どうして平気でいられるのか、それが聞けなかった。平気なはずないのに。彼女は平気でいる。
俺だったら。羨ましい。家族連れ、家族の話をする子供たち、カーネーションを渡せる子供。そんなやつらがうらやましくってうらやましくって憎くってしかたがない。なあ!なんで!なんでなんだ!それは俺も持っていたものだ。そして今も持っているはずのものなのにどうして今この手にないのか。それが分からない。
どうして悔しさや悲しみを微塵も感じさせずに、花をあげると言えるんだろう。
俺にはわからないんだ。
なにもかも。どうしてまだ生きているのか。なにを間違えたのか。どこからが間違いなのか。なぜここにいるのか。なぜ。
(なんであんたは、)
雨粒が一際大きくポツン、と目の前に落ちてはっとする。ひとつの答えに行き当たって俺はぞわりと全身が泡立つのを感じた。
そうか、そうだったんだ。
弱い俺、平気だとも大丈夫だとも言えない俺。
そうだ。そうなんだそうなんだろう?(そうだ、みんなそうだったじゃないか。)
「美鶴くん!」
見つけた!とさんが駆け寄ってくる。傘も差さずにびしょ濡れだ。頬まで真っ白に冷えている。
(―――、 。)
それを見て、なにか、なにか吐き気とは違うものが一瞬胸に滲んだのだけどすぐ忘れてしまった。
顔も見たくない。
俺はゆっくりと起き上がった。砂と雨にまみれた俺は、どんなにみすぼらしくって哀れだろう?なあ、さん。
さんはゆっくりこちらに手を伸ばす。細かい雨の中できれいな細長い指先は白く浮いて、ほのかに光って見えた。
「来るなよ。」
「美鶴くん?」
「来るな。」
え?とさんが目尻を下げる。
俺のことをずっと見下していたくせに。弱くてかわいそうな美鶴くん、私と違って弱い弱い美鶴くん。そう思っていたんだろう?それであんたは大人だから、守ってあげなきゃとでも思ってたんだろう?あんたは俺が弱いから、面倒みてただけなんだろう?友達。そんなきれいな嘘で飾って。こんな子供と大人が友達だなんてあるわけないんだ。そうなんだ、そうなんだろう?
「俺はあんたなんか大嫌いだ。」
みつるくん、とさんの顔がくしゃりと崩れる。
「俺はかわいそうなんかじゃない!」
「みつ、」
「もうよしてくれよ押し付けるなよ真っ平なんだ!!!」
最後はほとんど悲鳴になった。
「俺は!!俺は!」
変えたい。変えたい!あんな過去は真っ平だ!アヤを助けたい。俺は大丈夫じゃない。平気ではいられない。俺のせいだ。俺の所為だ。俺の俺の俺の!!俺がしあわせなお子様でなかったなら!もっと早くあの日帰っていたら!!ああもしも!もしも!!!胸を焼くのは後悔ばかりだ。今でも、ずっと、思い出す。聞いたこともないのに、アヤの、悲鳴が、繰り返す。
おにいちゃん、たすけて!(ワタルは手に入れたに決まってるのに!)
(ああ。)
耳を塞ぎたい。聴力なんて失ってしまいたい。
なあそれを目の前で見ていたはずのあんたがどうして笑えるんだ?なあぺしゃんこの車のなかであんたはなにを見たんだ?
俺は変えたかった。過去も。全部。だってどの過去も間違ってる。そしてそれを覆すために、俺がしたことも間違ってる。どれもこれも間違いの間違いだらけ。俺にはもうわからない。
「美鶴くん、」
「そうだよ俺は間違ってる!間違ってるんだ!!!でも俺はいやだいやんだんだ耐えられない!なんで!どうして!!アヤが死ななきゃならなかったんだ!なんで今俺だけここにいるんだよ!そんなのおかしい!おかしいじゃないか!!!なにからなにまでみんなぜんぶおかしいんだ!だってこんなの間違ってるじゃないか!!」
悲鳴が出た。さんはじっと胸の前で手を握っている。それが躊躇うように、そっとこっちに伸ばされたのを見て、瞼の裏に真っ白な光が焼ききれるのが見えた。
「あんたなんかだいきらいだ!!!」
雨はだんだん強くなる。ミツル、呼ぶ声が聞こえた。
19.彼はその名を知らず
20071009/