「美鶴くん…、」
何か、何か言わなくてはと思った。私が大嫌いだという君は、自分がいどんな顔しているのか、きっと知らないのだ。
聞きたくないと言う様に、顔を白くして美鶴君が耳を塞ぐ。
「ミツル!」
声がした。あの人の声だ。
びしょ濡れになって、三谷 君、が石段を駆け上って来るところだった。いっきに昇りきると膝に手をついて、はあと息をついて少し笑う。美鶴くんが恐れるように一歩後退さる。
ワタルと言う名の少年しか、彼は知らない。
「ミツル、あーもうやっと見つけ「来るな!!」
悲鳴のような拒絶に、三谷君はきょとんとして、それから私の顔を見、もう一度美鶴くんをを見て、また私を見て、少し困ったように首を傾げた。その目が謝るように眇められて、今更私は泣きたいような気持ちになった。
美鶴くんに、大嫌いだと言われてしまった。私の、思いは、届いていなかったのだ。美鶴くんは、いつでも、私を、偽善者と思って来たに違いないのだった。しかたがなしに私が、君の面倒を見ていると思っていたのだ。そんなつもりはなかった。私は、私は。
(ねえ君に幸せになってほしいと願うのは私の我侭で偽善的な行為なのだろうか?)(ねえ大人が子供を守るのに理由はひつようなんだろうか?)(ねえどうして君と私は友達ではいられないんだろうか?)(ねえ、)(ねえ。)
ひどく雨は冷えた。背筋がゾクゾクとして、頭が少しぼうっとする。
「…ミツル。」
三谷君が言い聞かせるような口調で美鶴くんを呼んだ。私の知らない響きで呼んだ。
それに美鶴くんが、嫌々と首を振る。
「やっと「来るなよ!帰れ!!」
「ミツル。」
「帰れよ!!!」
美鶴くんはもう一度だけ叫ぶと駆け出した。
反射的に追いかけようとした体がぐらりと沈んだ。パシャンと跳ねた水音に、三谷君が驚いたように私を振り返る。
「大丈夫ですか!?」
慌てて私を助け起こす手のひらはあたたかい。自分が思ったよりも冷えているのがわかって少し笑ってしまった。ああこんなにも冷えている。
寒い。
「…さん。」
「はい?」
「熱がある。」
「…そうかもしれない。」
少し笑うと三谷君はなにか考えるような顔をして、じっと私を見た。その口が開く。勇者の口。
「…さんは、帰って休んでください。」
「は、」
「風邪ひいてます。ひどくなる前に。」
そう言って彼はジャケットをそおっと被せてくれた。
しかし、ここで私は美鶴くんを見放すわけにはいかなかった。だってそんな、ここで彼を見捨てたら私は。私は。(本当に彼の言うとおりの人間になってしまうのだもの。)
涙が出そうなのをぐっとこらえた。
「私は美鶴くんの保護者です。…ここで帰るなんてできない。」
それに三谷君は、紫紺の目玉をきゅっと細めて笑った。
「男同士の大事な話しがあるので邪魔しないでください、って言っても?」
「は、?」
「やっぱり、あの、ほら!久しぶりにちょっと男の会話を。」
そう言って握りこぶしを作る彼は何も恐れていないように見えた。私はぽかんとして口を開けたままになっている。
だって変だ。この人、すごく、安心するのだ。
「…そのこぶしで?」
「いや!それは言葉の綾というか…!ともかく!男同士の会話です。」
「…私はいないほうがいい?」
「…参ったな。」
へへへ、と三谷君が笑う。子供みたいだ。肩の力がふにゃりと抜けた。
「うん、気を悪くしないでください、でも、…いないほうがいい。」
「…。」
「ミツルがさっき何言ったのかは知らないけど、でも大体検討つくから。…少し距離を置いたほうがいい。」
お見通しなのだろう。私は目を大きく開いた。頬を伝ったのは、雨だろうか?
少し泣いてしまった。でも雨だもの、きっとわからないだろう。
「…男の子っていいですね。」
本当にそう思って少し笑いながら言う。三谷君は首をかしげていた。
「え?」
いつもうらやましかった。男の子同士の遊びはとても楽しそうだったから。
「家まで電車で2時間掛かるんです。…ずぶぬれだし…美鶴くん一人で帰れないかもしれないし、どこか、休めるところで待ってます。ええと、私携帯電話を持ってないんだけど」
「えっ、携帯ないの!」
「…ない。」
目を丸くしてめずらしー、と笑う三谷君は、ポケットから鈍い銀色の携帯電話を取り出した。
「えっと、この道まっすぐ行ってそれで駅、わかる?駅の真向かいの喫茶店…ステップファザーって言うんだけど。うん、そこで友達がバイトしてるんだ。そこに今から連絡入れとくから、タオルとか借りられると思うし、ミツル捕まえたらそこに連絡するよ。」
それでどう?と三谷君が眉を上げる。ありがとう、と言うとそれに三谷君はにっこり顔を上げた。
「…任せて。」
きっときっと大丈夫なんだ、そんな気がしてしまう。彼の名は勇者。
「あーもしもしカッちゃん?ちょっと頼みがあるんだけど」
「ばっ!彼女ぉ!?ち、ちが!」
20.君はいつかの遠い遥か
20071024/