小さなピアノが、水を通して聞くように、遠くこもって鳴っている。
それをバックにカチャカチャと白いカップを洗う音、湯の沸く音、さまざまな音がしている。コーヒーの匂いが充満した室内はこじんまりとして、優しく落ち着いていた。
は通りに面したガラス窓沿いの席に座って外を見ている。雨だれが一つ一つ垂れるのを数えてた。
ひゃくに、ひゃくさん?もうにひゃく?
まだ彼らは帰ってこない。
「はやく帰っておいでよ。」
小さく吐息だけで呟いたら、は少し泣きそうになって慌てて口端を持ち上げる。背中にかけられたタオルがしっとりとぬれて重い。もう寒くはなかったけれど、頭が少しぼうっとした。

「…早く帰っておいで。」

声は出さずに口の動きだけで囁く。
コーヒーの匂いがする。
それから優しいピアノ。なんて言う曲だっけ、どこかで聴いた。は考えるけど曲名は浮かんでこない。少しこもったようなピアノの音。
古いレコード。
そういえばと彼女は昔、住んでいた家にたくさん並んでいたレコードを思い出す。割ってしまって怒られたっけな。父がジャズを好きだった。あのレコードは今どこにあるんだろう。全部売ってしまったんだろうか。
ぼんやりと考えてみる。
雨粒がすうっと窓ガラスを伝っていった。
ああ、と呟いては少し目を瞑る。

やっぱり少し泣いてしまいそうだ。



22.How Deep Is The Ocean




20080111/
How Deep Is The Ocean
/ビル・エヴァンス