「…ごめん。」
 ごめん、と誰かがそう言った。かすれて小さな声だった。それでも確かにごめんと聞こえた。謝っている。誰かが。私に。頭がぼうっとして、なにもわからない。
 ごめん。
 それは誰に対する謝罪で、何に対する罪だったのだろう。
 足跡つけるのも消すのも自由。君の自由。(私を好こうが嫌おうが、)罪などどこにもない。決めるのはすべて君。揺らがないのはひとつだけ。
 (私は君を大好きなんだよ。)
 だからこそ腹が立つ。は少し笑ってみた。そうだ、腹が立つ。人の好意の裏を読みたがる、そこに理由を見つけたがる。理由が必要か?理屈が必要か?それらは今まで君を果たして本当に守ってきたか?それらが君を裏切ることはなかったか?君を守りたがる理由は必要か?ならば名付けてやろうかこの思いに。
 噫まったくいやな子供だ。大人ぶってばかり。まだまだ子供のくせに背伸びしてばっかり。おかげで悲しみで泣けない意地っ張りのうそつき。なんでもかんでもまず疑ってかかってその癖寂しん坊のひとりぼっちのひとりよがり。
 ひとりがなにより嫌いな癖に。
 そんな子供を目の前にして、―――しかもそれが知り合いならなおさら、放っておける人間の方が少ないんじゃあないだろうか。馬鹿だなぁ理由なんてないよ、子供を大人が守るのに理由なんているもんか。君は子供だ。子供。子供。
 それは弱者の意味ではないし、それは君のハンデではない。君は子供だ。強く、しなやかで、そして自由。君の背中にだって、ちゃんと羽はあるのだ。どこまでだって、飛んでゆけるよ。君は自由なによりも何よりも。だからこその君の言う過ちで君の言う罪で咎なのだ。
 足跡つけるのも消すのも自由。払うのも壊すのも返すのも君の好きなように。
 その癖君はなんにも言いやしない。なにがしたいの?ねぇ、なにが欲しいの?
 君の喉を塞がせる、そのつかえを私はいつだって取り去ってしまいたい。何かがいつも、美鶴くんの邪魔をする。だから彼は辛いとも悲しいとも苦しいとも言えない。その喉に押しかかるつっかえを私は粉々に砕いてやりたかった。君の柔らかな喉はまだ固く凍えるには早いだろう。言ってごらん、なにが欲しいか。(例えばぜんぶ下さいだとか、)私はそれを聞き入れよう。すべて。君のしんじつの言葉を聞かせて欲しいな。ねぇ、だってほら疑うのも躊躇うのも取り繕うのもひどく億劫。ねぇ、その手間に君の心を言葉にしてごらんよ。
 (それにしても噫腹が立つ。)
 笑ったら誰かが額にふれた。大人の指だ、誰だったっけ。「さん、」ああ誰だっけ。 「大丈夫?」大丈夫。大丈夫だよ。そう言える間はまだ大丈夫。だからね、だから。
 言葉は形になりきらない。ふやけた思考がゆっくりと薄い暗闇に沈殿してゆく。
 (――噫。)


「おはよう美鶴くん。」
 朝だよ。
 私は多分知っている。君がほしいもの。君はちゃんとわかっているのかな、知っているのかな、君のほしいもの、君の言う罪と咎とそれら全てを踏んでなお、君が手に入れたいと願った君の妹の命、ねえその意味を君は気づいてる?なにをしてでも。欲しかった、君はそう言った。
 それでも欲しかった、物の名は何だ。君の本当の、望みは何だったのだ?
 望むなら唱えろ、願うなら音に出せ。
 まだ気づかないの?君のほしいもの。
 (さあ、おはようは始まりの合図だ。)
 お姉さんは少しばかり、君に腹を立てている。


24.アンダー・ザ・サークル



20080221/