美鶴くんは黙っている。だから私も、少し黙って歩いた。
随分走って走って走って、結局最初の神社に来ていた。石段を登りながら、それでもなんとなく、繋いだまんまの手は離さなかった。
裸足の足が、ぺたぺた冷たいような、熱いような。
傍から見たら、へんてこなことこのうえないんだろうなあって考えたら、少し、笑えた。とりあえずこの格好はまずいよねえ、と言うことになって、じゃあ人目のつかないところに行こうか、となった。
「…足、」
「んー?」
「平気なの?」
美鶴くんが尋ねるので、平気、と返した。裸足であるくのは、なんだか心地良い。大きくなったような、そう、とても自由な感じがする。そう言ったら変な顔をされた。
「わかってるよ、傍から見たらどう見えるかぐらい…仕方ないじゃん、取りに戻ろうにもかたっぽは飛んでったからどこ行ったかわかんないし…。」
石段を登りきると景色が開けた。少し高いところにあるので町が良く見える。いい天気だ。いっそこのまんま歩いて帰ろうか、って言ったら思い切り変な顔をされた。
「…俺、そのまんまのさんと一緒に歩くの嫌だよ。」
「そんなに言うなら、美鶴くん靴取って来てよー。」
くーつー、って言ったらわかったわかった、って美鶴くんが溜息を吐く。どっちが子供?だなんて、多分、私?そう言ったらますます呆れられた。でも、やっぱりなんとなく手は繋いだままだった。
走りすぎて、気が抜けたのかな。ふいにふたりとも黙った。
ぽかんと見上げた空は、夏と秋が入り混じって、少し騒がしい。
ほとんどほどけてしまった入道雲と、ぽこぽこぽこって、並んだ羊雲。ばらばら白い敷石を撒いたみたいだ。手のひらを繋いで、見上げた先の。あれを渡っていけるかなぁって、少し、そう考える。もしも私が神様なら、お空に羊雲を並べて、迷子の帰り道にしよう。ふわふわの雲を、はねるような気持ちでひとつひとつ踏んで、家に帰れるように。
「ねー美鶴くん。」
そおっと握った手を握り返す力はやわらかだった。やんわりと、ここにいる、そう告げていた。
「夏が終わるねぇ。」
入道雲はもうない。空に撒かれたのは羊雲。青が染みる。
事故のこと、少し思い出す。助け出されたときに、見えたよ。同じような雲が。抱きかかえられて、見上げて、ああ帰りたい、って思った。
あれを渡って帰りたかった。迷子の道しるべ。
「うん。」
頷いた彼は手を握ったまま、背筋を真っ直ぐにのばして白い頬をしてすっと前を見ていた。冬の朝のように、凛と透き通った目をしていた。鈍い金の髪が追い風に揺れる。
視線の先に風は流れていった。山々の向こう、さいわいが住むなんて人がいうところの。
「…ずっとここにいてもいいんだよ。」
こちらを仰ぎ見ることはなく真っ直ぐ真っ直ぐ前を見たまま、美鶴くんはうっすらと猫のように優しく目を細めて笑った。
「なんとかなるよ、君ひとりくらい。」
答えはわかっていたので、私もただ前を見た。小高い神社の境内からは、町がよく見える。鳥居の向こうに広がる町の屋根屋根は、水面の形にもよく似てた。
美鶴くんはじっと町のさらに向こうに見える山々を見つめている。紫と群緑に霞んで見える。その口端に浮かんだ微笑は、とても美しかった。だから私も、じっと黙って山の先を見る。
「あ、虹。」
美鶴くんが、繋いでいないほうの手で指差す。
ほんとだ、と私は言った。羊雲と、虹。青い空にポカン。
あれは扉だね、迷子がわたって帰る橋。それから扉。
(――揃っちゃった。)
どこかで低く、鐘の音が聞こえた。
31.誰かがそう言う
20080412/