思ったよりも強かった。
思ったよりも、強かったのだ。それとも自分が、弱くなっただけだろうかとミツルは少し頭の隅っこで考えたがそんな暇はない。そもそもいくら田舎の町だからって、駐在のハイランダーがひとりというのも、応援も待たずに子供の魔導師ひとり伴って、つまりたったふたりで盗賊退治に乗り込もうというほうが、おかしいのだ。せめて近くの町からの応援を待つとか、町で有志を募るだとか。そういうことを先にしなくてはならなかったんじゃないんだろうか?
隣で黙々と、敵を叩き伏せている獣人を見上げながら、ミツルは口端を引きつらせる。黒くしなやかな巨体。確かに剣の腕は立つのだろう。先ほどから見事に次々と、盗賊たちを昏倒させていっている。理知的で真面目そうな目玉。しかしどう見てもアンカ族とは違う顔の作りに、ミツルはこのリュカという男のキャラクタを見誤ったらしい。こいつは、どう考えても。
「あんた実は結構考えなしだろー!!!」
それにリュカが、おや、と目を開いてミツルを振り返る。
「いや?考えているぞ?」
「嘘つけ!たったふたりで来てどうにかなると思ったのかよ!ちゃんと考えたか!?」
ミツルが杖の先で、背後から飛び掛ってきた男を殴り飛ばす。そうして再び足元に光で陣を結んでいる間に、リュカはもう一人、二人、とその後頭部にトンファーをお見舞いしてやりながら、少し首を傾げた。
「なんとかなるかと思っ「そういうのを考えなしっつーんだよ!!」
ゴッと鈍い音をさせて、もうひとり、ミツルの杖が盗賊を地面に沈める。しかし一向にキリがない。いったいどれだけいるのだと思われるほど、盗賊の数は減らないのだ。おかげで魔術師に、近寄ることすらままならない。洞窟の中は暗く、僅か入り口と、崩れた天井から青い光が差し込んでいる。もうどれくらいここにいるだろうか。時間の感覚が朧だ。もう何人倒しただろうか。それすらわからない。とにかく死に物狂いで動くしかない。捕らえる目的で立ち回っているこちらとは別で、向こうはやりたい放題だ。殺すことだって、なんとも思ってはいないだろう。やりにくいったらない。おかげで先ほどから、ミツルが呪文を唱える暇もない。
いっそ魔力を最大放出で全員魂ごと薙ぎ払ってやろうかという考えが、先ほどからミツルの頭にはチラついているけれど、それだけはできなかった。彼は杖を強く握り、唇を噛む。もうそれだけは、してはならない。相手がどんな人間で、いや、どんな生物でも、もうそれだけはいけなかった。なぜ?一度同じようなことを繰り返して、後悔したからだ。そしてそのことに気づいて、その間違いを取り消そうとまだ足掻いてる。そのためにここにきたのだと彼は信じるしかなかった。そうしなければ、懐かしい誰かさんにきっともう会えないってこと、彼はなんとなく知っていた。
いいとかわるいとか、そういうことじゃない。
ミツルは大きく腕を振って、盗賊をもう一人、地に伏せた。
殺すのは簡単だ、奪うのも壊すのも諦めるのも絶望するのも悲嘆にくれるのもみんなお手軽。
それを選ぶか、選ばないか。それがすべてだ。そして今ミツルは、選ばないことを選ぶことができる。誰かが正しいとか間違いとか言ったからじゃなくて、自分で間違いだと思うから。(――なら正せばいい。)簡単でしょうと教えた人の言うことの、なんと難しいことか。
それでもミツルは、それを、選ぶ。
パリ、と空気が緊張する音がした。ミツルの魔導師として有能なその素質が、それに気づいた。一瞬にして空気が静電気を孕む。魔法の気配。相手方の魔術師――では、ない。 「おいあんた、さがれ――!」
どうしてか誰かが口端を吊り上げて笑うのが見えたように思う。誰だ。ミツルが振り返る。声が鳴った。
「あつまりたまえあまのかみがみ、あまかけくだれそうりゅうれんがのこ、」
女の声。呪文だ。空気が一瞬、収縮する。そして静寂。
「―――招雷破!」
ドォンと音がした。空気が膨張して、その中を青いいかづちが通った。神の道行きだ、すぐ体の横を抉るように掠めた雷撃に、ミツルはかすかにゾッとする。蟻のように狭い洞窟内に群がっていた盗賊たちを割って、雷撃は走った。やわらかい屍で道を作って。
「だれだ!」
しわがれた声で魔術師が慄く。洞窟の入り口は逆光で眩しく、辛うじて女の影が見える。ミツルは目を眇めてそれをじっと見極めようとした。隣でリュカも、低く身構えている。女は洞窟の入り口に片腕をついて、体重をそちらに預けていた。くす、と笑う気配がして、女が一歩、暗い影の中に踏み出す。腕で金色が光る。胸元に血のような赤が光った。ゆったりして踝のところで絞られたズボン。黄昏色のマント。そのニヤという笑み。
「…!」
ミツルにはそれに、見覚えが、ある。
「あん時ゃ世話んなったね少年!」
女が言葉と共に身のこなしも軽く、ヒラリと跳んだ。ミツルの隣に着地すると、高い背でニヤリと見下ろした。
「あ、」
「あ?」
「あの時の食い逃げおんなー!!」
その台詞に女が豪快に笑う。わっはっは!という笑い声は洞窟にとても愉快に響いてそれはもう場違いだ。笑いながら女は腰から半月の形をした剣を引き抜き、魔術師に向けた。今、雷撃によって薙ぎ払われた壁となる人間は、彼らの間には存在しない。魔術師が、ギクリとたじろぐ気配を見せた。女が再びニヤリと笑う。
「なんだいあんたもあの村の連中に担ぎあげられたクチかい?ふたりで突入たあ随分な考えなしだねえ。」
「…。」
その台詞にミツルは苦虫を噛み潰したような顔してリュカを見た。彼は気がつかないふりを決め込んでいるようだ。魔術師に向かってかっこよく、トンファーを構えている。
「頼まれたんだよ、村のやつらにさ。たったふたりで出かけていったけど、やっぱり子供の魔導師じゃ心配だって。」
ああ。リュカは視線だけはしっかりと魔術師に向けたまま、心の中でため息を吐いた。わざわざ見なくたって、ミツルが氷のように青筋立てて怒っているのがわかった。どうやら再び、ややこしいことになりそうだ。声の調子から考えたって女のほうは愉快犯だし、このままでは埒があかない。
「ミツル、今はこいつを捕まえるのが先だ。あー…食い逃げ犯、逃げるなよ。」
リュカの台詞に、ふたりが同時にはいはいと答える。片方は億劫そうに心の底から不機嫌で、片方はうきうき上機嫌。
「サポートは頼んだよ?お子様魔導師さん!」
女が言い捨てて助走もなしに踏み込む。ああああ、と心の中でもう一度、深いため息吐きながらリュカもそれに続いた。後ろでなにか、ブチリと切れる音がした、ような気がする。彼の逞しい腕が、最後の壁と言わんばかりに立ちふさがる数人の盗賊を地に沈める。女が跳ぶ。
「れいてつなるゆきのじょおうよ、うつくしききみよ、わがこえにこたえよ、」
腹の底まで冷えるような声。思わずリュカは、背後を振り返った。ミツルの周りを、白い吹雪が渦巻いていた。うっすらと浮かぶ女の形。白いローブの裾。青い宝石。
(目が、)
リュカは一瞬寒気を覚える。ミツルの目。その目が青く、光っている。
「ましろきえいごう、いざなうはつめたきひつぎ、いてつくせんのやいばにてくだけよ!」
女の半月刀が、青い光を映してギラリと振り下ろされる。その刀身に写った口端の笑みにも、リュカは別の意味合いでゾッとする。
「来たれ!ルミクニンガタル!!」
魔術師の目にはきっと、白く焼ききれた光だけ見える。
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