「名前?そうだな…ウェ・イトゥーシー・ユウだ。」
女はのうのうと、まるで自分の家のようにくつろいで駐在所の椅子に座ると言い放った。その正面に座るリュカこそ、なんだか客人のように見える。実際は、罪人Aと街の駐在さんである。立場が逆だ。
「…ウェ、イトゥーシー、ユウ?」
リュカが首をかしげ、その隣に座ったミツルが、嘘吐くな、と小さく口を開いた。
「あれ、やっぱだめか?じゃあ…そうだな、オクタムだ。」
女は懲りずに、ニカリと笑う。
もうどうにでもなれ、リュカは書類に“オクタム”と記す。名前の上の欄には罪状である、食い逃げ、の文字が格好悪く堂々と書かれている。しかし正直な気持ちを言うならば彼はいますぐ眠りたかった。なにせたったの二人(後半からは三人だったが)で盗賊団を壊滅させて、ふんじばって連れ帰ってきたところだったのだ。おなか一杯食べて、ふかふかの布団でぐっすり眠りたいと思っても仕方はない。それでも彼が今こうしてつかれた体に鞭打って職務を全うしている理由はというと、一重に隣に座った少年魔導士から発せられる無言のプレッシャーに他ならない。
「オクタム?おいおい、嘘つけ。あんた日本人だろ?旅人じゃないのかよ?」
少年はまるで、リュカがどちらがハイランダーだったっけか、と思うくらい、真剣に取り調べている。よほど食い逃げ犯の汚名を着せられた上に盗賊退治なぞやらされたそもそもの原因である女にご立腹のようだ。まあ実際自分が彼の立場ならそうだろうな、とリュカは考え直し、ペンにインクをつけなおした。つまり、女は旅人らしい。一日に二人も旅人に遭遇するとは、なんとも奇妙な星の巡り合わせである。
「そうだよ、よくわかったな少年。」
女がえらいえらい、とまた少年の神経を逆撫ですることを笑顔でのたまう。無意識にしても意識的だとしてもはた迷惑なのでやめて欲しいとリュカは思ったが、もちろん心の中でなので誰にもその切実なお願いは聞こえなかった。
「…あんたのその剣に空いた穴は宝玉をはめ込むためのもの…ちょうど五つある。それにその腕輪。」
指を指されて、女はご名答。と白い歯を見せながら腕を持ち上げた。ごつい金の腕輪が、その細い手首にはめられており、表面にうっすらと、星の形をした文様が見える。
「それが旅人の証だ。」
「さすがは旅人同士。よくご存知だ。」
女の微笑と、少年は静かに白い頬のまま黙っていた。おや、とリュカは思ったが、すぐに思い当たるところがあって、その疑問を忘れる。似たような模様、確か彼は持っていた。
「でもね、私はオクタムだよ。いい名前だろ?鏡の世界には相応しい。」
謎かけのような言葉だった。女の話し方はどこか鷹揚で、それでいて詩のようなリズムがある。
さっぱりわからん、という顔で頼みと魔導士を見下ろせば、そちらもそちらで、なんだこいつ、という表情をしている。ミツルにわからないなら俺もわからないな、とリュカは罪状の氏名欄の隣に(自称)と付け加えた。少年、ミツルは少しいらいらとしながら、リュカの代わりにスムーズに話を進めた。これは楽かもしれない、とこっそりリュカは思いながら女の次の言葉を待つ。小さな町とは言え、ハイランダーはたったひとり。なかなかこれで、忙しい身の上である。
「はあ?じゃあ最初のウェ、…なんちゃらはなんなんだよ。」
「さあ?別に。かっこいいかと思って。」
「呼びにくいったらないね。」
「そりゃ残念。」
ひょい、と両手を広げて女が笑う。
「食い逃げに関してはさ、悪かったよ。お金がちょうーど!底をついて、さ、」
でもいいじゃないか、盗賊倒した謝礼も手に入ったんだし、ね、ね。と女が少し笑って上目遣いで向かいの二人を下から覗き込んで見せるが、いかんせん片方はネ族の朴念仁で一方は冷徹(しかも目下ご立腹)なお子様魔導士である。
「有罪だよな。」
「だな。」
着々と女の目の前で罪状作りが進んでいくばかりである。いつの間にかこの二人、阿吽の呼吸を習得したようだ。チッと舌打ちした女に、態度が悪い、とミツルから厭味が飛ぶ。しかし女は気にした様子もなく椅子をガタガタ揺らし出した。子供かよ、と言う彼のツッコミも最早投げやりだ。
「いいじゃないかーケチーちゃんとさー盗賊退治ってことで慈善事業もしたわけだしー、」
「謝礼ガッポリせしめたのはどこの誰だ。」
「だからその金で食い逃げ代は払うって言ってるじゃないかい、」
「そういう問題ではない。」
ミツルに続いてリュカもゆっくりと告げた。
「食い逃げだろうが盗賊だろうが罪は罪。我々は高地人。あらゆる不正も悪事も見逃さない。そしてハイランダーは罪の大小、その重さを計らない。」
それはどうしてか、隣の少年の腹の底にも、響く言葉だというのはリュカは知らなかった。
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