三日目の朝が来た。結局ミツルは、まだこの街にいるし、オクタムも文句垂れながら大人しく罰掃除してた。食い逃げの勇者で相当な大飯食らい、その情報はもうこの街の住人のほとんどが知るところだろう。今日で終わりだ、一日がんばれよ、というリュカのさわやかな笑顔に見送られ、ありとあらゆる掃除道具をぶら下げたオクタムがため息も深く、テナガザルのような姿勢でドアを開ける。
「ったくなんだって私がこんなこと…!」
「お前が悪いんだろ、食い逃げなんかするから。」
「うるさいよお子様。」
「…うるさいよおばさん。」
言い返す元気もないようだ。クソガキめ…、と呟きながら、ズルズルとモップをひきずってオクタムが街へ出てゆく。届いた手紙の、封を開きながらリュカがミツルを見た。そのミツルは、まるでもう数年ここに住んでいるように馴染んでいる。彼専用となりつつある客人用のマグを傾けて、地図を見ていた。その足元には荷がまとめられている――そろそろ発つつもりなのだろう。
「…ミツル、」
「ん?」
呼べば振り返るまだ幼い顔立ち。たったひとりで、この幻界までやってきた。旅人として、宝玉を捜しに――その願いを叶えるために。それはどんなにか、壮絶なことなのか、リュカには想像もつかない。果たして自分が、なにかひとつ願いと引き換えに、見知らぬ世界へあてもなく旅立つ機会を与えられたとして――その時自分は選ぶのだろうか。その扉へ飛び込むことを。そんな決意に足る願いを、自分は持っているのだろうか。この年頃の自分の願いなんて、そうだな、この女みたいな名前をどうにかしてほしいだとか、たぶんそれくらいのものだった。そうしてそれが、しあわせなことなのだということも、リュカは知っている。
だってまだこんなに小さいのに。
だからこのまだ賢くとも幼い少年を送り出すのは躊躇われた。これでもし、ミツルという少年の持つ力だとか賢さだとかを知らなければ、有無を言わさず止めている。それらを知ってもなお、やはりその幼さに不安が残る。だって仕方がない、彼は大人で、その彼から見たらどうがんばってもミツルは子供だもの。せめて同じような志を持つ仲間がいれば――リュカはチラリと窓の外を見やる。オクタム。あの食い逃げの旅人。彼女もまたミツルと同じだ。願いのためにここにいる。しかし彼らは同時に玉を取り合うライバルでもあるだろう。共に旅ができるのだろうか?
名前を呼んだまま、黙りこくったリュカを不振がってか、ミツルが「おい、」と声をかける。それにはっとして、リュカは頭を振る。考え込むのは悪い癖だ。そのくせたいてい、考えないほうがうまくいく。
コツコツ、と窓を何かが叩いた。見れば真っ赤な鳥が、嘴でガラスをつついている。
「なんだ、あれ?」
「ハイランダーの通信用の伝書鷹だ。…さすがだ、早かったな。」
伝書鷹…、となんだか嫌そうな顔をするミツルをよそに、リュカは窓を開けた。真っ赤な体をした鷹が、王者の風格で彼の腕輪に止まる。その足に結わえられた手紙を外しながら、彼はその使者を止まり木に案内した。
「ミツル、悪いが水をやってくれないか。あとハムも。」
なんで俺が、といいながらもミツルがのろのろと水を入れに台所へ向かう。手紙を開けば、盗賊たちの処遇についてだ。もう何人か殺している。リュカひとりの手には余ったこの件については、本部へと鷹を飛ばした。その回答がきたのだ。『本部マデ護送サレタシ。裁判ノ後追ッテ処遇ハ検討スル――、』短く事務的な回答の後に、細かな指示が続く。ミツルが水とハムを持って、戻ってきた。魔術師については動かすのは危険、その場に協力者の魔導師がまだいるのならば再び協力を仰げ。謝礼は出す。短い文。しかしこれは、願ってもみないことではないのだろうか?
「ミツル、」
「なに?」
返事をしながらも、ミツルは鷹と格闘している。相当腹をすかしていた鷹は、ミツルに対して高圧的だ。ジリジリとにらみ合う一人と一匹がおかしい。
「これからどうするんだ?」
「…とくに、あてはない!けど、てきとう、に!ぶらぶらしてみ!る!つもりだ。」
ところどころアクセントがおかしくなるのは鷹の嘴から逃れるためだ。この鷹、相当飢えているようである。ハムとミツルの指の判別が正しくできているのか限りなく怪しい。あいにくリュカは手紙を眺めていてそのミツルの奮闘が見えていない。そのためミツルは水をいかにこぼさずにハムだけこの鷹に与えるかでいっぱいいっぱいである。彼の余裕をここまで失わせるとは、恐ろしい鷹、さすがハイランダーの一員なだけはある。あなどれない。
「なら首都までついてきてはもらえないだろうか?」
「この、バカ鳥、それは俺の指…は?」
一瞬ミツルの注意が、鷹から逸れた。その隙にさっと、ハムだけ器用に彼の指からさらうと、鷹は満足げに食べ始めた。見境を失くしているかと思ったがそうでもなかったようだ。さっさと寄越さない若造に苛立っていただけと思われる。それが少し矜持の高い彼には恥ずかしかったのだろう、むすっとしたまま、水を水入れに移すとリュカに視線を戻す。
「なんだって?」
「だからだな。盗賊団を本部まで移送することが決まった。首都まで行かねばならんのだが、魔術師は今は牢のまじないで力を封じられている――が、移動中何をしでかすかわからない。ミツルのような魔導師が一緒に来てくれるとありがたい。本部からは報酬も出すと言ってきている…首都ならお前の望む情報もあるかもしれん。」
その言葉にミツルは、逆にリュカが驚くくらいに平静なままだった。少し迷うように、しかし無表情のまま、その首が傾げられる。ひとりで行くなと言えば、ひとりで言ってしまうだろう。短い数日の間で、リュカにはそれが十分わかっていた。
「頼む。俺は魔法の類にはてんで明るくないんでな。」
少し困ったように、ミツルを見る。少しその目が、呆れたように、そしてえらそうに右へ向いた。しかたないな、っていう言葉、きっともうすぐにでもその口から出るだろうことわかって、それでもリュカは真面目な顔して待っている。
「…まあ。あてもないし。」
リュカがニッと笑った。豹によく似た彼がそうやって笑うと、大きな歯並びがあらわになって、毎回少しばかり、ミツルをぎょっとさせていることを彼は知らない。
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