罪人たちはしばらくこの街のハイランダー詰め所で預かってもらった。しばらくゆっくりして行くといい、と白い歯を見せたネ族の男に、リュカはありがたくと答えた。隣でミツルがなにかじとーっと視線で訴えているのを自然に無視して。
 ミツルとしては、さっさと目的地まで行って彼らと別れたかったのだ。リュカもオクタムも、大人のくせにどこかぬけてるしオクタムときたら、ミツルの宝玉を窃盗未遂。それをとやかく責めるつもりは毛ほどもないが、それでもやっぱり、これ以上あまり関わりたくない。
 しかし同時に、三日間慣れない馬車に乗りっぱなしだった体の方は、その休暇に喜んでいるというのが正直なところだ。空間移動の魔法を使えば、一瞬の距離。文句を言ってみたところで、罪人を含めた大所帯を魔法では移動させることもできず、おとなしく荷馬車に揺られたミツルの体は、すっかりこわばってごわごわだった。野宿が続いたのも正直きつい。前の旅では野宿なんてほとんどしたことがなかったし、リュカの作る野営食は不味くはないが味気ない。文句を言いそうなオクタムは、実に意外にきちんとなにも言わず微笑んで食べるし、リュカは慣れている。ミツルだってなにも言わないが、でも久しぶりに、栄養価云々関係なく味の着いた食べ物が食べたいと思った。誰かさんの卵焼きが食べたい。なんとなくそれは、これからも一生黙っているだろうと思う。少なくとも街でなら、味の濃い飯が食べられるのだし。

「飯食いに行こう!」
 とそれはいい笑顔でミツルの肩を叩いたオクタムの向こうで、リュカが少しばかり不安げな顔つきをしている。
 彼女が8600テムという高額食い逃げを働いたのは記憶に新しかった。この旅の財布を握る彼として、一抹の不安を覚えたとて仕方はない。なにせオクタムときたら、すらりと細いくせにそれはもうよく食べる。
 当の本人は、どこへ行こうか何を食べようかこの街の名物はなにかとよく喋り、その頭越しにリュカがミツルにチラチラと視線をよこすけれど彼は素知らぬふりをする。生憎と俺は一銭も持っちゃいない、という主張である。
 料理の香りにつられるように歩けば、だんだんと人通りが多くなる。市だ。あちこちでにぎやかな声があがり、様々な色と形、匂いが飛び込んでくる。それにしてもすごい人通りで、そのまま流されていきそうになるくらい。
「はぐれるなよ。」
 リュカの言葉はミツルとオクタムふたりに向けられている。どちらかと言うと、オクタムへの比重が高いだろうというのはミツルの勝手な思い込みではないはずだ。実際オクタムときたら、あっちの屋台を覗いたりこっちの出店で試食したりと先ほどからずいぶん忙しい。身軽なもので人の波間をあっちへひょい、こっちへひょい。時折ぶつかりながらも難なくすり抜けている。が、しかしこのままではとっととはぐれてしまいそうだ。ミツルと同じように感じたのだろう、グイとリュカが彼女のマントを引っ張り、オクタムが蛙のような声を上げた。
「なァにすんだい!」
「あまりウロウロするな。はぐれたやつの飯代まで面倒見んぞ。」
 現金なもので、飯代の言葉でオクタムはちゃっかりとミツルとリュカの真ん中におとなしく陣取った。「さって!なに食べる!?」食べ物のことしか頭にないのか。ミツルが口元をひきつらせ、オクタムを見上げようとした、時。

「…?」

 ふとじっと自分たちが見られていることに気づいた。
 辺りをなんとはなしにそろりと見渡してみる。するといかにもガラの悪そうな連中が、人混みから一歩はなれた軒先に固まってこちらを見ている。背の高い大柄なネ族の男に、熊のような男など片目が刀傷で塞がっている。見るからに悪そうな、わかりやすい連中だ。リュカの赤い腕輪が目に入らないわけではないだろうし、スリやかつあげ目的でめぼしをつけられたというわけではあるまい。
 しかしその不穏な七対の目玉は、確かにミツルたちの動きをじっと追っている。密やかに彼らの間で交わされる会話がなお怪しい。もうずいぶん距離が開いたにも関わらず、その視線が外れることはない。
 気のせいではないだろう。
 路地裏に誘い込んで魔法でいっぺんに潰してしまうか――そのためにはリュカとオクタムに知らせなくてはならないが、その工程を彼らに気取られず尾行させるのは難しい。この人混みだ、撒いてしまうことは不可能ではないだろうがこんなにも見られている理由がわからないままはどうにも気味が悪い。さてどうしたものか――。思案している間にふとそのうちのひとりとミツルの目があった。すぐに逸らされる。しまったと思った。気づかれた。なにか、確信めいた直感がミツルを走った。おい、と小声でリュカに相手を指し示す前に、もうずいぶんと離れた男たちが、人の波を跳ね返すような勢いで走り出すのが見えた。
 警戒音を含んで、ミツルは自分の声が鳴るのを聞いた。振り返ったままわずかに後ずさったミツルに、二人も振り返って人混みを逆流してくる集団を見る。
「…なんだ?あいつら…こっちにすごい勢いで走ってきてないか?」
 リュカの声は最初他人事だった。
「ああ、」
 ミツルが答える。すでに彼の足はいつでも走り出せる体勢にある。
「気のせいじゃない!」
 走れ!次の瞬間叫んだのはミツルだったかオクタムだったか、その声に弾かれるように三人は走り出す。それを見とめて男たちも人混みを掻き分ける力を強めた。あちこちで非難の声があがり、あたりが騒々しさと不穏さを増す。
「なんなんだあいつらは!!」
「こっちが聞きたい!あいつらずっとこっちを見てた!」
 ミツルの言葉にリュカが目を見張り、一歩前を走るオクタムが角を曲がる。
「物騒な連中だね…ここは人が多すぎる!ミツル!こっちだよ!」
 わかってる!と答えながらも長いローブが邪魔だ。狭い町中でエアライダーも使えないので仕方あるまい。半歩遅れたミツルに、リュカの強い腕がのびる。
「舌を噛むなよ!」
「なっ!」
 首根っこを掴んでそのまま肩に俵担ぎにされる。文句を言われることなどとっくに予想済みだったろうリュカが、ぐんとスピードを上げてオクタムに追いつきながら半ば叫ぶ。
「ミツルは目くらましの呪文を!!」
 急な角を曲がる。しばらく言葉にならない文句の数々に口元をひきつらせていたミツルも、舌打ちと一緒に怒りを押し込める。確かに自分は彼らより走るのは遅い。しかしミツルは学年では足は早い部類だ、学年リレーではいつもアンカーだ。それが荷物扱い、矜持のたかい彼にはいささか耐えがたい。しかしそれでも、ミツルのよく働く頭は今最優先の事項を叩き出して自分のプライドと瞬時に計りにかけた。多分おそらくこういうところが、誰かさんやらオクタムやらに、かわいくないって言われるところ。

「…………水と風の子らよ、光を縢り 彼の者の眼(まなこ)を欺け 」
 三人が飛び込んだ角に、土ぼこりが静かに起こる。
「――ナキュマトン ラプシ。」
 その詞が終わった時、三人が身を潜めた狭い通路が消えた。路地を挟む家の煉瓦と同じ模様が、そこに壁のように見えていた。目の前を慌ただしく男たちが過ぎてゆくのが土ぼこりのような霧のような、不思議な靄の向こうに見え、遠ざかっていく足音を聞きながら三人はほっと息をつく。

「…行ったようだな。」
 ああ。と同意しかけて、ハタとミツルは気づく。まだリュカの肩に担がれたままだった。なんともみっともない。
「下ろせよ。」
 普段より三割増し機嫌の悪い低い声で唸ると、リュカはああすまないとなんともあっさりと素直にミツルを地面に下ろした。なんとなく居心地が悪くて、ミツルは低い声音のまま「あいつら行ったか?」と言葉を続ける。路地から少し顔を出したオクタムが、行っちまったよと肩を竦め、路地にあったゴミ箱の上に腰掛けた。リュカが壁に背中を預け、通りを気にしながらも太い腕を組む。路地裏独特の暗さの中、彼の目は一層獣じみて光って見えた。
「なんだったんだ?一体。」
 答えるものはおらず、乾いた風だけ過ぎる。先ほどまでいた大通りの喧騒が、驚くほど遠く聞こえて波のようだ。
「…とりあえずこれからどうする?」
「詰め所に戻るのが賢明だろうな。」
「賛成だ。あいつらが戻ってくる前に…って、」
 ミツルは気づいた。オクタムが膝の上に、見たこともない袋を乗せている。手のひらに収まるくらいの皮袋で、ずっしりと重たげだ。またしてもミツルの頭に、直感がひらめく。
「オクタム、お前、それ、なに。」
 思わず日本語がおかしくなった。その言葉に、リュカも目を丸くしてオクタムの膝の上のものを見る。彼もなにか、ひらめいたようだ。先が七色をしたヒゲが、ふるふると震える。
「お前…まさか…、」
 ふたりの疑いたっぷりの眼差しに、オクタムがムンと胸を張って立ち上がる。
「なんっもしてないよ!まったくなんでもかんでもすぐ人を疑う!」
「…お前だからしかたない。」
「同意。」
 同じような目で、リュカとミツルが頷いた。もうその目玉は、お前だろう、とオクタムに半ば諦めにも似た視線を投げて寄越す。二人の中で自分への信頼が限りなくゼロに近いことを察し、オクタムが歯軋りをした。信用しろよ!という叫びに「黙れ食い逃げ犯。」とミツルの容赦ない言葉が痛い。
「過ぎたことをグチグチと!おっかけられたからには逃げる!これ冒険者の鉄則!」
 それでもなお、胸をはり爽やかに言ってのけたオクタムは強かった。しかしその台詞の胡散臭い爽やかさに、今度こそミツルとリュカから怒りの声が上がった。

「嘘をつくなアアア!」
「やっぱテメエなんかしたんじゃねえかアアア!」
「なんもしてないよ!まったく信用ないねえー!」
 口を尖らせてオクタムがニカッと笑う。
「当たり前だ!」
「それでそれはなんだ!」
 連続して発せられた二人の言葉に、その場に少し、沈黙が下りた。
 そうしてオクタムがパチリと片目を瞑ってまた笑う。

「あいつらの落し物?」

 路地裏から見上げる、空はいつにも増して青い。


11.種蒔く人
20090709