おんぼろ。その言葉がぴったりかもしれない。
 石造りの古い教会は、町の外れの、さらに外れにあった。狭い裏路地を抜けて、忘れ去られたように、朽ちかけているのではないかと思われるように傾いて、でもその建物を立っていた。周りを囲む石塀も、崩れかけていて、庭の木だけが若々しい。
 まさかここか、と目をむく三人を歯牙にもかけず、少年はトントンと軽い足取りで階段を登り、重たそうな扉を引っ張り開けた。はやくはやくと手招きされて、崩れやしないかとおっかなびっくり足を踏み入れると、思ったよりも居心地のよさそうな空気が満ちていた。ぐるりと見回すだけで、あちら、こちらに幾つも修繕の後を見つけることができる。薄暗い廊下の突き当たりの部屋から、明かりが漏れていた。
「にいちゃん!」
 先に駆け出した彼が、部屋へ転がるように飛び込んでいく。
 姿形だけでなく、中身まで仔犬のようだな、とミツルは少し感心しながらその様子を見ていた。少年の声に対して、低い声が受け答えしている。それはすぐに止んで、ひょっこり顔を出した少年が部屋からミツルたちを手招きした。
「おそいよ!」
「こら、スキップ。」
 にゅっと大きな手が伸びて、少年の頭を軽くはたいた。
「いってぇ!」
 どうやら彼の名はスキップというらしい。少年の抗議の声を意に介さず、手の主が扉の影から一歩、暗い廊下へ出た。背が高く、ひょろり、として、なんとなく頼りないシルエット。

「ようこそ…、すみません。なんだか弟がご迷惑おかけしたようで。」

 穏やかな声音。白衣をきた男が、申し訳なさげに、しかしへらりと笑っていた。その背中に隠れて、スキップよりいくらか小さい、こちらは非アンカ族だ、の少女がミツルたちのほうをちらちらと伺うようにしながら見ている。
 少しばかり、ミツルたちを驚かせたのは、スキップと呼ばれた子供から想像していた兄のどれとも、その男の姿かたちは違っていたことだ。
 青年はアンカ族だった。眼鏡をかけ、おっとりとした、どちらかというと冴えない風貌ではあるが、すっきりとした目鼻立ちに賢さと意志の強さが見え隠れする。日に焼けていない白い肌は、不健康にすら見受けられた。腕まくりした袖も薄汚れた白衣の裾もよれよれで、くたびれたかんじがする。
 いかにもここの、住人です、といまだなんとなく微笑している顔とその格好に書いてある。
 ミツルたちが、自分とスキップを見比べて目を丸くしたり頭にハテナを浮かべているのを見て察したのだろう。「ああ。ここは孤児院なんですよ。だから僕ら種族は違いますが兄弟姉妹なんです。」サラリとそう言って、青年は笑った。
 笑うとこんな顔になるんだな。ミツルは少し驚いていた。頼りないような感じもする顔は、笑うと朗らかで、びっくりするほど明るい。同時に彼が、笑って大きな手のひらで犬に似た耳の生えた子供の頭を撫でる様子がひどく優しげで、なんとなく胸が焼けるような気もした。彼の背中で少女が、わたしもなでて、と頬を膨らませたせいだろうか。
 血の繋がりはなくとも、仲のよい兄妹なのだろう。見ていられなくて、ミツルは床に顔を落とした。穴が開いてら。
「込み入った事情はわからないが…できることがあれば協力させてくれ。俺は他の町のハイランダーだ。困っていると聞いてしまったからには見過ごすことはできんが、…事情によっては他言はしないと約束しよう。」
 リュカがそういい、勝手にミツルとオクタムを紹介し始める。やっぱり手も足も顔もつっこむつもりだ。面倒くさいことになりそうだ、とため息を吐いた横で、オクタムはきょろきょろ辺りを見回している。

「ありがとうございます…そうですね、なにからお話したものか…。ああ、私は、シンと言います。君たちに迷惑かけた愚弟が、スキップ…スキピオです。それでこちらが妹のカツラ。他のチビもたくさんいるんですが、今はよそへ行ってます。」
 ほら、と背中をそっと押されて、ペコリと少女が、頭を下げた。そうしてまたすぐ、シンの背中に隠れてしまった。

「大怪我をしたと聞いたが…?」
 リュカの問いに、彼は笑って「この子はおおげさなんですよ。」と手のひらを振る。
「足を折っただけです。」
 茶目っ気たっぷりに、ひょい、とズボンの裾を彼が持ち上げると、添え木と幾重にも頑丈に撒かれた包帯が覗いた。この世界にはギプスがないらしい。青く腫れ上がった皮膚が、包帯の隙間から覗いているのを見つけてしまって、ミツルはかすかに眉をしかめた。ギプスもない世界ならなおさら、骨折は大怪我だ。「うわあ、」とオクタムが痛そうに顔を歪めて、「折ったんじゃなくて折られたんだろう。」と足を覗き込んだ。
「お恥ずかしいかぎりで。」
 シンはまったく痛そうなそぶりを見せず、ただへにゃりと笑って、オクタムに呆れられている。
 立ち話もなんですから、と促された足を踏み入れた台所らしい部屋は、大きなテーブルに足の高さがてんでばらばらの椅子が幾つも並んでいて、見回せば欠けたり接いだりしてある食器の類が、棚に山積みになっている。使い込まれて擦り切れた、木目の模様。子供たちの騒々しい朝の風景が目に見えるようだ。決してきれいと呼べる部屋ではないが、なんとなくいい部屋だなとミツルは思った。
 ゆっくりと足を引きずるように歩くシンを、カツラが支えるように隣について歩く。噫馬鹿だな、支えにもなっちゃいないのに。やっぱりミツルはなんとなく、見ていられなくて石がくりぬかれた窓の外を見る。明るい庭だ。
 向日葵が咲いていたな。ふたりで水をやった。アヤはホースをうまくつかえなくて、ずぶぬれになって、おにいちゃんごめんごめんねと謝ってた。おかしくなって笑ったらカンカン照りのいい天気で、噫、そうだ、向日葵が咲いてた。向日葵、向日葵だ。
 緑の庭に向日葵はない。

「スキップにどこまで聞いたのかわかりませんが、」
 ふいにの声で現実に引き戻された。庭には誰の姿も無い。
「オクタムさん、でしたね。その袋の中を見せてはもらえませんか。」
 シンの目が、じっとオクタムに注がれる。真摯な眼差しだ、誠実そうでもある。それでいてさきほどから、前面に押し出されているへらりとした笑い方やちらほら見え隠れする人を食ったような部分が不思議とシンという人間の中に同居していた。
 どうぞ、と机の上に袋を開けるオクタムの態度にに「お前のじゃないだろ、」と一言釘を刺すと、ひとこと「今んとこ拾った私のもんだよ。」となんともコメントしがたい言葉が返った。呆れるのも面倒くさくて、半眼でああそうかいと呟く。それに小さく、机の向こうでカツラがわらった。ちょっと微笑み返そうとして、やめた。どうやって微笑めばいいかわからなかったし、胸が痛い。なんとなく泣きたくなる。
 そんなミツルを余所に、袋から現れたのは、小さな箱。手のひらに乗るくらい小箱なのに、ずっしりと重たそうだ。金属でできているらしく、ゴトリと鈍い音を立てる。
「これがなんだかわかりますか?」
 謎かけのようなシンの質問に、ミツルとオクタム、リュカはしばらく箱を触ったりひっくり返したりしてみるがさっぱりわからない。
 なにせ箱は、箱と言っても蓋がなく、完全に立方体をした金属の塊としか言いようがないのだ。表面は僅かな隙間もなく、しっとりとつめたく滑らかだ。叩いてみても何も変わらない。箱に向かって悪戦苦闘している三人に、シンはおかしそうに笑った。
「これがなんだか知っていれば、これが私たちのものだという証明にはなりませんか?」
 到底検討もつかない。リュカが頷き、ミツルが肩を竦めたが、オクタムはまだ粘っている。んぎぎぎぎ、と引っ張ったり押したり、投げようとしたのは流石にミツルが止めた、それからなだしばらく転がしたりひっくり返したりしていたが、ついには長いため息を吐いて、「降参だよ、」と両手を挙げた。それにシンが、くすりと笑う。

「私はこれがなんだか知っていますよ。」
 シンの細い指が、立方体の縁をなぞった。不思議なことに、なぞった先から赤い光が走る。フォン、とわずかに、風が起こった。
「さて、」
 全ての辺をなぞり終えて、シンが箱から手を離す。重たい箱は机の上に落下することなく、光の筋が通った先から、組み木のパズルが解けるように自ずと分解され、形を変えてゆく。そうしてその間も、僅かに風をまとって中空に浮いていた。立方体が展開され、いまや球体に近い。赤い光が、継ぎ目の中から漏れている。
 シンの目の高さに浮かぶ、いまや球となった箱を、三人はそれぞれ驚きを持って見つめた。
「魔法か?」
 リュカの呟きはミツルに向けられていた。
「…違う、」
 それにほう、とが目を細める。
「魔法じゃない。…なにかの機械…装置か…そうでないなら生き物だ。」
「やあ、これはこれは。優秀な魔導師さんらしい。」
 純粋に感心したような響きでシンが言うので、どう反応を返せばいいのかミツルは若干迷った。
「なんだい、これ。」
 きれいだねえ、とオクタムが言って、ミツルも少し頷く。
 それにシンはどことなく、誇らしげで、嬉しそうな、はにかんだ笑顔を見せた。

「太陽です。」

 レプリカですが私が作りました、と不思議な響きでシンがわらった。球体は一度くるりと回転して、それからまた、同じ箇所に浮遊し続けている。
 太陽。赤い光は、どちらかといえば太陽の橙より宝石や柘榴の赤に近い。それでも確かに太陽といわれると納得してしまうような、力強さがある。目がくらむほど眩しいわけではなく、どちらかというと明度の低い発光の仕方だ。昼日中の太陽よりは、夕焼けのそれに近い。
 太陽。あの巨大な恒星を、
「つくった?」
 鸚鵡返しに繰り返したオクタムに、シンがふたたび笑いかける。
「私は一応、これでもれっきとした科学者なんですよ。」
 球体の発するひかりに照らされて、ぼんやりと部屋が赤い。俺たちの兄ちゃんすごいだろ、と言って顔を見合わせると、スキップとカツラが向日葵のようにわらった。



13.ゆりかごの家
20100108