「…あと二つだ。」
手のひらに乗った宝玉を見つめて、オクタムがほんとうにやわらかく、うれしそうに笑う。
「…うれしそうだな。」
「そうだな。」
「…さっきまでぎゃーぎゃー言ってたくせにな。」
リュカとミツルも、こっそりと囁き合った。
なんで先ほど彼女が宝玉にわめき散らしていたのかというと、「力はいいとして正義ってなんだ!私ゃ正義って言葉が一番嫌いなんだ!」というような意味らしい。
―――力と正義とを司る猛き光の精霊。"間違った"目的のためには、その力は行使されず、己の身を焼くのだと言う。
「もう食い逃げはできんな。」
それを聞いてリュカが呵々と大きく口を開けて笑い、シンが「オクタムさん食い逃げですか。」と目を丸くしてやはり笑った。
「…返すつもりはないけどさ、あんた、大丈夫なのかい?」
王様のなんだろう?
心持すまなそうに、首を傾げたオクタムに、今度こそシンは目を先ほどよりもずっとまん丸くして笑った。
「さあ?まあ、なんとかしますよ。」
「なんとかって…。」
「なんとか、です。」
まったく冴えない見た目なのに、この男がそう言うとなんとかなりそうだから不思議だ。
「それよりオクタムさん。」
「ん?」
「宝玉を手に入れたら次はどうするんですか?」
わくわくと顔中に書いてシンが言った。隣でミツルも、「早く嵌めてみろよ。」と、こくりと頷く。
それに彼女は、ひとつ大きく頷くと、三日月刀を取り出し、その刀身に空いた穴の上に、玉を翳した。キラキラと彼女の胸元の紅い宝石が輝き始める。歪んであかく染まっているが、しかしそれは確かに周囲の景色を映し出す。それが彼女の、真実の鏡なのだろう。
後は必要なのは文様だ―――しかしミツルもオクタムも、もう気づいていた。
五芒星の文様は、この庭だ。庭石が、点々とところどころ途切れ、しかし確かに大きくこの庭全体に文様を描いている。
すうっと光が、オクタムを中心にあたりに溢れる。
潮が寄せるように、光が満ちてくる。まぁるいサークル。現界へのかりそめの扉が開くのだ。オクタムの周囲の幻界ばかりが、ひいてゆく。
「ちょっと行ってくるよ。」
オクタムの姿が、光の中に、消えた。
「消えた…?」
後に残されたリュカが、茫然と呟く。
「しかし、…どこへ?」
消えたとはしゃぐ子供らの声にい不思議と消されることはなく、シンの呟きも、妙に大きく庭に落ちた。
「…現界だよ。」
ミツルの答える声は、どこか遠く、おごそかに響いた。
二人が振りかえると、ミツルがローブを風になびかせ、オクタムの消えた庭を眺めていた。その瞳が、不思議な色に発光しているように見えて、リュカは目を見張る。この子供は、たまに、こういう雰囲気を出すから。
「現界だと?」
だから彼はつなぎとめるように声を発した。消えてしまいそうじゃないか。
はためくローブに見え隠れする、その足がちゃんと地面についていることを目で確認して、少し安心する。馬鹿だな、幽霊だとでも思うのか?自らに問う言葉は思ったよりも胸をつく。
「そうだ、安心しろ。すぐに帰ってくる。」
「どういうことです?」
「"旅人"は願いを叶えるためにこの世界に来る。残した世界のことだとか、気になるだろ?宝玉をひとつ手に入れると、ほんの少しの間…現界の様子をのぞき見に帰ることができるんだ。」
その言葉になるほど、と頷きかけて―――シンが顔を上げた。
「君はよかったのですか?」
その言葉に、リュカもはっとしてミツルを見た。そうだ、この子供もまた、
「君も旅人ならば、あの宝玉がほしかったのでは?」
その言葉にミツルは不思議な感じで微笑した。嫌に大人びた、悟ったような、子供が浮かべるにしてはあまりにも暗く儚い、あの独特のつめたい笑い方。最近それを見ることが少なくなっていたので、リュカには余計、その冷たさが強調されて見えた。
「別にいらない。」
諦めたような―――さげすむような。
それは何を?何に対して?冷笑する口端。美しい子供はしかし氷のように青ざめている。死人のように、あおざめている。
「俺は旅人じゃないし、」
あの玉を持てばたちまち焼かれるだろう。
その言葉はミツルの口の中だけで渦巻いて、発されることはなかった。
「旅人じゃない?」
シンがいぶかしげに首を傾げる。
「しかし君も、現界から来た。それは旅人でしょう?」
「元・旅人だ…今の俺がなんなのか俺にもわからない。ただ俺は、玉を納めるべき杖も、旅人の証である文様も、真実の鏡も、なにも持っちゃいない。」
言うつもりもなかった言葉が、スラスラと出た。
スキップとカツラは、不思議そうにまだオクタムの消えた光の扉を眺めている。
「ミツルが旅人でない…?しかし、」
リュカが不思議そうに、小さな声で言った。
あの夜の会話を、てっきり聞いていたのだと思っていたミツルは、少しめんくらっていた。あの晩、オクタムがミツルの宝玉に手を出そうとした夜だ。あの強風と雷を引き起こした魔法の嵐の中で―――リュカは本気で、のんきに寝ていたのだというのだ。
すこし呆れて、その冷たさが削がれたミツルに、リュカが首をなおも傾げる。
「お前も持っていただろう?オクタムと同じ星の証を。あれは違うのか?」
「え?」
ミツルにとっては、思いもかけない言葉だった。
文様を持っている?
彼の杖にも、装身具にも、どこにもそのような文様は見受けられない。再びこの世界に来て最初に、くまなく点検したのだ。しかしどこにも、そのような文様はなく、鏡どころか、宝玉を納める穴すら杖にはなかったというのに。
「どこにあるっていうんだ。」
知らず声がわずか震えた。それは期待か、不安のためか、喉がひきつる。
「お前のほら、ヒナ鳥の形をした―――エン、だったか?あちらの通貨を入れた袋があったろう。」
はじかれたようにミツルが腰に付けた袋の口を開いた。
財布。あの人から借りたままの。馬鹿な。やはりそれを持ち上げた手が震えた。
「その口の中だ。」
両手にしばらく、ミツルはそのヒヨコをただ持っていた。
「…見せてください。」
まだ事情はよくわかりませんが。と囁いたシンの言葉に、彼はパチリと留め金を外して財布の口を開く。袋の中の赤い裏地に、繊細に施されている刺繍。
「よく見えない…。」
中身を一度、リュカの大きな手のひらに開けると、ミツルは財布の表を返した。外が内に、内が外に入れ替わる。そうして赤の上に、現れた文様。
「…なんで、」
そこには確かに、あの文様が金の糸でかがられていた。
ヒヨコに不釣り合いな、物々しい文様。偶然にしては、できすぎている。ヒヨコにこの文様は、あまりに不釣り合いだ。―――なぜ?
「どうして。」
あの人の笑顔が一瞬通り過ぎる。
『これミツルくんのお小遣いね。ヒヨコだよ?かわいいでしょー。』
オクタムが、ふと光の中から現れた。帰ってきたのだ。
「たっだいま!」
なんとなく晴れやかな顔だ。しかし光の中から降り立った彼女を迎えたのは、スキップとカツラだけだった。「なになに?」子供たちに指で示され、彼女は難しい顔で沈黙する男たち三人を見つける。
「…どしたの?」
その言葉だけ、妙に軽く転がった。沈黙は重々しく、ただ、月に圧し掛かる黒雲のように、そこにある。
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