晴れているのに、雨が降って、道路が塗れて白く光った。進む広い川沿いの街道の向こうに、白い小道が見える。明るい昼の光の中だ。まるでそれは道自体が発光しているようで、美しかった。
「晴れたなあ!」
 リュカが笑い、オクタムがムンと伸びをする。ダルババ車は罪人とハイランダーと雇われ魔導師、勝手についてきた元食い逃げ女を乗せて、街を出発した。
 街道を進むとすぐに、川に出る。この川沿いに三日も進めば、王都である。
 川向うの小道のさらに向こうに、白い建物が見える。
 なんとはなしにそれを眺めていて、ミツルはふいにその人に気がついた。

 白く光る道の向こう、その上を、女の人が歩いてゆく。踊るような足取りで、足元の影が白くチラチラ光っていた。
 きれいだ、とどうしてかミツルは涙が出そうに思う。その人は歩んでくる。光の道を。涙がでそうだ、とも彼は思った。真っ白な服の陽炎。光に透けて。どこかから美しい音楽が聞こえる。その人がふと顔を上げる。その形は、あまりに遠く、見えない。
 しかし顔なんて見なくても彼にはそれが誰だかわかった気がした。きっと彼女は、ほほえんでいる。

「……―――さん?」

 ダルババは止まらなかった。
 轍を残し、川向こうの岸に立つその人を過ぎてく。白い道。神殿だ。彼女が右腕をそっと上げる。裾がそれについてふぅわりと揺れた。中指の銀の指輪。白く光る。人差し指と中指とを掲げているのが遠くからでもわかる。祝福の合図。神殿を過ぎる人々を、そうして見送るのだ。星明かりの瞳。あっという間に、通り過ぎる。見えなくなる。
「…珍しいな。」
 身を乗り出して見つめるミツルと同じに、リュカも隣で身を乗り出してまぶしげに目を細めた。
「神殿の窓が開いてる。祝福の日でもないのに。」
「…神殿?」
「古い神々を奉ってる。」
「老神信仰か?」
「いや。老神とは別の、古い星の神々だ。星の綴る物語を、祀っている。」
「…へぇ?」
「幸先がいいかもしれんぞ?神官の祝福が貰えた。」
「……しんかん、」
 きれいだったねえと感心したように声をあげるオクタムに、珍しく彼は反論しなかった。

 ガタコトと荷馬車が揺れる。正確にはダルババ車が。
 ガタコトガタコト。
 リュカの隣ではオクタムが手綱の捌き方を教わっている。「ハイヨー!ってやったらどうなんの?」「やるなよ?」「どうなんの?」「だからやるな。」 先ほどのおごそかな光景もすっかり忘れて、いつも通り賑やかだ。
 後ろに牽いた幌馬車の中は、罪人の鮨詰め状態であるし、その賑やかな二人の間に腰を下ろす気にもなれず、ミツルは馬車の一番後ろ、足をかけて登る板の上に腰掛けて足をゆらゆら、来た道の先を見ていた。
 謎は解けるどころか深まるばかりだったが、先ほどの "祝福" とやらのおかげだろうか。ミツルはずいぶん落ち着いて、どっしりとした心構えになっていた。
 オクタムは宝玉を手に入れたし、リュカはハイランダーの役目もばっちり、罪人の護送も順調に進行中だ。謎と言ったらミツルに関することばかりで、なにより最初から彼自身にとっても謎だらけの宛のない旅なのだ、何も変わっていないが、悪い方向に進んでいる気はしない。
 ならそれでいいじゃないか、と言うような、気分が今はしていた。
 なにより今回の件でわかったのは、ここがミツルが一度訪れた時間からはずれているらしいことだ。帝国が健在ということは過去なのか、それともあの惨禍から立ち直りそのことを歴史の彼方に忘れされるほどには未来なのか。現皇帝の名は、ガマ・アグリアスX世。ミツルがかつて出会ったのは、ガマ・アグリアスZ世だった。と、いうことはやはりここは過去か?
 あの人は未来にいた。そして今は、おそらく過去だ。
「タイムスリップする癖でもついたのか…?」
 ボソリと呟く。なんとも嫌な、癖がついたものである。

「それは愉快な癖ですねえ!」

 のほほんと場違いな、気の抜ける声がした。
 その声にミツルも、それから前に座った愉快な二人も、声のした方をぐるりと振り返った。罪人の鮨詰め…であるはずの馬車の中に、冴えない男が三角座りでちょこんと収まっている。
 ひょろりとした体に、ぼさぼさの頭。鼻からずり落ち欠けた眼鏡。優しげで整ってはいるのだが、なんとも冴えないという形容詞がぴったりのその気の抜ける笑顔。
「シン!!」
 先の町で別れたはずの、科学者である。
 先刻ぶりです、と片手をあげて笑って見せる男に、まずオクタムが身を乗り出してくちをひらいた。ミツルとリュカは、空いた口が塞がらない。
「あんた何時の間に!」
「つい先ほどです。」
「どうやって!」
「上からです。」
 あはは、と笑って指差した先の、天井は、確かに幌が破れて穴が空いている。
 リュカがぎゃあと悲鳴をあげて、「ちゃんと直しますから。」 とシンがすまなさそうに頭を掻く。背中に背負った大荷物は、彼の発明品らしく、ほんの少しなら空も飛べる、そうだ。
「非力なあなたのひとり旅お助け君3号です。」
「すごいけど名付けがしょうもない!」
 罪人たちを眠らせておいてよかった、とミツルは思う。空からいきなり人間が降ってきたら、普通、パニックになる。

「で、どうしたんだ?」

 そのもっともな質問に、シンは再び頭を掻きながら居住いを正した。ガタゴトと荷馬車を揺らしながらダルババは進み、なんとなく、リュカもミツルもあまりいい予感はしていない。
「実はですねえ。」
 うんうんと頷くオクタムばかりが楽しげで、正直まり、聞きたくない。
「ミツルくんたちとお別れした後で、追っ手についに捕まりまして…、」
「追っ手?」
 彼の所有していた "宝玉" を狙っていた連中なら、やっつけたはずである。
 首を傾げる三人に、シンはまじめな顔をして、「それはもうしつこいのです。」と言う。
「またあいつらかい?」
「…いいえ。助手です。」
 助手?今度は三人そろって首を傾げる。それにシンは、初めておやと言う顔をした。
「研究所の助手のことなのですが…お話していませんでしたか?」
「ハア!!?」
 それこそ初耳だった。
「だっ、だってあんた条件呑んでくれないところで研究する気はないって!」

「お金も時間も気にせず研究だけできる最新の技術と設備の整った研究所と、優秀な部下と、古今東西あらゆる文献の取り寄せられるシステムと、それからふかふかベッドつきの家と生活において入用なもの全部自由に購入できるだけの金と子供たちの暮らす家が必要なんですよね…教育費とか食費とかその他諸々の雑費も馬鹿になりませんし…おーい!その家にはなにがいるんだっけ?」
「ふかふかべっど!ふかふかまくら!ふかふかおふとん!」
「でっけーたまごやき!でっけーホットケーキ!でっけーオムライス!」
「あさがおー!ひまわりー!」
「広い庭ー!!」
「おいおい…。」
「ふむ、確かに必要だね。はと時計はいらないのかい?」
「いるー!」

「うん。まあざっとこれくらい積まれれば研究してあげてもかまいません。」

「…あんた…、」
「私は欲張りなのでね。この条件は譲れないなあ。」
「…そんな雇用先あるのか?」

「ええ!」

 願望はよせ堅実に働け見ろ孤児院はぼろぼろじゃないか。
 そうつっこみかけて止めたことをミツルは思い出す。
 そうだ、あのとき確かにシンは、「ええ!」と明るい笑顔で頷いたのだ。スキップはなにもお話していなかったんですねえとのんびり首を傾げる男を、三人はもう一度まじまじと見つめた。
「つまり、あんたは、なに?」
 全員の心を代弁するように、オクタムがひとことひとこと、区切って言葉を発する。

「ササヤ王国立研究所の主任研究員…でした。」

 テヘッとでも言いだしそうな笑顔だった。
「つ、つまり…あんたの飛んでもない条件を王様は呑んだってこと!?」
「いや、逆に王くらいしかあの条件は…しかしササヤ国の研究所とはまた…。」
「いやあ、運がよかったです。」
 にこにこと笑っているがやはりこの男、計り知れない。
「でした、って言ったな…?」
 こんなときでも、ミツルはやはり、聞き逃さなかった。
「言いました。」
「…その理由は?」

 にこにこと笑い続けながら、ふいっとシンが目を逸らす。
「宝玉、やっぱりなくしちゃまずかったみたいですね…。」
 なんとなく、シンの周りに暗い影が落ちる。
「あんたまさか…、」
「いや、研究所を抜け出してたまにあの孤児院の様子を見に行くのが私の最高の息抜きと言いますか。部下をいかに出し抜いて研究所を脱出するかというのがまた頭を使うもので楽しくて楽しくて…つい。今回もスキップたちが様子を見に帰りたいというものですから、"太陽" の研究途中ではありましたがこのお助け君を使って抜け出して…一応仕事はさぼらないように "太陽"もちゃんと持って出たんですよ? 」
 俺が、俺たちが聞きたいのはそこじゃない。
 その言葉をぐっと我慢して、ミツルたちは待った。
「で、持ち出しがばれないうちに帰ればなんとかなるかなあ、と思ってたんですが見つかってしまいましたので…。」
「ので?」
 聞きたくない、リュカは完全に背中を丸くしてダルババに向かってなにか語りかけ出した。
「案の定 『博士エエエ!ご無事でしたか抜け出すのいい加減勘弁してくださいああもう転職してエエエところであの試作品どこやったんですか!なくしてないでしょうね!」』 って泣きつかれたもので、あ、このモノマネちょっと似てます。しかしまあ、元の持ち主に返した、というとややこしくなりそうだったので、なくしたと言いましたらそれはもうすごい顔をされまして。」

 またテヘッという笑い方をシンがした。

『博士…それ…やばいです。』

 一瞬シンの背後に、ガタガタ震えながら顔を真っ青通り越して真っ白にしている青年が見えた、ような気が彼らにはした。
 国の所有物で、大変危険な物質で、国家機密で、しかし未知の高エネルギー体で、国王直々に調査研究とその有効な利用法を解明せよという命の下ったその "太陽"。
 やばいです、それ、いくら天才でも、所長でも、それは、やばいです。

「助手に今までの研究すべて譲る代わりに孤児院のことは任せて、逃亡してきました。」
 行く宛もないし、旅人や宝玉やらとても興味深い研究対象ですし、ということで、"僕"もついて言ってもいいでしょうか?
 にこにこ、という笑い方。
 空は真っ青で、遥か後方に置き去りにした神殿が、妙に恋しくなるミツルだった。



21.アヴェ・マリア
20110125