争いの因縁は遥か世代をさかのぼり むかしの恨みからは新たな争いが起こった ともに等しい両家は、いまなお続く諍いの中にあり 敵同士である、対の胎からは 運と間との悪いひと組の男女が生まれ、 この二人の… えーっと、それから、どうなったんだけ? ええと、それから、云々かんぬん。のち、割愛。 |
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(ろみじゅり!) |
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「テメエなにしに来やがった!」 「はぁあ!?誰が好き好んでお前の家の敷居なんぞ跨ぐか!わざっわざ!回覧板持ってきてやったというのにその態度はなんだアホか?!ああそうだったなアホだったなあ!!」 「ああ!?誰が持ってこいっつって頼んだ!?ああ!?なんでテメェが持ってくんだ!千鶴子さん寄こせコラ!回覧板置いてさっさと出ていきやがれこの西洋かぶれ!!」 「うるさいこの化石男!!ハゲろ!!」 「しゃらくせえ!一昨日きやがれってんでい!おいとし江!塩持ってこい塩!!」 朝も早くから元気の良い、野太い怒声の応酬が、商店街に響いております。 場所は東京、とある下町の商店街。仲良く隣同士に並ぶ、菓子司 『草月庵』 と洋菓子店 『ル・クレール』 。恐れ多くも世界に名を轟かす、有名なストーリーの名をぼんやり冠するこの話。どんなものかといいますと、まずは隣同士に門を構える、二軒の東西の菓子屋のことを、お話せねばなりますまい。 遡ること半世紀以上。 創業昭和三十一年、菓子司 『草月庵』 。同じくしてお隣、創業昭和31年当時まだ珍しい西洋菓子店 『ル・クレール』 。 とある下町の老舗和菓子屋の五男坊。幼い頃に、食い扶持減らしのため修行に放り出され、京都の老舗で長く厳しい時を過ごし、晴れて故郷に錦を飾った。渋沢克郎、齢二十八。上の兄たちは皆戦争で死んでしまって、五男の彼にも店の土地が回ってきた。心機一転、店名も 『草月庵』 と改め、とし江さんとは親戚の紹介でお見合い結婚。すぐに生まれた子供を抱え、前途洋洋、暮らし始めた。 とある下町の裕福な酒屋の次男坊。文人に憧れ、わずか17にしての諸国遊学中に戦争が始まった。帰ろうにも帰れず、そこで出会ったぱてぃしえーるの道。戦争も終わり、なお10年以上にわたってかの地で店を転々とした彼の菓子作りの腕は、本場パリの職人を唸らせた。しかしある時、帰るなと引き留めるパティシエ仲間や女性たちの腕を振り切り、ふらんす仕込みの本物の本場の味を、日本へ持ち帰らんと一念発起。利一、齢三十四。上の兄貴が酒屋を継いで、親父の遺産で店を構えた。 生まれも育ちも全く違う、西と東の若き菓子職人ふたり。店構えは隣合い、年も近いときたもんだ。さすればそこに、対抗意識が芽生えることこそ当たり前。 争いの歴史をひも解けば、そもそも生家の、酒屋と菓子屋の、仲が悪い。 なんでも昔、酒屋のお嬢さんを菓子屋のあらくれ次男坊がたぶらかしたとか、なんとか。ほかにも菓子屋の大福を喉に詰まらせて、酒屋のばあさまがいっちまった、とか、酒屋が戦時中に売った闇酒のあんまりの度数の高さに、菓子屋の旦那が目をつぶした、とか。塵も積もればなんとやらで、細かい恨みは積もれば骨髄に達す。 お互いもともとそんな具合にいい印象を持っちゃあいない上、さらに加えてこの二人、喧嘩っ早い性格を、していた。腕にはお互い自身があって、己の菓子に誇りを持ってる。その上おまけに、負けず嫌いときたもんだ。 「ふらんすだかなんだか知らねえが、オメーあんなチャラチャラしたのが菓子かい?馬鹿言っちゃあいけねぇよ!」 京都が長い割に、江戸言葉の抜けない四角い男である。いかにも職人気質の、苦み走った凛々しい顔立ちをしており、昔風の男前だ。京都では修業先のお嬢さんとなにやらあったらしいがそんなことは億尾にも感じさせず、帰ってきて親戚の紹介があって今の妻、とし江さんと一緒になった。 「いやだねぇ、古臭くってさ。ここまで匂ってきそうだよ…菓子にカビでも生えてんじゃあないかい。」 さらりと流し目でしゃあしゃあと言い放つ、流石は芥川に傾倒し、ふらんすまで行った男。えすぷりというやつだろうか。いかにも文学青年と言った優男で、現地ではずいぶんともててそれなりに遊んだらしいが、遊学前に日本に残してきたかあいらしい許嫁のことは決して忘れなかった。健気に彼の帰りを待った、その許嫁の千鶴子さんとめでたく結ばれ、今に至る。 見た目だけならうるわしく、ふたり並べりゃ黄門様の助さん角さんな二人である。と言うのにこの仲の悪さと来たら。まったく親の仇同士でもあるまいに。 それがそもそもの最初の最初。 さて、親同士がそうとあっちゃあ、子は親を見て育つもの。 二代目同士、ちっちゃな頃から喧嘩して、やれ俺の方が背が高いやれ俺の方がかっこいいやれ俺の方が強いやれ俺の方がモテるやれお前ん家の菓子はまずい俺ん家の菓子はうまい以下割愛。 親のほうも、いいか隣の家の倅にだけは負けるんじゃねえと言い聞かせること言うまでもない。 これまた並べば絵になる助角コンビで、喧嘩さえしなきゃねえ、とはだれもが思うこと。 生き写しったあこのことだねぇと商店街中から言われて育ち、その子供はたちは揃って店を継いだ。ついでに喧嘩も継ぎに継いだ。 ふたりとも、幼馴染のお嫁さんをもらい、つまりお嫁さん同士も顔なじみ。いっそ仲良し二人組である。だので男たちの熱いバトルはうまい具合に放っておいて、若奥様ふたりは、塀越しにこっそり仲好くお互いの家の菓子を持ち寄りお茶などしているわけではあるが、それはもちろん内緒の話。 さて、ここでようやく登場する物語の中心は、今なお現役でバトる爺二人でもなく、その生き写しの若主人二人でもなく、彼らの息子娘である、渋沢克朗と、その二人である。 初代の名を継いだ克朗は、しかしサッカーの才能に恵まれ、目元涼しく礼儀正しく、思慮深くどちらかと言えば寡黙で、家の手伝いもよくする真面目な少年である。年の離れた妹と弟がおり、面倒見のいい兄である。 一方のは、明るく快活で、物怖じせずにものをはっきり言う少女である。黒目がちな大きな目をして、聡明な、花のような女の子である。それゆえ兄と男親と祖父の、かわいがりようときたら、呆れるほどであるが、本人はしっかりとした子に育った。 不思議なことに祖父と親父同士の激しいバトルを見て育った反動か、ふたりは別段互いをライバル視することもなく、のほーんとしていた。口うるさい祖父と父親の手前、表立って仲良くしたこともないが仲の悪い謂われもない。学校が一緒である以上登下校は一緒だし、クラスだって一緒になる。そもそも母親同士の仲は良いわけだし、克朗がサッカーを始めたのも、の兄がこっそり誘ったからである。 反面教師たあこのことだねぇと、商店街中から言われて早数十年。 の兄は製菓の専門学校へ進み、留学も決まった。 同じ年ごろの息子が、渋沢家にもいれば、きっと彼とは祖父や父親たちのようなライバルになったろうが、克朗はサッカー一筋でその才能も見せているし、その下のチビ相手に張り合っても大人げない。そのまま争いは時の流れによって沈静化し、収まるか、と思われた。 しかしやはり血筋か、若い世代にも争いは勃発した。 兄が留学を翌年に控えた夏、渋沢家に、克朗のいとこである少年が、菓子修業のため住み込み始めたのである。年はの兄と同じ。 「いいか、隣の倅には負けるな!おまえはもはや家の子と同じだ!うちの暖簾に泥ぉ塗るんじゃねえ!」 「住み込みだかなんだか知らねえが、いいか、倅がサッカー始めたからって余所からガキを引っ張ってくる根性が気に入らねえ!」 「「ぜったい負けるな!!!」」 土俵が違うから勝ち負けのつけようがないのにねえと笑う若奥様たちの言葉は耳に入らず、最初は「大人げない」と思っていたが、やはり、気になりだした少年ふたり。ちらちら互いをうかがううちに、なんとなく芽生えた闘争心。結果。 「おっと悪いな、つい、フランス語が出るんだ!フランス帰りだから!」 「ああ?何言ってやがんだフランスだかコッペパンだかしらねーけど、やだね、鼻につくったらないね!」 見事に三代目同士、先代たちの悪習を再現していた。 克朗との二人は、齢十五。 親祖父兄従兄たちの壮大な喧嘩の後、なんとなく「やれやれ」と苦笑しあうのがもはや幼いころからの習慣である。 |