(ろみじゅり!)

 克朗が家へ帰ってきたのは本当に偶然だった。どうしても学校で必要な書類には押印の欄があって、しかし郵送では間に合わないというので取りに来たのだ。部活が休みでよかった。自主練習は潰れるが、しかし必要なものなのだから仕方がない。

「ごめんねえ、サッカーの練習があるのに誰も手が離せなくって。」
 そう言って母がごっそり持たせてくれる饅頭の包みを受け取りながら、きっと歓声挙げて喜ぶだろうチームメイトたちの顔を思い浮かべた。約一名に至っては、声どころか諸手まであげて喜びそうだ。
 抱えた紙袋に目を落として、育ち盛りに足りるだろうか、なんて自分も育ちざかりなのに克朗は思わず考えてしまう。糖分の過剰な摂取はよくないだろうが、疲労回復には効果がある。なによりうちの和菓子はうまいのだという自負が、少なからず彼にはある。

 いってらっしゃいと見送られて、来たばかりではあるが荷物をまとめる。
 寮の門限は9時だから、いまから出ればぎりぎりだ。
 なんでいせっかく帰ってきたのにと口を尖らせる祖父を宥めて、彼はなんとか家を出た。

 春の空はほわりと優しい色をしていて、水菓子では透き通って夏らしすぎるし、やわらかい求肥のような感じがするなと、克朗は考えている。なんだかんだで和菓子屋の息子なのだ。
 春の商店街は少し埃っぽくって、ひょっとかすると花粉なのかもしれないが、空気がきらきらしているのが見える。桜の花が咲いている。いい天気だ。
 電車の時刻を気にしながら、いそいそと通りを抜ける。
 克朗くん帰ってたのかい、サッカーがんばれよ、と店先のおじさんおばさんに声をかけられながら、克朗は丁寧に返事をしながら歩いた。生まれ育った商店街で、彼はちょっとした有名人だ。品行方正凛々しいお顔立ちして礼儀正しい、ときてはおばさま方の人気も厚く、あの子ぁ今どき珍しい侍少年だとおじさま方の覚えもめでたい。なにせ将来有望なサッカー選手であるし、それ以前にこの商店街のモンタギュー家の御子息だものだから。

「あ。」

 お花みたいな声がした。
「克朗くんだ!」
 そう明るい声をあげてから、声の主、はきょろきょろあたりを見回す。
「おじいちゃん、いないよねえ?」
 肩を竦めて、ちょっとばつの悪そうな笑い方。一方克朗は、ぽかんと口を開けていた。元来表情が顔に出づらい彼ではあるが、小さく口が、開いている。
 はもうすっかり伸びた髪の毛を、頭の上でお団子にして、真新しい高校の制服を着ていた。紺色のソックス。革の靴と鞄。スカートのプリーツ。着ているものと髪型が変わっただけ、というわけではあるまい。なんだか内側から、発光しているような気がして、克朗はなぜか少しどきまぎとする。

「どうしたの?めずらしいね。」
 そう声をかけられて、はっと我に帰る。
「…どうしても今日明日中に学校に必要な書類があってな、」
「ああ、それで。」
 納得、とが首を傾げた。細い首。
は今帰りか?」
 うんと頷きながら藍はなんだか楽しそうにしている。それに首を傾げてやると、ふふふと声にだして笑った。

「克朗くん、新しい制服だ。」

 上がりでそのまま高等部へ進学した彼だけれども、一応制服は中等部のものと異なる。
 同じく真新しいブレザーを見下ろして、どこかおかしいだろうかと首を傾げる克朗に、の声がなお明るく届いた。
「似合うね、なんだかお兄さんみたい。」
 高校の制服だからかな、と首を傾げるに、なんと言おうか、彼は一瞬言葉に詰まる。
 そうだ、制服と髪型が変わっただけ、なのだけれど、なんだかとても、大人っぽく見えたのだ。
も制服が変わったな。」
「高校生になったんだから当たり前でしょ!」
「…それもそうだ。」
 おかしくなってふたりで笑ったら、雀がチュンと電信柱の上で鳴いた。

 …あ。電車の時間。

 そのあとルームメイトが、めずらしい彼の規則違反をごまかすのに一役買ってくれたそうなのだけど、それはまた別のお話。