(ろみじゅり!) |
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新年早々どえらい目に会った2001年の幕開けであったが、正月以来、克朗との間は急接近と表現するに相応しいスピードで近づいた。の祖父、利一さんによる草月庵襲撃事件や進路問題も大詰めに差し掛かるなど様々な困難もあったが、なんとなく、いつもお互いがお互いのことを気にしていると思うようになってからは早かった。 他愛のない電話でのお喋りだとか、受験勉強もあるだろうにがサッカーの応援に一人で来てくれたりだとか、克朗のたまの帰省にこっそり二人で遊んだりとか。 別に両想いになったというわけでもなんでもない、ただ仲の良い幼馴染と言った二人なのだけれど、こうなると、金物屋の双子になんとなく頭が上がらない。 彼らの生家を考えれば、そこまで親しくなれたことこそ奇跡のようなものである。 この春大学合格と入学、鹿島アントラーズ入団を果たした克朗と、同じように希望の大学に合格したは、久しぶりの彼のオフに、町を並んで歩いていた。 桜がもうすっかり満開で、絵に描いたような青空が広がっている。今日のこの空のように、自らの未来がどこまでも明るく広がっているような錯覚をしそうになる日だ。彼は決して人生に対して油断も過信もせず、自らの努力を重んずるタイプではあったけれど、春の日の魔力だ、少し、なにもかもが上手くいきそうな、そんな気がする。やわらかい風が二人の髪を揺らしていて、今日は髪を下ろしているの横顔が時折隠れた。 のんびりとした、一日だ。 緑の河川敷にはちらほらと人影がある。ランニングする人、犬の散歩をする人、連れ立って歩く老夫婦、自転車で駆けてく子供たち、寝そべって本を読んでいるおじさん。 それを眺めながら、克朗はゆっくりゆっくりと、の歩幅に合わせて歩いた。それは決して苦ではなく、くすぐったいような、はにかむような、優しさだ。 並んで歩きながら、とりとめのない話をする。 は大学も実家から通うので、なんだかあまり変わり映えしないなあとぼやいた。それに克朗は少しわらう。 「でも結構通学にかかるだろう?」 「うん。1時間ちょっと。…本がたくさん読めるよ。」 歯を見せてが笑うが、すぐに下を向いてしまった。おや、と思った克朗を余所に、声は明るくが話を続ける。 「克朗くんは、一人暮らしなんだよね。」 「ああ…と言ってもチームの寮に入るから、あまり中高と変わる気がしないがな。あ、でも個室になるらしい。洗濯機も冷蔵庫も、それぞれの部屋についてるんだ。」 それがまるで信じられないほどすごいことのように、感心しながら克朗が言うので、がぷーっとおかしそうに吹き出した。 よかったわらった。 克朗は少しほっと眉を下げる。彼がそういう表情をすると、なんだか少し、優しい熊に似ている。鼻が少し上を向いているから、そう思うのかな。 「…でもほんと、克朗くんはすごいなぁ。」 ほっとしたのもつかの間、または顔を下へ下げてしまった。 「?」 「サッカー。すごく頑張ってるもん。プロだもんなぁ、それなのに大学にも行って二足の草鞋…すごいなぁ。」 なんだかやっぱり、元気がないように見える。 しょんぼりして見える横顔を見下ろして、克朗はもう一度、首を傾げた。 「…どうした?」 思った以上に優しい声が出たことに、彼自身驚く。 もちろん驚いたのは彼だけではないようで、も一寸目を丸くして、それから目線をパッと落とした。耳が赤い。 それを見下ろしながら彼も少しうろうろと目線をさまよわせた。なんだか、とても、恥ずかしいような、ムズムズと、落ち着かない、気分。 「………。」 しばらく沈黙が当たりに満ちて、どうしよう、何から話そう? がおずおず口を開く。 「か、克朗くんは、」 「…ああ。」 「ずっと早くにサッカーっていう夢を見つけて、努力して追っかけて、その夢を叶えようとしてるじゃない。」 一生懸命にはなしているの横顔を見ながら、そのほっぺたに口をつけたいと無意識に思って、彼は混乱した。そんなこと、思ってみたこともなかった。 心臓がどきどきする。春の日差しが、背中には熱いくらいだ。 走りだしたいような、ぎゅっと縮こまりたいような、あべこべの気分を抱えて、それでも彼は、の話を聞いていた。きっととても、だいじなことだと思ったから。 「ほんとにすごいなあ、と、思うのね。なんか、私、なりたいものが、あるとか、そういうんじゃなく大学も決めたし、これからどうなるのかなって思ったら、なんか、」 そこまで言っては黙った。 その続きは聞かなくてもわかった。不安げな横顔がすべて物語っている。 怖がらなくてもいいのだと言おうと思い、しかしそれではなにひとつ彼女の不安を取り除けやしないだろうと、彼は一度開きかけた口を閉じる。 もしこうやって悩んでいるのが、かつてのチームメイトや後輩だったら、自分はなんというだろうか。とくべつなおんなのこだから、とくべつにやさしい言葉を贈るのは正しいばかりではないと克朗は思った。彼はいつでも。その誰かに対して正直でありたいと思う。 少し黙って、それからもう一度克朗は口を開いた。 「これから、なんて誰にもわからない、と俺は思う。」 突然に始まった言葉に、がきょとりと顔を上げる。その目を見て、少し泣きそうなのだな、と思い、泣くなというように彼は笑った。 「サッカーをやっていて、どうして自分がこんなに苦しい練習をしてサッカーをしているのかわからないというやつが結構いる。そういう時、そのどうして、をきちんと考えたやつだけが、サッカーを続けられる。」 うん、とが頷く。 「理由はなんだっていい。サッカーが、好きだ。それだけでもいい。いや、それがいる、と思う。」 克朗の横顔が空に向かって解ける。今日の空みたいだと見上げてはふいに思った。どこまでも広がってゆく、真っ青な空だ。 「…でもね、」 泣きそうな声でが笑った。 「私はまだ何が好きかもわからないの。」 空を向いていた克朗の目が、を見た。目が合う。まっすぐな目は、きびしいけれど優しい。「見つける努力をすればいい。」 とそうなんでもないことのように克朗が言った。けれどそれが、努力したひとの言葉であること、は知っていたから私もこうなれるかな、と初めて考える。 「…がんばれるかな。」 「ならきっと。」 「…がんばるよ。」 「応援している。」 いつも誰よりも。そう笑った克朗の耳が赤かった。 気持ちのいい風が吹いている。 |