(ろみじゅり!)

 渋沢克朗という青年を一言で表すならなんだろうか。
 おそらく人それぞれ、意見は様々あるだろう。たとえばそれを、アンケートにして集計をとったら、おそらく上位に食い込むだろう単語がひとつある。
 侍。
 その侍は今まさに、戦場に赴くもののふそのものの様子で、一軒の洋菓子屋の前に立っていた。その店の名前は、ル・クレール。言わずと知れた、現代に蘇ったキュピレット家かっこわらいである。しかしもちろん当事者である彼に笑う余裕などない。彼の生家こそそのお隣、菓子司草月庵こと、現代のモンタギュー家かっこわらい以下同文である。
 やっぱりやめない?と心なし頬を蒼褪めさせてそう提案するに、重々しく彼は首を横に振る。
 彼の美徳は、今日日めずらしい、まじめで、誠実な人間であること。しかも無自覚、総天然でそれである。育てが良いとしか言いようがない。
 現代に甦ったモンタギューの御子息である前に、彼は侍である。幼いころから商店街のおじさまがたに侍少年と呼ばれ、今時珍しい礼儀正しい折り目正しい古風な少年だとおばさまがたからは大絶賛されてなおまっすぐ育った彼である。
 お付き合いすることになった女の子の、ご両親に挨拶しないなどという選択肢は、彼には、ない。
 そう、たとえそれが三代前から因縁の続く、仇敵の家であろうとも。そうすることで立つのは波風どころか暴風波浪高波どころか津波に山火事地震雷親父とジジイでしかないこを知っていても。たとえ融通が効かないだとか、頑固だとか言われても、それしか彼に、選択肢はない。
 そうしてそんなところに惚れたのだから、やっぱりも、それについてゆくしかないのだ。
 これが惚れた弱みというやつか、それとも恋は盲目ということか、それとも愛は強しなのか!よくわからないながら、地の文にまで緊張漲ってきたのだから恐れ入る。年季の入った争いは、やはり両家に染みついており、おそらく彼女の実家に挨拶に行く、誰が行っても緊張の動作ではあろうが、彼ほどの緊張感と恐怖感を背負うことはまずあるまい。それでも流石は侍と呼ばれる男、しっかりと立って、美しい飾り文字のル・クレールという看板を睨みつけている。
 傍から見たら挨拶をしに来たのか喧嘩を売りに来たのか果てしなくわからないほど鋭い眼差しであるが、彼らは真剣だ。
 寄り添う二人は一度目と目で頷き合うと、その扉を開いた。
 瞬間、

「…来たやがったか。」

 菓子屋のかわいらしいウィンドウの向こうに、真っ白なパティシエ服を着て、これこそもののふと言わんばかりに二枚目な顔立ちを歪め、おどろおどろしい声で唸るジジイと親父とお兄さんがひとりずつ。腕を組み、ねめつけるような表情は、どれも芥川系二枚目であるのだが、いかんせん、怖い、というか柄が悪い。思わず孫娘がヒッと悲鳴を上げるが、流石の侍青年は微動だにしなかった。礼儀正しく挨拶し、おまけに手土産まで差し出す始末。猛者。めっちゃ猛者である。
 これが日本代表の力…!と密かに慄くのはだけではない。彼の前に立ちはだかる三人の男たちの内で一番の若輩ことその実そこまで反対してはいないがやっぱり妹を欲しいっていうやつにはガツンといっとかないとな、なの兄も内心こっそり慄いていた。うーんやるじゃねえか、克朗。やっぱり俺が幼い頃、手とり足とりサッカーを教えてやっただけのことはある。思い出とはつねに、所有者の都合のいいように美化されるものである。
 龍虎の如く睨む会うこと数分、まるで一時間にも二時間にも感じられる時の長さ。
 ケーキを買おうと扉を開けた近所のおじさんが 「や〜利一さん!モンブラン残って…ないよね!わかった!失礼しました!」 Uターンで回れ右したことにすら男たちは気づかない。
 やがてむっつりと口を開いたのは、義祖父さんと書いてラスボスと読む。利一さんその人だった。
「…正月に見かけた時から、俺ァひょっとしたらひょっとしたらと思ってたんだ。ちゃんがおじいちゃんに紹介したい人がいるの…と言い始めた時にピンと来たね。ああ、すぐわかった。ちゃん、おじいちゃんそんなやつ連れてくる必要はないし付き合う必要もありませんって言っただらう。」
 その割に待ち構えてたじゃねーかとはとてもつっこめない雰囲気である。なまじっか顔が良いだけに、似たような不機嫌を極めた顔が三人並ぶと、ものすごい迫力がある。
 夢に出そう…というか呪われそうだ。
 また一人、不運にもただお菓子を求めてやってきたご老人があまりの迫力にヒッと悲鳴を上げた瞬間扉を閉めて去っていく。ああ、貴重なお客さんを…とのんびり奥でお義理母さんが溜息を吐いた。ある意味一番の猛者であるに違いない。
「なにしにきた、子倅。」
 ラスボスの言葉にボスがむっつりと黙って頷く。
 不快指数はラスボスが一番高いが、怒りゲージはおそらく義父ことボスが最も高いに違いない。こめかみに血管が浮いているのが見える。  しかしそれでも、侍青年は動じなかった。
 その見上げた丹力、そうでなければ日本の守護神は務まるまい。
 こっそり隣で惚れ直すであるが、もちろんその様子は火に油である。ああ、これが惚れた弱み、あるいはそれとも恋は盲目ということか、それとも愛は強しなのか以下同文!
「…今日お伺いしたのは、」
 普段と変わらないようで、すこし緊張している克朗の声。それはもちろん、彼女の家族に初めてきちんと挨拶をする青年なら当然のことだったろうし、この状況では致し方のないことだったかもしれない。それでも彼はまっすぐに、背筋を伸ばして三人のボスたちを目を合わせて微笑んですら見せた。
 あらいいおとこ、とお義母さん。そうですねえと、お義祖母さん。

「お宅のお嬢さんとお付き合いさせていただくことになったのでご挨拶を、と参りました。」

 その言葉にル・クレールはシンとした。
 お義母さんとお義祖母さんの小さな拍手だけ、小さく響く。
 言った…!言いよった…!とはいつの間にか、お店の窓から心配そうに、或いは興味津々で店内の修羅場を覗きこむ町内の皆さまの遠いざわめきである。商店街のモンタギューの長男ととキュピレットの末娘の恋模様は、この狭い商店街で今最もホットな話題なのである。放っておく手はない。

 「帰りなさい。君に食わせる菓子はない。」
 普段は隣家のジジイと大声で怒鳴りあうシーンがほとんどの利一さんが、語りかけるように静かに声低く話すと、倍以上迫力がある。ひしひしと伝わってくる冷たい怒気に、しかしやはり彼は挫けも折れもしなかった。
「今日はこれで失礼します。…が、」
 和菓子は食わんと突っ返された自慢の菓子を、もう一度カウンターに起きながら克朗は朗らかに少し口端を持ち上げた。
「認めていただけるまで何度でも来ます。」
 かっこいい。
 今度こそ店の奥と外で、歓声が上がった。
 と同時、

「ええい出ていけこの野郎!!」
 ペイッとごと克朗は店の外に放り出された。それから慌ててドアが開いて、だけが回収され代わりに和菓子の入った袋が地面に置かれる。投げ捨てられなかったのはやはり東西の違いはあれど同じ菓子を扱う者の情けか。
 目をぱちくりさせている克朗の周りを、「いや克朗くん格好よかったよ」と平均年齢58歳の商店街の皆様がわらわらと囲み出す。
「大丈夫だ克朗くん!君ならいける!!」
「私ゃ感動したよ!いい男に育ったねぇ克朗くん…。」
「クゥッ泣かせるじゃねぇか。…よォしみんな、克朗くんに万歳三唱だ!」
 ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい!
 わけもわからず万歳三唱の渦の中心で、克朗は再戦をかたく心に誓うのであった。