クロロ=ルシルフルが初めてその家を訪ったのは、まだ彼が青年期にようやっと差し掛かった頃のことである。今になってみると、彼にはそのことが、偶発的な出来事ではなく、まるであらかじめ定められた予定調和、乃至第三者がひどく意図的に、そうしようという意志を持ってすべての物事を誘導した結果そうさせられた事象であったようにすら感じられることがある。しかしかといって、彼は超自然的な存在を信じてはいるわけではないし、人生にあらかじめシナリオがあるとも考えていない。それは今もであるし、昔から変わらない彼の思想だった。
 物事にはすべて原因と結果があるものだし、生命とは生れ落ちた瞬間から摩耗され消耗され続けるものである。解けない手品などない。種のない手品など存在しないからだ。彼には有神論だ無神論だなどという信奉する論説はなかったし、そのどちらの議論も馬鹿げていると感じていた。彼は人生に対してそれほど夢見がちでも悲観的でもなかった。彼は自らの人生―――人間の生というものにポジティブな思考を持っていた。同時にずば抜けて客観的な視点を持つ彼は、開拓者というにはスマート過ぎるが独立心が強く、また、徹頭徹尾、冷静でもあった。それでいて、自らの人生の発展と開発に熱心であった。彼は神を持たなかった。いうなれば、自らが自身に対するそれあったのだ。
 その彼には、自分がその家へ誘われる―――いやがおうなくその家を訪れることが決定してゆく過程に身を置く感覚というのが、とても新鮮で、なおかつ興味深く感じられた。彼に働きかけたその不可思議な力は、見えずとも確かに存在するようだった。複数の人間が手配を整え、彼の家の家人たちがそれを要望し、彼はそれを受けて自ら選んだ。その結果の訪問であったに違いないが、しかしやはり、これら一連の事象にかかわった人間たちの外側から、もうひとつ別の思惑が働いていたように、彼には思えてならないのである。
 その頃彼は、なによりまずまだ若かった。発育途中の体は、常になにか刺激を求めていたし、そのエネルギーを持て余し気味ですらあった。好奇心にその明晰な頭脳ははち切れそうであったし、未発達ながらも若々しい力が、爪の、その漆黒の髪一本一本のその先にまで漲って膨れ上がろうとしていた。自らの天賦の才を確信しつつあった彼は、同時に自らの力を試したいという若者らしい無謀な勇敢さを持ってもいた。
 その彼に働きかけてくる力があった。それは少なくはない人間を巻き込んで、彼をその家に招こうとする力であった。彼が愚鈍であれば気付かなかったかもしれない、それほど些細なものではあったが、確かな強制力を持っていた。同時に強い、意志があった。
 最初、その外側からの奇妙な力を感じた時―――彼は反発した。しかしどう動いてみても、自分がその家を訪れることはどうやら決まったことらしいと悟った時、その不快感は好奇心に取って変わった。彼は抵抗することを止め、その見えない流れに体を任せることにした。いったいなにが、なぜ、そうさせるのか?彼は探究心旺盛な青年でもあった。(それはもちろん今でもだが。) 彼は知らないということが我慢できない性質でもあった。そうしてそれは、その若さ故に、今以上に強かったのである。
 そうして彼は、その家の門を叩いた。
 或る五月の、新緑が真っ白な日光を反射して、光のプリズムを撒き散らしていた。その家は漂白されたかのように白く、屋敷と言ってもいいほどの大きさと広さとを誇った。庭に緑が燃えて、真っ白な石塀に、周りをぐるりと囲まれていた。真黒な服を着て、黒い小さな旅行鞄ひとつを手に、彼は緑のアーチの前に立った。空いた方の手で、黒い手帳を捲り、その家の住所と、外観とが、教えられたものとなんら変わりないことを確認して、そのアーチを潜った。白い石畳に黒い靴で一歩踏みだす時に、言い知れない感覚を覚えた。それはどうやらうそ寒く、しかしどこかで密かな興奮を覚えるような、戦いに赴く前の感覚にも似ていた。喜びも戸惑いも彼にはなく、ただ高まった緊張感と期待と挑戦的な瞳の輝きだけがあった。
 ずいぶん昔の話だ、と彼は今美しい微苦笑を浮かべる。
 その時彼は、まだその家が彼のその後の人生にどのような意味を持ってくるものかを知らなかった。
 その家は彼の人生の通過点のたったひとつの小さな点に過ぎないが、それでも彼の誕生より引かれ続けた線と交わったことによってやはり特別な意味を持った。彼の線は多くの点と交わり、今もなお引かれ続けている。その線を引くのはやはり自分自身に他ならないと彼は言う。


 その家の話をしよう。