秋晴れの空が高い。
うろこ雲幾つも連なって、ひとつひとつ踏んではお空を渡れそうなくらい。もう秋だねとそう呟いたその口で、が再び口を開いた。
「そうよ、木星。木星に行こう…、」
シャルナークのほうはうっかり聞き流しそうになって、その後顔をきょとんとさせて彼女のほうを見た。相変わらずのんびりした平坦な顔のままで、彼女は窓の外へ視線をやっている。
彼は一瞬、反応に困った。だってそんな、ちょっと遠出するのとは分けが違う。木星は違うのだ。きっとまだ人は行ったことがない。遠い遠いお星様のはなし。
「え?」
「木星。行きたいね。」
ほとんど普通の調子で、もう秋ね、と言ったのと変わらない調子で彼女が少し首をかしげて彼を見下ろす。そう簡単には同意しかねて、彼は少し目を大きくしてを見つめた。。
「大気圏越えて、真っ暗で冷たい真空を渡って、月を見送って…火星を横目に小惑星群を、そう星の屍骸の間潜り抜けてね、セレスも無視して素通りして。そうしてイオに挨拶したら、木星に辿り着くのよ。」
うんそうだね、と生返事を返すしかなく、彼は窓の外に目を戻した。秋の空だ。隣の彼女は頭がおかしくなってしまったらしい。どうすればいいだろう。窓枠に着いた腕に口元を埋めながら、彼は風が冷たくなってきたなとまったく違うことを少し考えた。
風がすうっと、彼の金色をした髪を撫でて通る。あまい匂いが鼻を掠め、何の匂いだったっけ。シャルナークはああそうかと安心したような気持ちになって、ふふと少し笑う。
そうだ今更思い悩むことはない。はどうせ最初から、若干大概ほとんど壊れかけている。
彼女はまだ木星について話をしている。晴れた空に、彼らの目にはその惑星が見えない。今頃どの辺りを回っているのか。星の廻りには詳しくないから、彼にも彼女にも見えなければわからない。
「木星の大気はどんな匂いがするかしら。」
「うーん、そうだな。ええと。うん、ガスの惑星だからね。」
「シャルナークは土星にいるから、」
僕はここにいるのだけれど、と彼はきょとりと目を見開いた。彼女の目はお空を見ている。ああそうだったそうだった。つい忘れがちだけれどそういえばかわいそうな頭なのだったと、シャルナークは首を少し傾けてその横顔のラインを見る、瞼を、睫を、ああその瞼に口をつけたら目を覚ますかしらと少しあきれたような気分で見る。頬の産毛が光を受けて白く輝いている。こんなにきれい。だのに頭がおかしいだなんて。
おかしいったらない。きれいったらない。とても楽しくて、たぶんきっとすきだ。
「木星からもあなたが見えればいいわね。直径32キロではやっぱり不可能かしら。木星と土星の間は結構な距離だから、土星の輪まで足を伸ばすつもりは私にはないし、困ったわ。」
困った、そう言って彼女はシャルナークをやっと見た。ほんとうに、困った。そう言って優しく眉の下がった微笑が、とても美しいと彼は思う。
「私の旅は木星でおしまい。ユピテルに骨を、埋めたい。」
何の話だろう。彼はじっとその空色の目玉をに凝らした。しかしなにもわからず、見えるわけもない。こういう時、少し彼は仲間がうらやましい。たとえばパクノダ、あの人なら彼女のこの飛びぬけた思考を一部でも理解することができるだろうか?私にもお手上げね、そう言うだろうか。こいつの頭はおかしいね、相手してるとこちまでおかしくなるよ。目つきの悪い彼の台詞が頭をよぎって、たまらない。シャルナークは少し苦笑する。
「秋だもの、焼き芋が食べたいわ、そうしたら地球を離れましょう。木星でデエト。あなたは土星から出発して私は地球から出発するの。そして木星で会う。結構素敵でないの。」
「地球でデエトじゃ駄目なの?」
「あら、駄目。だってシャルナークがいないでしょう。」
ここにいるんだけどな、笑ってみたところで変わらない。彼女はワルツのステップ踏みながら、もう窓に背を向けて歩き始めている。
秋の匂いだね、と少し経ってからシャルナークが言うと、はニコリと顔を上げて笑った。
「あら、シャルナーク。」
木星までで駆ける手間が省けた、と言って彼女は笑う。どうやらやっと、シャルナークが地球に、同じ地上のそれもとっても近くにいたのだってことに気づいたらしい。でも木星だなんて、どうやって行くつもりだったんだろう。彼女の念では、とても無理だ。でもそうだな、たとえば明日に会ったときに、昨晩は月まで行って来たのよ、と言われたってきっとシャルナークはそれを信じるだろう。ならなんだってありだ。そして真実ばかり。そう知っている。
「そうね、すてきな秋だわ。」
木星の成分が紛れ込んだのだわ。ほら、金木犀の匂いの成分が、秋の空気には含まれているのよ。すこしさびしい甘い匂い。
つまりどうやら、彼女は木星には雪のようにあの小さな黄色い花が降り積もっていると思っているらしい。
まったくおかしいったら。シャルナークは笑う。これだから君といるのは楽しくって。
秋のある一日です。
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