暗い暗い道で、男はよう、と気軽に片手をあげて見せ、女はそれに眉をしかめた。
見たくもないものを見た、そんな調子だ。一方の男の方は、見たかったものを見られた、そんな具合にクツクツ喉の奥で笑っている。
星明かりなど決して届かぬこの道で、二人は向かい合っている。しかしどちらの目にも、はっきりとお互いは映っているようだ。二人はどちらもまだ若く、少年少女と言っても差し支えないように思われた。
彼の方は自由奔放に伸ばした真っ白な髪をし、彼女の方はこの暗闇に浮かび上がるような夜干玉の髪をしている。
男の、人を小馬鹿にしきったような表情を女は疎んでいたし、女の透き通るような冷たい面差しを男は好んでいた。女のいつからか多くなった無表情を男は嫌っていて、男の見ることは少なくなったあけすけの笑みを女はあいしていた。
「やあっとまた会ったなァ、」
男がキヒヒと、おちょくるように歯を見せて笑う。
「バクラ、」
女は、その無表情を少しばかりうろたえたような悲しむような色を混ぜて彼を見た。しかしそれは一瞬で、
「なぜあなたここにいるの?」
次の瞬間には淡々と、彼の頭のてっぺんから爪先まで見下ろしながら問う。
「なぜって決まってンだろ。」
訊くまでもないだろうに。と男が目を丸くする。そうすると、少しあどけなく見える。
「それもそうね。」
少女が初めて口端をあきれたように緩める。そうすると、少しやわらかく見える。
男がふいに、くったくなく声を上げて笑った。人を食ったような態度もその不遜な様子も変わらなかったが、それでもそうすると、とても幼く見える。少年が笑いながら手を差し出す。それに女が、目をぱちくりと見開いて、それからふぅわりと笑った。そうすると、とても優しく見えた。
少女が少年の手を取る。
固くて傷だらけで醜い、彼の手。やわくて細くて醜い、彼女の手。どちらも罪人の手だ。幾つも殺し、幾つも奪った。そして同じ数だけ殺されて、ひとつ余計に奪われた。そうしてここへ降りてきた。ラーに背を向けて、ひたすらここへ、降りてきた。
しかしそれももう明日が明後日になったので過去のこと。手に手をとって二人はまたなんともなしに笑う。それがその男のあるべき姿だったしありえたかもしれない現在であり置き去りにした可能性であり彼自身だった。それがその女のあるべき姿だったしありえたかもしれない現在であり置き去りにした可能性であり彼女自身だった。
真っ暗闇を、うねうね地底へ続いている、大蛇の背中のような道の先をずっと見やって、彼が不敵に口端を持ち上げる。
「行こうぜ。アヌビスも待ちくたびれてらァ。」
それに彼女は、うっすら微笑んで見せた。
アヌビスの城ってぇのはどんなもんだろうなァ?男がクツクツ笑うので、彼女は少し呆れた顔をしてその手を引っ張った。なにすぐ手に入れてやんよ俺様に任せな、と彼が言う。そういう意味じゃない、彼女がそう言って、彼はまたくったくなく笑った。
いつかずっと小さくて幼い少年は、ずっと小さくて幼い少女に告げたものなのである。城をあげる、城をあげる、お城をあげるよ。真っ白な石でできた、お城をあげる。君に、君に、君に。
約束守るその前に、彼らの道は分かたれて、そうして出会い、また分かれた。
随分彼は少女によう、と言うのを待っていたし、随分彼女は少年に、よう、と言われるのを待っていた。暗い暗い道でひとりで立って待っていたのだ。
無法者の手が、少女の手を握る。優しい動作は彼には酷く不似合いで、けれどもしっくり、当てはまる。
さあ行こうか。
この手だけが真実だ。


20080512