砂の海などとはよく言ったものである。そこまでもどこまでも、この砂が構成する壮大な風景は広がっている。海のように、果てしない。そういう意味で、形容されたのだろうか。それは眼前にうねうねうねって続いており、渇いて、ひび割れて、そして泣いている。風の吼える音が、ずいぶん遠くの砂丘のほうでこだましていた。やがて嵐が来る。やがて嵐がくるのだろう。
まだ若い男が、砂丘の上で、肩肘をついて遠くを眺めている。風は強い。砂がずいぶん巻き上げられて、肌に当たって痛いだろうに。男は砂漠の民にしてはめずらしく、長い髪をそのままにしていた。真っ白なその髪は、砂漠の熱気を乱反射して、陽炎のように見うけられた。
「おい、。」
男が不意に口を開いた。えらそうな物言いだ。頬に手の甲を当てたまま、なんとも退屈そうだった。しかしその口端には、ニヤニヤと形容するのがぴったりの、不敵な笑みが浮かんでいる。
「見てみろよ、なんにも見あたらねえ。」
その言葉に返事はない。それでも男は、まるで誰かが聞いているかのようにそのまま言葉を続けた。瞳はやはり、楽しげだ。凶暴な光が、奥のほうで揺らめいているのが、覗き込めばわかるだろう。
「なにもねえ土地だ。渇いて、ひび割れて、腹ァ空かせてやがる。」
俺様と同じだ、最後の言葉はひどく楽しそうだった。
しかし男は知っていた。この一見渇いた不毛な土地が、雨の季節にはなんとも貪欲にその恵みの水を吸い込み、至る所に緑と、水とをまるで宝を隠すように点在させて抱いているのを。そして墓と、王と、宝と、やはりそれらもこの砂漠は内包し、隠し持っている。そしてこの渇いた砂が求めて飲むのは水だけではないことも。この土地は、あらゆるものを飲み込んでいる。雨と、土と、光と、それから血と、闇と、後は死者たちと。
あらゆるものをのみこんでそしてなお咆哮をあげるこの大地。なんと貪欲で、そして満たされることを知らないのだろう。
飢えて、乾いて、そしていつでも渇望している。
それはそこに住む民を、統率している者たちになんと似通っているのだろう。この美しくも、物寂しい土地。壮大にして、凶暴な、この不毛の土地。神々しくも、残忍で。寒々しくも、満ちている。あらゆるものを飲み込み。残酷で、優しく。慈悲のかけらなどひとつもありはしない。
彼は王が嫌いだった。大嫌いだった。
そんな子供じみた言葉では語り尽くせないほど。彼は王が憎い。憎い。
砂漠の砂を握り締めた。手のひらの中で、小さくギチギチときしむ砂。彼の一族の血を飲み込んだ、あの地とも繋がっている、この砂漠が海ならば、そうだ、そのすべてにその血が溶けて循環しているのだ。どこにでも彼の肉親は存在する。どこにでも。どこにでも。
彼はそこを泳ぐ魚。底を泳ぐめくらの白い魚だ。たったいっぴきの最後の生き残り。砂を割って、一族の血が、無念が、叫びが、恨みがすべて溶けたこの海を泳ぐ。闇と憎しみと怒りとをすべて喰らって、彼はずいぶん大きくなった。そうだ、随分大きくなった。そうして彼は、待っている。
なにを?王の肉を喰らうのをだ。その時を待ってる。
じっと息を潜めて、砂の底にもぐって。
青毛の馬が、高く嘶いた。額の星が、いかにも賢げに見えた。
それは鳥だ。彼を導く。明星ではない。その星は地獄にこそ出る。その黒い馬は運ぶのだ。彼と、彼の憎しみ、彼の喜び、そして彼の命と、愛と、そしてただの狂気と。すべて。
彼は退屈していた。大きな体を持て余している。
この砂の山を幾つか越えた都で、もうすぐ宴がある。
宴がある。
彼は知っていた。新しい王を戴く宴だ。
気に入らない。つまらない。くだらない。
ぶち壊そう、その杯を打ち壊し、その肉を掻っ攫いその骨でナイフを作ろうそうして少年王の胸に、それを突き立てるのだ。その赤い血。その血を砂に染みこませよう。それを持って、砂漠の飲み込んだ彼の一族の血を清め、贖い、太陽へ返すのだ。
そのあたたかい心臓を握りつぶすのは、きっとひどく愉快だろう。
「行くか、。」
馬が答えて鳴いた。
その美しく賢い駿馬の名を、と言った。
それは黒い鳥だ。彼を導くよ、黄泉路の底へ。
彼は泳ぐ砂漠の底、常闇の国。
親兄弟の血と怨みを飲んで、ここまで大きく育ったよ。
宴をぶち壊せ。黒い鳥を駆れ。
すべて奪え。
暗い闇を呑み光を喰らえ。そうして帰ってこい。
砂丘の遠くで風が唸った。
彼は口端持ち上げてニタリと笑う。
宴を始めよう。




20080611