02
古びたお堂の、六地蔵。背の高さはばらばらで、胴回りもまちまちである。
こんな寂しい野っぱらで、それでも供え物が並べてあった。蕗の葉に、牡丹餅と黄粉のおはぎが、ころりころりとひとつずつ、可愛らしく並んでいる。
雷蔵はというと、お堂の破れかけた屋根の下、左から六番目の一等背の小さな地蔵の隣にぽつんと腰を下ろし、頬杖ついていささか途方に暮れていた。道に迷ったのだ。
今日は大事な、忍術学園の入学試験の日であった。試験を受けるためには今日の日暮れまでに、学園に辿り着かねばならぬ。
空は真っ青に高く、薄野は星を撒いたように銀色。こんな日でなくて、ここにおむすびでもあれば、どんなにか素敵な日和だろう。ふうとついたため息は、ほとんど諦めじみていた。
かれこれ卯の刻も過ぎようとしている。後一刻も経てば、空は橙。茜に色を変えるだろう。そうすれば来年まで、学園に入学する手だてはなく、彼は惨めな気持ちで帰らないとならなくなる。
それはなんとも、幼い彼には、耐え難いことと思われた。
しかしながらすっかり自分のいる位置が知れない彼は、太陽を追っかけて西へ向かったものか影を踏み踏み東へ向かったものかわからなかった。わからないわからないと汗をかいて白くなっていたのは先ほどまでのことで。こうしてすっかり万策尽きて、寂しい野原に座り込んでみると、空を雲雀が飛んでゆく。良い天気だ。自らの不運など、馬鹿馬鹿しくすら思えてくるから不思議だ。
「困ったなぁ、」
半ば開き直ったような、自棄のような気分で、それでも雷蔵はのんびりと言った。チチチ、とどこかでまた雲雀が飛び出して、背中で地蔵たちがめいめい笑ったように感じた。
「困ったなぁ。」
誰にともなくもう一度、呟く。
ガサリと目の前の薄が揺れた。風とは違う、なにかいるのだ。
彼の背丈と同じか、少し高いくらいの薄が、びっくり目玉を見開いた、雷蔵の前でもう一度、ガサガサと揺れる。ごくりと息を呑んだ彼の耳に、茎の向こうから子供の声が届いた。
「困ったのか?」
それはなんだか、間抜けな問いかけのように思われて、雷蔵は少し笑った。
お前笑ったな、と楽しそうな響きが、相手からも漏れる。
「困ったのか?」
「うん。」
雷蔵とは生来素直な気性だった。そう頷けば、薄に隠れた誰かさんが笑う。
「どうしたんだ?」
「道に迷って、」
「どこへ行くんだ?」
「忍術学園。」
「にんじゅつがくえん?」
初めて聞く言葉なのか、誰かさんはまじまじと、雷蔵の言葉を口のなかで何度か繰り返した。にんじゅつがくえん、にんじゅつがくえん、忍術学園。どうやら相手は、その響きを気に入ったらしい。
「忍者って俺知ってる。」
「僕それになるんだ。」
雷蔵のその言葉に、誰かさんは押し黙った。それなのになぜか、雷蔵には目をぱちくりさせて自分をまじまじみているその誰かさんの顔が見えるように思った。実際のところ薄の群の作る衝立は厚く、互いの顔はまるで見えない。
「お前、そこに行く途中か。」
「うん。」
ふうんと返った返事は、不快ではない。なんだかなにか新しいことが始まるような気持ちがして、雷蔵はじっと相手の言葉を待った。誰かさんは確認するように、神妙に告げた。
「それで迷ったんだ。」
「うん、」
情けないが事実なので仕方がない。正直に答えると、今度はおかしそうに声が笑った。
「連れてってやろうか。にんじゅつがくえん。」
悪戯を持ちかけるような、独特の響きがあった。
「場所、知ってるのかい?」
ぱっと立ち上がった雷蔵に、声の主は真面目に返した。
「知らない、」
「え!」
「けどわかる。」
「え!?」
「どうする?」
ピカピカ光って楽しそうにきらめく黒い目玉が片一方こちらを見ているのが一瞬見えた。知らず知らず、無意識に、雷蔵は頷いていた。ガサリ、誰かさん、わらう。
「じゃあお前の、顔、貸してくれ。な。」
あっと思った時には誰かさんは立ち上がり、雷蔵の前に踊りでていた。
ひょろりと伸びた手と足。どこか見覚えがある形である。そろそろと顔をあげれば、そこには自分そっくりそのままの顔があった。ポカンと雷蔵は口をあけた。しかしそこにあるのは純粋な驚きばかりで、恐怖や怯えは一縷もなかった。ただ驚いたのだ。自分そっくりの顔が突然降って沸いたものだから。
「びっくりした?」
満足そうに、自分の顔がニヤリと笑う。見れば着物までそっくり同じである。
しかしその表情は自分は浮かべた類のないもので、すぐ他人であることは知れた。それにしてもよく化けたものだ。髪の結んだ感じも、そっくりそのままである。
「びっくりした!」
素直に雷蔵は感想を述べた。雷蔵そっくりの少年は、声をたてて笑う。
「俺も、その学園に…うん、行く途中?でいいや。行く途中だったんだよ。」
「そうだったの?じゃあ、君も忍者になるの?」
「まあそんなとこ。どうだ?入る前からうまいもんだろ。」
ニヤリと笑った彼の変装術は確かに完璧である。
「すごいなぁ。」
しみじみと述べた雷蔵に、少年がへへ、と笑う。
「このまま学園に行ってやらないか。双子が来たと思って、きっとみんなだまされるぜ?」
その悪戯気な響きは、確かに先ほど薄の向こうから聞こえたものと同じだ。その提案は、とても楽しいものに思われたから、彼はうんうんと二度頷く。
「君名前は?」
わくわくしたまま、二人は駆け出した。こっちだ、と先に駆け出した少年がニヤと振り返る。
「お前こそなんて言うんだよ。」
僕?と雷蔵は、一瞬きょとりとしてそれからまだ丸い輪郭でわらった。
「雷蔵だよ。雷蔵。不破雷蔵。」
へぇ、雷蔵。不破ん家のか。雷蔵雷蔵、雷蔵ね。とふたたび名前は口の中で繰り返される。
「君は?」
薄野を抜ける。風が背中から吹いた。おうい。どこで呼ばう声がする。
「三郎。三番目のこどもだから三郎だ。…蜂屋三郎。」
自分の顔で少年が笑った。三郎。それが彼らの、遠い出会いであった。
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