09.

 秋の日が沈むのは早く、風は夕方にもなると冷たい。枯れた草が簫簫と、か細く泣くように揺れるだけである。
 おばちゃんの利き手は、もう随分とよくなったらしく、ぐるぐるに巻かれていた布も、もう解かれていた。夢なら五千光年分がみたいと雷蔵は思い、自分自身よくわからないと首を振る。よく切れる刃物かなにかですっぱりと切れたらしい手の甲には、まだ真新しい傷痕が浮かんでいた。
 おばちゃんよかったねぇと心の底からにこやかに微笑みながら、よい子たちがちらりちらり、を気にしている。元々おばちゃんの怪我が原因の、緊急アルバイターだったのだ。怪我が治れば、いる必要もないだろう。

ちゃんには、これからも手伝ってもらいたいわねぇ。」

 とおばちゃんがわらう。
 生徒たちも随分懐いてるし、私だってとっても助かったから、と。たしかにたったひとりで、学園中の食事をまかなうのは大変だったろう。当番以外に、一度ちゃんとした手伝いがついてしまうと、またひとりに戻るのは多少億劫なのかもしれない。
 ほんとに?おねーさんずっといるの?
 そう言って目をきらきらさせて見上げてくる子供たちに、はやさしく眉尻を下げた。彼女も随分、彼らを可愛がっている。

「ごめんね、」
 だからそうやってすまなそうに発せられた言葉は、いつもの通り遠くの席から、聞き耳立てていた雷蔵たちには予想外だった。
「元々おばちゃんの怪我が治るまで、という約束だったし…、」
 いつも快活な喋り方とは少し様子が違って、歯切れが悪く、まだなにかあるようだ。
「やっぱりよくないのかい?」
 おばちゃんはなにか知っているらしく、気遣うように眉をひそめた。
「…ええ。」
 少しくたびれたようにが微笑む。
「どうしたの?」
「おねーさんどこか悪いの?」
 子供たちが敏感にそれを察知して、を見上げる。
「私ではないの、」
 それにありがとうとなお微笑する横顔は、やはりどこか、疲弊し、さびしげにも見受けられた。ああこの人は、思えばずいぶんまだ若い娘さんなのだ。大人びて感じるけれど、6年生たちより2つか3つ、上だというだけの話だろう。忍者でもない、ただの娘のはずなのだ。
 かなしいの?さびしいの?つかれているね?
 どこかで子供がむじゃきに尋ねる。
 なのにどうして、という娘に、こんなにも自分たちはどこかおびえて、身構えているのだろう。

「父がもうずいぶん悪くて…」

 三郎がポロリと、箸を落とした。
「…三郎?」
「………雷蔵。」
「……雷蔵?」
 それでも自分が雷蔵″だと、主張するのは忘れなかった。改めて自分の名前で尋ねなおした雷蔵に、雷蔵″が表情を一瞬なくした顔を向ける。

「なんでもないよ。」

 にこりと自らの微笑で三郎、いや、雷蔵″が首を傾げた。
 のほうではまだ話が続いていて、彼女の父親の具合がもうずいぶん思わしくなく、おばちゃんの怪我はもうすっかり良いし、そろそろ里へ帰らねばならぬ、ということらしい。それは仕方がないね、と残念そうに口にするおばちゃんと、おとうさんよくなるといいね、と痛ましげに眉を下げるよい子たち。
「ええ、」
 耳元からほつれた髪が、ぞっとするほどきれいだと初めて雷蔵は思った。
「…春まで持つかどうか、」
 ほとんどひとりごとのように、溜息といっしょに吐き出された小さな言葉が、食堂の隅にまで転がってくる。なんとなくしんとしているのは、やはり誰もがの会話を気にしていたからだろうか。窓の外には秋の風、もうずいぶんと涼しくて、山の錦は今が盛りだ。どうしてこんなに鮮やかで、どうしてこんなに淋しかろうか。
 なんでもないともう一度、口の中で三郎が繰り返す。


20100615