15.
お前ら病気をする度に雰囲気変わるなあ、と呆れたように、けれどもほっとしたように八佐ヱ門が笑った。彼の笑いはいつも呵呵と元気で心地よい。
「前雷蔵が病気した時は、なんかゾッとするようになったけどさ、うん、元に戻った感じがするな。いやあ重畳重畳!」
バッシと背中を叩かれて、三郎が少し不機嫌そうに八佐ヱ門を睨むが、もちろん彼はそんなのどこ吹く風だ。「三郎も寝込むなんて、おもしろいことがあるもんだなあ!」
彼に悪気はいつだってひとつもない。そんな様子に雷蔵が楽しく笑っていると、ふいに上からボトボトと橙色が降ってきた。
「あいたた、」
布団の上に鮮やかに転がったそれは蜜柑で、見上げるとニヤリと、仙蔵が人の悪そうな笑みを浮かべている。
「立花先輩、なにするんですか。」
「なに、名物コンビが揃って床についていると聞いたので見舞いに来ただけだ。」
「それで蜜柑攻撃を見舞っても、ちょっと…、」
「うまく言ったつもりか。」
フンと鼻で笑いながら、「最後の一個だ。」 蜜柑がぼとりと投げつけられる。痛いと言いながらやはり雷蔵は笑い、三郎はあきれるようにする。まったくもって、いつも通り。なんだお前も欲しかったかという見当はずれとわかっていながらの意地悪な問いかけに、遠慮しますと三郎が眉をしかめる。
「あの女がもう発つそうだ。」
のことだろうとすぐに雷蔵は思い、特に驚かなかった。
その言葉に三郎がつと顔を上げた。その不思議にないまぜの表情に、フ、と笑うと仙蔵はひらひらと手を振って去ってしまった。あちこちに転がった橙色を、どうしろと言うのだ。全部食べきれるかしら、神妙に黙ってしまった三郎を横目に、手の届く範囲の蜜柑を雷蔵は拾い集める。
「ああ、なぁんか変なかんじだったなぁ!」
もうすっかりその心配も晴れたように、八佐ヱ門が伸びをする。お前って動物的に鋭いよな、ぼそりと三郎。
「おう三郎、俺はまだなんにも教えてもらってないぞ。」
「…なにを?」
「とぼけるなよ。全部片付いたら教えてくれる約束だろう。」
「なんで全部片付いたって思うんだよ。」
「え?違うのか?」
真面目に八佐ヱ門が聞き返すので、三郎はハアとため息を吐く。お前って本当に…。その続きはなんとなくわかった。八佐ヱ門の野性的な感覚は、もはやどこか天賦の才と言ってもいいのかもしれない。安全なものと、そうでないもの、そういったものを嗅ぎ分けることに長けた人間は稀にいる。それでいて彼は勇猛果敢なのだから、きっと忍びのくせして長生きするだろう。
再びあーだこーだと言い出した三郎と八佐ヱ門を眺めて、くつりと雷蔵はわらう。
ああうれしい、いつも通りだ。
ふいに障子が、ガタと鳴った。
それにぎくりと三人が身をこわばらせると、そのままガタガタと表で吹いた強い風が障子を揺らしてゆく。嵐のような、突風だ。きゃーと遠くで、笑い交じりの1年生たちの悲鳴。ガタガタガタと障子は鳴り続ける。雷蔵は、そっと何かを閉じ込めるように一度目を閉じた三郎を見た。何も言わなかった。
風がやんで、あたりはしんとした。
明るい日差しが変わらずに、障子の向こうから差し込んでいる。
「びっくりしたなあ、」
すごい風だ、と八佐ヱ門がちょっとおどけたように笑う。少し障子を開けて、表を見まわし、聞こえてきた声に呵呵と笑う。学園長の盆栽が吹き飛ばされたらしい。それから小松田さんの退門届も。
「…だいじょうぶだよ。」
ふいにゆっくりと三郎が囁いた。
「え?」
「―――いっちまった。」
三郎がわらった。
なんだか少し泣き出しそうな、どこか苦しそうな、けれど晴れやかな笑顔で雷蔵も八佐ヱ門も、なんにも聞けやしなかった。
そこは銀と金との寂しい野っぱら、薄、静かに風に揺れている。
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