―――これは、七海の覇王シンドバットがそう呼ばれるよりもまだ少し若く、さらにはこのレーム帝国の土を踏むよりも、まだほんの少しだけ早い、ふたりしかしらない、或る八夜の物語。 第零夜 1 真夜中です。 コトリ、とほんのわずか、小さな音でしたが、耳聡い彼の浅い眠りを覚ますには十分なものでした。それは軽い足音で、本人はおそらく足音忍ばせているつもりなのでしょう。まるで素人、いえ素人そのものです。彼は冷たい鉄格子に背を向けて横になったまま、その獣のように鋭い眼をうっすらと開いていました。ひたひたと足音は、石の階段を降りてきます。シャララララと金属同士の奏でる繊細で涼やかな音。それらは耳に心地よく、彼らの手足を繋ぎ止める重たい鉄の鎖の立てる音とはまるで質が異なりました。 こんな真夜中に。 四方を冷たい石で囲まれた暗闇の中で、彼はもうしっかりと目を覚ましていました。すべての者が寝静まっている、夜です。夜、眠りの中でだけ、彼らは自由でした。その四肢を繋ぐ重たい鎖も、戯れの中に果てる命の定めも、重たい剣も、血のにおいも、すべて忘れていられました。そうしてその眠りの甘露を味わえるのも、同じ境遇の見ず知らずの誰かさんの命をその手で奪ったからだと言うことも、忘れて眠るのです。それだけがもはや、剣奴に許された最後の自由でした。 サラサラと微かな衣擦れの音。 こんな真夜中に、一体誰が好き好んで剣奴の寝床、地下の牢へ降りてくるものでしょう。 足音は彼の牢の前で止まり、「もし、」と静かに小さな声で、囁きかけてくるものがあります。彼はじっと黙っていました。せっかくの静かな真夜中です。せっかくの彼ひとりの平穏な休息です。それを邪魔されるのはなんとも腹立たしいことでしたが、彼にはそれに怒るだけの気力というものもありませんでした。 「もし。」 今度は先ほどよりも強い囁き声でした。女の声だと彼は判断し、しかしそれだけでした。別になんとも思いません。しばらく沈黙がありました。警戒するまでのこともないと判断した彼は、もう目を閉じていました。シャラと背後で鈴のような音がなります。 噫、煩い。眠りたい、のに 「ここからでたくはありませんか。」 意を決したように小さく息を吸って、一言。 暗闇の中に、屈強な形したしかしその顔だちに幼さを残す少年が体半分だけで起き上がって、鉄格子の前に立っている人を恐ろしいような目でにらみつけていました。 |